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安倍首相からの、15の贈り物――守ってやるぞ、詐欺?

岡野八代2014.06.19

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前回に引き続き、集団的自衛権を行使することが〈むしろ戦争に巻き込まれない〉と言い切った、5月15日の安倍首相の記者会見について考えてみたいと思います。一月にわたり、悩み、考えてきたことをお話したいと思いますので、少々長くなること、どうかお許しください。わたしの悩みは深く、問題を解こうとすればするほど、暗い洞窟のなかに入っていくような暗澹たる気もちになります。
 

 

というのも、すでに多くの人が指摘しているように、集団的自衛権は、自国が攻撃されていないのに、他国(あきらかに合衆国を指します)が戦争状態にあるところにでかけていって、他国(あくまで合衆国でしょう)を守ろうとするのですから、なぜそれで、日本が再び戦争をする国になることが「断じてあり得ない」――首相の記者会見でのかれ自身の言葉――といえるのか、まったくもって理解できないからです。
これまで集団的自衛権が行使されてきた歴史を振り返れば(ベトナム戦争、1991年の第一次湾岸戦争、2001年同時多発テロであった9.11以降のアフガニスタン、イラクでの戦争など)、明らかに集団的自衛権の行使とは、戦争をしに他国へと出掛けて行くことに他なりません。しかも、軍事超大国の合衆国が自国の利益を守るために、派兵して、市民を殺傷し、いまではイスラームの人びとの敵意を一層掻き立て――わたしの同僚である、現代イスラーム地域研究者の内藤正典先生のお言葉では、〈こどもを殺したら、二度と16億のムスリムは日本を信頼しない〉――、アフガニスタンやイラクでは、今でもテロが続いています。


この一カ月、いったい安倍首相はなにがしたいのだろう、まさか一国のリーダーが自分のお爺さんがやれなかったことをやりたい、とか、国民の命を顧みず、後世に悪名であっても名を残しておきたいとか、そんな無謀なことを考えているのではないはず――そう思いたい――、とわたしは随分と悩んできました。
5月15日のおじいさんやおばあさんが合衆国の輸送艦に乗って運ばれてくる紙芝居を見たとき、悪夢を見ているのかと思いました。まず、非常事態のなかで米軍が日本人を助けますか?戦争時に軍に頼ったら、攻撃の的になるようなもの、といった当たり前の疑問はおいておくとして、二つのことをとっさに思い出しました。一つ目は、日本政府はこれまで、他国の紛争に巻き込まれた日本人を本気で助けたことがありますか?という空恐ろしい疑問。2004年に起きたイラクでの人質事件のさいに起きた被害者の人たちへの「自己責任」論という名のバッシングは、まだ記憶に新しいはずです――先述した内藤先生は、イラン・イラク戦争時、250人以上の日本人が、日本政府に見捨てられた事例に言及しています――。二つ目は、この紙芝居、いかにも荒唐無稽で、2002年にイラクが大量破壊兵器をもっていることを合衆国が証明しようとして、国連での説明でパウエル国防長官(当時)が持っていたのも、やはりこうしたパネルだったことを思い出したからです。わたしは、こんな重要なことを決めるときに、こうした「絵」が出てきたときは、直観的にウソをついていると考えてしまうのです。


その他、安倍政権は、連立与党である公明党とあと14もの事例について協議し、もしかするとこの記事がアップされるころには、「限定的容認」という閣議決定がなされているかもしれません。それにしても、「米国に向かう弾道ミサイルの迎撃」とか(この場合は、日本が先制攻撃をしたことになって、ミサイルを撃った国と戦争することになります、しかも、国連憲章が禁じている「先制攻撃」をしたのは、誰から見ても日本です)、ホルムズ海峡の「機雷の除去」とか(イランが機雷を敷設し、戦争状態に入れば、そんな危険な状態での機雷除去は考えられないし、むしろ紛争が早期解決する方法を考えるべきではないでしょうか。そもそも、紛争中の機雷除去などあり得るのでしょうか?ある番組で、日本の機雷掃海艇は、プラスチックでできていると聞きましたが、、、)、日本の離島に「武装集団が上陸してきた場合」とか(問題となっているのはおそらく尖閣諸島ですが、そうなれば日本領土内への侵略行為でしょうから、そのために自衛隊が存在しているのではないでしょうか――自衛隊法第90条第三項の治安出動における「強力な武装をした集団に対する危害射撃」――。それ以上に、まずは侵略行為を受けていると国連で訴え、さらに、尖閣諸島は岩であり無人島ですから、周りを取り囲み兵糧攻めをすれば、この武力集団の戦意は続かないのではないでしょうか?)、事例がことごとく的外れに思えてなりません。


