イスメネ:今度は私たちの番――二人だけが取り残されて――考えてもぞっとする、私たちは他の誰よりも惨めな最期を遂げるに違いない、もし掟に背いて王のお触れを無視し、王の権威を脅かしでもしたなら。何よりも、私たちは女であることを忘れてはならない、だから男の人と争ってはだめ、自分より強い者と争っても決して勝てはしない、それならやはり今度のことも、そしてたとえもっとも辛いことでも、相手の言い附けどおりにするしか仕方ないでしょう。[…] 今の世の支配者の言葉通りするしかない。
アンティゴネ:あなたは自分の好きなようにしたらいい。私は自分一人の考えでポリュネイケスを葬ってあげるだけのこと、それで死ねと言われようと、私は、一向、構いはしない。自分が愛した者と一緒になり、神々からは愛されて、この身は罰を受けても罪の意識は全く持たずに死んでゆけるのだもの、それは私が生きている者より死んでしまった者への真心を何より大事にするからでしょう。
(ソポクレス、福田恆存訳『アンティゴネ』より)
2014年初詣ランキングに靖国神社が全国5位となり、昨年に比べて参拝客は8倍となったと伝えられました(3日間で約245万人)。この急増は、2013年12月26日、突然行われた安倍晋三総理大臣の参拝が大きく影響していると考えられます。この8倍という数字に立ち止まって、この数字のもつ政治的意味を考えてみましょう。
みなさんは覚えているでしょうか。靖国神社の公式参拝、あるいは総理大臣の参拝をめぐっては、憲法における「政教分離原則」をめぐって、長きにわたる論争があります。また、中国や韓国から大きな批判を浴びて、いったん総理大臣が参拝を取りやめるようになったのは、1985年の中曽根康弘首相(当時)が「戦後政治の総決算」路線の一つとして、終戦記念日に公式参拝して以降です。そして、つぎに靖国神社参拝を行ったのは、小泉純一郎首相(当時)です。安倍首相も、初詣直前という時期をさまざまな政治的判断――おそらく、この時期がもっとも外交的に問題とならない、とくに合衆国に対しては、仲井眞沖縄知事に名護市への米軍基地移設を認めさせたという手柄をたてたのは前日でした――から選びましたが、2001年8月13日の小泉さんの影響で、この年の終戦記念日には前年の2倍のもの人が参拝しました。
小泉さんの終戦記念日直前の参拝は、「国の宗教的活動を禁じた日本国憲法第20条に違反し、信教の自由を侵害された」として福岡地裁に訴えられました。国家賠償は認められず、訴えたひとたちは裁判には負けるのですが、判決理由ではっきりと、「首相の参拝は憲法第20条3項に反するゆえに違憲である」と判断されました。そのさい、「戦没者の追悼を主な目的とするのであっても」宗教的な意味合いをもつとされた理由の一つに、小泉首相参拝後、終戦記念日に前年の2倍の参拝者が訪れたことが挙げられました。
つまり、参拝者増に首相の参拝が影響を与えたことが認められ、宗教施設の一つである「靖国神社を援助」した結果を招いたからです。
でもここで、どうして政教分離の原則がそれほど政治にとって重要な原則なのかを考えてみないといけないでしょう。まず、宗教は信じる者たちのためのものであり、かつて宗教上の違いは、もっとも凄惨な殺し合いを引き起こしました。信じていない人を、無理やり信じ込ませるためには、とても強烈な物理的操作を必要とします。また、かつて魔女狩りといって、宗教の教えに反する言動や態度だけで女性に対して、必ず死に至る方法で魔女でないことを証明させたりしていました。宗教上の女性の扱いは、男性たちが作り上げた秩序を乱す女に対して非常に厳しい制裁を中心としていました。そして歴史をふりかれば、まつりごと=祀りごと=政として、そうした強い一体感の下で政治が行われていたこともありました。
ただ、現在のように、社会が複雑化し、国家の力が増大し、しかも、国家がもっとも多くの人を殺傷する能力と実力をもつようになると、可能なかぎり、異なる考えや信条、良心をもった多様な人びとがなんとか合意できるぎりぎりのルールだけで、わたしたち一人ひとりが必要とする生活に関わるニーズに応えるための仕組みが考えられようとしました。そのぎりぎりのルールを、憲法の下での政治システムと呼び変えてもいいでしょう。
自分自身について考えてみれば、生まれてくること「と」死ぬことはとても個人的で、誰にも代わることができない経験です。一人として、その経験は同じではありません。そして、一人ひとりの異なる経験としての死を、身近に看取る人たちにとっても、異なる人生を生きた別々の人の死であるために、まったく異なる意味をもっているはずです。亡くなっていく人たちは千差万別であり、弔う人も千差万別。この両者を掛け合わせれば、その無数の弔われ方には、目がくらむほどです。
だからこそ、まさに死を追悼する儀式でもある宗教と政治を切り離しておく、という考えは、わたしたちの大切な人たちとの関係性、想い、記憶、そしてその人亡きあとの自分にとっての未来への誓いといった、さまざまなわたしたちの考えを尊重することにつながっています。
2013年8月15日安倍晋三首相は、全国戦没者追悼式における式辞で、つぎのように述べました。
いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。
1985年中曽根首相の公式参拝後、靖国神社に合祀されている戦死者の遺族たちが靖国違憲訴訟を起こしたことが物語っているように、遺族の気持ちは誰にも代弁できません。また、女性たちが当時経験した、戦争のもたらした苦闘・苦難など、ここでは一切語られません。戦争に反対して獄中死した人、拷問を受けた人、非国民とされた人もここでは追悼されません。
ひとの死を国家のための「犠牲」とすること、「国家」のためにあたかもわたしたちが生きていることを言祝ぐことは、宗教と政治を分離してようやくたどり着いた、様ざまな異なる人生を送る人たちのニーズに応えるために国家は存在する、という政治の智恵を踏みにじる行為ともいえるのです。小泉首相時の2倍から現在の8倍へ。ますます、わたしたちの社会は、政教分離という、悲惨な歴史のうえにようやくたどり着いた智恵に立ち止まって考える人が少なくなっているように思います。