「ライツ」が消去された「女性の健康の包括的支援に関する法律案」
少子化っていうとどうも女に注意が向く。女を何とかして結婚させ(日本では非婚のまま子どもを産むのはまだまだ少数派。少子化を憂う人から、非婚のまま子どもをどんどん産んでくれという声もあまりというかほとんど聞かない)、何とかして子どもを産ませようとしている。そういうときだけ女に注目するなよ!ズレてるぞ!…というのが前回のアバウトな要約だ。
しかし、その後も何やら不穏な動きが続く。いや不穏ではないのかもしれないが。
集団的自衛権の行使を可能にする解釈改憲への動きにマスコミの注目が集まる中、ひっそりと国会に提出された「女性の健康の包括的支援に関する法律案」はこちら(http://houseikyoku.sangiin.go.jp/sanhouichiran/sanhoudata/186/186-027.pdf)。
うーん。何でもかんでも与党多数で可決成立してしまう「決められる政治」のご時世、今回は継続審議になったようだが、これもまた知らぬ間にあっさり可決成立してしまうことだろう。ともあれ法案を読んでみる。女性の健康支援をうたったもので、一見反対しにくい内容ではある。国際協力NGOジョイセフその他女性の健康について関心を持っている団体・個人がこぞって賛成している。この法案は、自民党が4月1日に公表した「女性の健康の包括的支援の実現に向けて<3つの提言>」が土台になっているのだろうが(https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/146_1.pdf)、その研究会には、女性に対する暴力について長らく問題提起をしていて私も尊敬している戒能民江先生が呼ばれてもいるし、出席団体として、NPO法人全国女性シェルターネットほか、いずれも信頼できる団体が名を連ねている。となると、ますますケチのつけようがない気がしてくる。
しかし、なんかざわつく。そもそもなんで女性だけにあえて?法案には、「支援」「支援」…と連呼されているが、「権利」という言葉が一度も登場しないのも気になる。それに折角、戒能先生が講師として招かれて女性に対する暴力の話をなさったというのに、その成果が法案にどのように結実されたのか?被害や暴力といった言葉は全く見当たらない。DV自民党の「3つの提言」には、かろうじてリプロダクティブ・ライツという言葉は載っているが、内容をみると、リプロダクティブ・ヘルスの側面しか語られていないとしか思えない。避妊や中絶といった言葉は一切ない。「3つの提言」も法案も産みたい女しか前提にしていないように思える。
女のからだは、女自身のもの。男のものでも、国のものでもなく、女自身のもの。出産や中絶をめぐり、それらを選択する「権利」を獲得したい(生殖補助医療については「選択」をどこまでも認めるのがいいのかは鋭く対立する問題ではある)。それがフェミニズムの長年にわたる中心課題だった。そのわかりやすいきっぱりした言葉は、時として、「障がいをもつ胎児を抹殺しようとするのか」等、鋭い批判と非難に晒されてきた。フェミニズムは、厳しい試練を受けとめ、考え抜いてきた。
「疑い深くなりすぎているぞ、たまには素直に評価しろ」と言われるかもしれない。しかし、さんざん「産めよ増やせよ」と管理され自己決定を軽視されてきた女性の身体をめぐる歴史からすると、この法案その他が一体何を目指しているのか、反対運動で封じ込めた女性手帳と同様に「女性が産む気になりさえすれば」という短絡的発想が根底にないか、今後もウオッチングしないわけにはいかない。
セクハラ(オ)ヤジの波紋
と、もやもやしていたところ、6月18日、都議会で塩村文夏議員が女性の妊娠・出産をめぐる都の支援対策を質問していたさなか、「自分が早く結婚すればいい」「まずは自分が産めよ」「子どもを産めないのか」とのヤジが飛ばされたことが、各紙で報道された。いや、まず塩村都議が自身のTwitterで投稿したところ、リツイートが広がり、それで報道各紙が後追いで取り上げるに至ったのである。
署名サイト「チェンジ・ドット・オーグ」上のヤジを非難し発言者の処分を求めるオンライン署名は、23日夜までに何と9万人を超えた。国政でも地方でも、残念ながら、セクハラヤジは珍しくない。法案審議を傍聴していたときに、同じ趣旨の質問をしていても、男性議員よりも女性議員への嘲笑ヤジのほうが明らかに激しい場面に出くわして、暗澹たる思いになったことがある。政治の分野での男女平等がまだまだ遠いのは数だけではない、と実感した。
23日午前に鈴木あきひろ議員が「早く結婚すれば」発言ひとつを認め、会派を離脱した。鈴木議員と未だ名乗りでない他の議員にとって、セクハラヤジなど日常茶飯事であり、まさか1年生議員の塩村議員へのヤジがこんなに大問題になるとは予想していなかったはずだ。ネット上のヘイトスピーチに辟易していたが、ネット時代の底力に久々に感じ入った(あ、ネット上連載させていただいている身の上ですみません!)。
いや感じ入るだけでなく、セクハラヤジの何が問題か、弁護士のはしくれとして解説をせねばならない。と意気込んでいたところ、佐々木亮弁護士が的確に解説してくださっているので、紹介する。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sasakiryo/20140620-00036549/
法的側面はこれでばっちり。ヤジは、「出産は女性の問題」という固定観念が露骨だ。「こんなとこで質問してないで、結婚して出産でもしろ」ということだろう。それは問題だっ!と抗議するひとが何万人もいるなんて、ほっとした。その固定観点は、「女性の健康の包括的支援に関する法律案」にも見え隠れしているような気がしてならない。
ところが、「こんなべっぴんさんなのだから、結婚できないとは思えない」、「恋のから騒ぎ」に出ていた塩村都議が「そんな野次を本気にするとは思えない」といった言説もあれば(http://blog.livedoor.jp/columnistseiji/archives/51587375.html)、塩村都議の過去の言動を取り上げて都議に不適格だとの匿名の書き込みもあふれている。
「結婚できないと思える」「べっぴんでない」人であれば、セクハラの被害としてゆゆしきことであるが、塩村都議は違うってこと?恋愛について開けっぴろげに語っていたんだから、セクハラごときにめげるはずもない?
どこかで聞いたことがある。耳にタコができるほど。セクハラや性犯罪の法廷で、加害者の加害行為よりも、被害者が性的に奔放だったかどうか、セックスアピールがあったかなどがいつのまにか主題になってしまう。あれ、そこですか、争点は…。そうではないでしょう。これまたフェミニストにとっては古典的な問題。これもおいおい取り上げたい。
※ 今回のコラムの後半部分は、「女のニュース」にも収録させていただきました。(編集部)