結局、国連なんて信用できない、国連決議に縛られずに戦争したい合衆国と同じような国になる、それが目的なのでしょうか。ますます、70年もかかって曲りなりにも築き上げてきた日本の平和主義に対する国際評価を台無してしまう決断をしようとしている安倍首相が何をしたいのか、さっぱりわからないのです。15もある事例はすべて、事例として荒唐無稽であるか、これまでの自衛隊法で対処できるはずなのです。
そんななか、二つの書物を読みました。
一つは、2004年から2009年にかけて、小泉、安倍、福田、麻生政権で安全保障担当として内閣官房副長官補をされていた、柳澤協二さんの『亡国の安保政策――安倍政権と「積極的平和主義」の罠』(岩波書店)。もう一つは、偶然手にした合衆国の社会学者、故Charles Tilly さんの”War Making and State Making as Organized Crime” [Bringing the State Back (Cambridge University Press)所収]という、発表当時の1985年に多くの論争を呼んだ、近代国家の建設が「組織犯罪」に他ならないことを指摘した論文です。

 

 

 

内閣の内側を安全保障の専門家として長く見てきた柳澤さんもまた、安倍首相がやろうとしていることは、「そうしたいから、する」としか説明できないとしています(ぎょっとしませんか?日本の防衛のため、ではないと指摘しているのですから)。では、首相はなにをしたいのでしょうか。柳澤さんは、首相の著書『この国を守る決意』のなかの一節を引用しながら、「アメリカと「血を流す」ことにおいて対等な「血の同盟」」を構築したい、のだと指摘します。そうであるならば、と柳澤さんは、以下のように論じます。

 

 

私は、自らの命の危険に身をさらすことのない立場の人間が、日本人である自衛隊員の命にかかわることを軽々と口にすることに怒りを禁じえない(15頁)。


本書は、問題とされている15の事例についてのわたしたちの疑問に対し、クリアに応えてくれます。首相が提示した15の事例に悩まれている方、是非とも読んでみてください。それで疑問がすっきり片付けば片付くほど、「そうしたいから、する」首相、誤解は与える方ではなく、誤解する方が悪い、と断言する首相の下で生きている恐怖は増してしまいますが、、、。

 

 

さて、社会学者ティリー教授の論文について、紹介しましょう。ここには、安倍首相がなにをやっているのか、それを示すヒントが満載でした。本論文では、「保護することprotection」には二つの意味がある、という説明から始まります。保護することは、一方では、シェルターなど頑丈な建物のなかに人を匿うことで、人びとの安寧を維持するという意味があります(当然ですね)。他方で、ティリー教授は、保護することには、「ゆすり・たかりracket」の意味があるのだと指摘します。どういう意味でしょう?ちなみに、このracket という言葉の意味、わたしは恥ずかしながら、この論文で初めて覚えました。
ティリー教授は、近代国家建設の端緒に、領土内の人びとの保護という目的があったことを指摘するのですが、それは「たかり屋」と同じ構造をもっていた、いや、まさに「たかり屋」と同じだったといっているのです。ティリー教授は、「たかり屋」とは何者か、国家防衛の重要性を擁護する者について論じるなかで、思い起こすようわたしたちに促します。少し長いですが、なるべくわかりやすく翻訳してみます。
わたしはこれを読んで、いま安倍首相がじっさいに為していることが、よりよく理解できました。が、こんなことを政府に許してはいけない、とさらに強く、怒りとともに思うのです。

 

 

 

特定の政府や一般的に政府を擁護する者たちは、まさにつぎのように論じる点で共通している。つまり政府は、国内の、そして外国の暴力からの保護を提供しているのだ、と。かれらは、政府が人びとに課す保護の対価(税金や徴兵のことです)は、じっさいに保護にかかる費用よりも通常安いのだと主張する。保護にかかる費用が高いと文句を言う人びとのことを、「非国民」とか「転覆者」呼ばわりし、時には両方の汚名を着せる。しかしここで、たかり屋racketeerとは、自分で脅威を作り出し、そしてその脅威を減じてやるからお金を出せという者である、ということを考えておかねばならない。政府が、その市民を守ろうとしている脅威が架空のものであったり、実際には政府の活動が引き起こした結果であるならば、その政府とは、「守ってやるぞ、詐欺a protection racket」を組織しているのだ。政府は、通常、外部との戦争という脅威をシミュレートし、刺激し、ときにでっち上げたりさえする。また、政府の抑圧や税金の取り立てがしばしば、市民の生活に対するもっとも大きな現実の脅威となる。そのため、多くの政府は本質的にたかり屋と同じことを行っているのだ。もちろん、一つだけ違いがある。たかり屋は、慣習的な定義によれば、政府という神聖さもなく、ゆすりを働いているからだ(p. 171)。

 

 

安倍首相から送られてきた15の事例は、まるでみかじめ料を要求する〈守ってやるから、金よこせ〉というたかり屋から届いた脅迫状に似ていると思うのは、わたしだけでしょうか?

 

 

追記:来月7月中旬頃、岩波書店から奥平康弘・山口二郎編『集団的自衛権の何が問題か 解釈改憲批判』が発売されます。そこに、わたしも拙稿「集団的自衛権を支える安全保障概念を問い直す」を寄稿していますので、関心のある方是非とも手にとってください。

 

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岡野八代

岡野八代(おかの・やよ)

同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教員。
主な著作に『フェミニズムの政治学--ケアの倫理から、グローバルな社会へ』『シティズンシップの政治学--国民・国家主義批判』『法の政治学--法と正義とフェミニズム』
趣味は女子プロレス鑑賞。プロフィール写真は加藤園子さんと一緒に。

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