鈴木亮平さん主演映画「エゴイスト」が公開されました。宮澤氷魚さん演じる年下のボーイフレンドとの愛を描く、3年前に亡くなられた高山真さんの自伝的小説です。
ところで! 自慢をさせていただきますが・・・。20年前、編集者だった高山さんに「書きなよ!書いてよ!」と最初に声をかけたのは私です。そして「高山真」というペンネームが一番最初に披露されたのはラブピです。ラブピの連載はすぐに「こんなオトコの子の落とし方、アナタ知らなかったでしょ」という本にまとめられ大きな話題になったものです。そうそう、当時、まだ有名でなかったマツコデラックスさんと高山さんの対談をラブピのイベントでやったこともありましたね。・・・ええ、みんな昔話。高山さんとの昔話は、楽しかったことしか思い出せません。
映画はまだ観ていないのですが、50歳で死んでしまった友人のことを、この映画を機に何度も思い返しています。私と高山さんは、もの凄く近しい関係であったわけではありません。特に亡くなるまでの数年間は1度も会ってはいない。それでも、高山さんと言えば、月に1度は、「こんなお菓子、アナタ知らなかったでしょう」という調子で、美しいスイーツをラブピに持ってきてくれて、ワイワイと世間話をするようなことを10年以上続けていました。同じ年故の気楽さか、生きて来た時代(80年代ですね)を共有する故の「話の早さ」が心地良かったからか、特に30代の頃は一緒にいた時間は濃密だったように思います。私たちはとにかく、たくさんおしゃべりをしていました。
高山さんからいただいた本が、今も手元にあります。「読んでないのなら絶対に読んで! あげるわ!」と手渡されたスーザン・ソンタグの「反解釈」。ページがすり切れるばかりに高山さんはソンタグを読み込んでいて、それはもう魔女達の手によって数世紀読み継がれた魔法の書のような風格を放っています。1960年代、「キャンプ」という概念を「発明」したソンタグのテキストを、高山さんは、文字通り暗記する勢いで私に語ってくれたものでした。キャンプ。過剰に、人口的で、おふざけで、猥雑で、けれど絶対的に美しく、徹底的に個であり、自由と尊厳を手放さず、人間への信頼を根底に置く”私たち”の思想・・・。2019年、NYのファッションの祭典メットガラのテーマが「キャンプ」でしたが、その概念は、未だに私たちの世界の自由を押し広げる、抵抗の思想として生きているのだと思います。
高山さんは、自らキャンプを実践することで、自身の人生を愛することを諦めなかった人でした。
このクソミソ(ジニー)な社会で強制的に着せられる「女らしさ」の着ぐるみなど(ええ、着ぐるみなんですよ)、一旦脱いだ上で、安っぽい宝石を何百個も縫い付けて、色とりどりのファーで飾りたて、過剰にギラギラさせて、脱着可能な着ぐるみにしてしまえばいいの。そうしたら、「女らしさ」もばかばかしいパロディとして知的に笑えるものよ。そんな軽さを、高山さんは文字通り実践していました。もちろん、リアルに「女であること」を強いられる身からすれば、ジェンダーはそんな甘いもんじゃないよ、そこまで脱着可能なものじゃねーよ、という思いもあったりしながら、キャンプをベースにしたジェンダーの冒険を、私たちはいくらでも語り合えたのです。
「多様性」が、とても重要な価値観として語られるようになった今、高山さんは、何て言うかしら。
そんなことを時々思います。「多様性」が大切な価値であることは言うまでもありませんが、経済界が推奨するSDG’sの枠組に収められているような「多様性」には、正直、多少の警戒心を持たざるを得ません。特に「多様性」という言葉が標語のように語られる過程で、あっさりと踏みにじられるものも、どうしたって目に入ってきてしまいます。
たとえば先日。多様性を謳う性教育者が、「サッカー好きな女の子は男性ジェンダー」「人形遊びが好きな男の子は女性ジェンダー」みたいな話をしているのを目にしました。びっくりです。サッカー好きな女の子もいれば、人形遊びが好きな男の子もいる。そういう世界を目指すのがフェミニズムだったはずなのに・・・ね。さらには、「私は女を強いられるのが苦痛なんで、ノンバイナリーです」という人たちも増えていたりして、だったら人類全員ノンバイナリーでいいんじゃないの? という話じゃないでしょうか。セクシュアリティやジェンダーのカテゴリーを細分化し強化するような「多様性」は、その実、古い差別的なジェンダーが再生産され強化されていく様であったりして、これはやはりバックラッシュというのだろうなと思ったりもし、あーあ、つまんねーな、などとやりきれなさいっぱいになるのです。ねぇ、高山さん、と話かけたくもなるような。
友だちを失う、ということは、その人と語ることができたであろう世界を失うというようなことなのだと思います。その喪失感は大きい。だって未来を失うようなものだから。やっぱり、さみしい。
高山さんから最後の電話があったのは20年の7月でした。「緩和ケア病棟に入りました。もう長くないの」という電話を、知人、友人1人1人かけていたようです。今は、どんな気持ちなの? 怖くはない? と聞いてみたら(そういうことを高山さんには聞けたのだなぁ)「少し前まではとても悔しくて、夜も眠れないほど怒り続けていたけれど、今はそうではなくなったの」というようなことを、オホホ、といつもの調子で話してくれました。そんな境地にいくらなんでも達せるものなの? 呆然としながらも高山さんの言葉を聞き漏らさないように必死にケータイを耳にくっつけていたことを思い出します。高山さんはそれから、ほぼきっかり3ヶ月後に逝かれました。
エゴイストは、高山さんがつけてたシャネルの香水でした。
過剰に、露骨で、華美で、だからこそ悪趣味で、美しい。
そんな生き方を徹底した高山さんの世界、たくさんの方に触れていただけたら・・・と友人として改めて願うような気持ちです。
高山さんの原稿は本になった分は全てラブピのサーバーから削除していますが、以下、体調が悪いなか、丁寧に書いてくださったコラム一覧ページです。ぜひ読んでいただきたいです。
https://www.lovepiececlub.com/author/takayamamakoto.html