幸せな毒娘 Vol.14 被害者からサバイバーへと④ 生き抜くこと
2023.03.17
母は、
「私も子供のころ、お兄さんたちに似たようなことされてきたから、男は皆そういうミスはするものだと思っていたよ」
と、理解しがたい言い訳をしました。母が同じ性犯罪の被害者だったという同情と同時に、同じ被害者なのに加害者の味方になっているというショックがありました。
その後、怒鳴ったり、泣いたり、ねだったり、説得したりと嵐のような年月が過ぎましたが、母の思いは変わりませんでした。寂しさが問題なら、私が大学を辞めて働きながら全ての面倒を見るから一緒に住もうと言ったこともあります。全て無駄でしたけど。
「あなたがまだ子供だから母の気持ちが理解出来ないと思うけど、もっと大人になれば何故母が彼と別れられないのかわかる日がくるよ」
と、父と離婚し寂しかった母にとって、彼の存在がどれだけ大きいのかを訴えてくるばっかりで、彼と別れるという選択肢はありません。むしろ時間が経つにつれて、娘たちに彼とも仲良くしてほしがっていました。そうやって「それでも元は良い人だから」と押しつけ、いろんなことを言い訳に合わせようとするところも父のときと全く同じで、私の母はこんなに男がいないと生きていけないみっともない人間だったんだなと、ガッカリしました。
母は、家族が大好きだった私にそう訴えればきっと心が弱って許してもらえるだろうと、本能的にわかっていたんだと思います。その立派なガスライティングのお陰で私は母を理解しようとも努力したり、それでも理解出来ない自分を責めたりと、長年戸惑いましたし、これ以上ないほど苦しみ続けました。しかし生計が立てられないくらいの経済力がないわけでもなく、能力もある母をそうさせたのは父からの長年のDVでしょうか? それとも子供のころに経験したという性的虐待の後遺症でしょうか? どっちにしろ、私は母を理解することを諦めました。
その男は会うたびに私に優しくしてきました。「色々大変でしょう」と、さも自分はこのことに全く関係のない第三者かのように、私の頭を撫でたり背中をさすったり慰めたりしました。その時私は、その男が相談を装いDVで悩む私に親切にしてきた数年間が全てグルーミングだったことに気づきました。それに気づき急に気分が悪くなって泣き叫んだら、その男は私が韓国に滞在している間だけはホテル暮らしをしながら実家に来なくなりました。しかし私は母がその男とシェアをしている空間だと思うだけで吐き気がするようになりました。ホテル暮らしの彼が可哀想だったのか毎晩心配そうに彼と携帯で連絡を取っていた母を見ていることも、言葉では表せられないほど苦痛でした。私は子供の時に経験した性犯罪でフラッシュバックを起してから車の助手席に乗ることも出来ず苦しんでいたのに。こういう経験は私しかしてないかもしれないという恐怖でいつも孤独な学校生活を送っていたのに。母ならそんな私の気持ちを全てわかってくれると思っていたのに。
それからどれくらい時間が経った後のことだったかは覚えていませんが、時間が経ってもその男のことになるとパニックを起こし発狂をする私の目の前で、その男は走ってくる車に飛び込みました。自分が死ねば許してもらえるんだろ?ってね。幸い(残念ながら)急ブレーキが間に合いその男は無傷でしたが、私はそれからその男にも、母にもそれ以上のことは何も言えなくなりました。感情を見せることも出来ませんでした。ああ、私はどこまで大人たちを理解しなければならなかったのでしょう。
幸い留学で親から物理的に自立出来た私と違って、父に引き取られた妹は父からの持続的なガスライティングと虐待に耐えられず毎日自殺願望に追われていました。父の妨害行為で妹との連絡頻度は段々と減り、久しぶりに妹の近況が聞けた時の妹は、ろくでもない男との関係で出来てしまった子供を親にバレない様にこっそり下したと話しました。
「やっぱりお姉さんには隠せないなぁ」
その時の妹の声はいまだに耳に焼きついています。親にバレない様に、中国の安い違法手術所で手術を受けるしかなかったと説明してくれました。そして手術費を払ったせいで食費もなく、手術後何も食べられていない妹に、(元)彼はゲームに夢中で顔も出さなかったそうです。当時の韓国の文化的には普通の環境で育った子は高校時代に性的関係を持ったりすることはありませんでしたし、子供が出来る――そしてそれを下ろすなんて余計あり得ない話だったので、余計妹の事が心配になって二カ月くらい泣き続けた時期もありました。妹がそうなってしまった過程を知っているからこそ、父も母も許せませんでした。しかしそんな妹との関係も、時間に経つにつれ妹が父のガスライティングに完全に染まることにより疎遠になります。そういった一連の事件の影響か、私の妹はそれから女性とばっかり付き合うようになりましたが、正直適当な男と付き合うよりはずっとマシと思ってしまうのは、私もいろんな虐待の被害者だからなのでしょうか?
私は、30代になった今も私の親の気持ちはわかりません。これからも理解する日は来ないと思います。そもそも被害者が加害者を理解しようと努力しなきゃいけないなんて、バカげた話です。どれだけ私が長女としてしっかり自立心のある子に育ったとはいえ、親という存在は肝心な時自分の子供を守るべきではないのかと。大人たちは子供たちを守らなきゃいけないんじゃないかと。
そんな大人になって振り返ってみると――私は自分が覚えているよりも数多くの性犯罪にさらされてきたんだと思います。幼い時の私は誰かに何を言われ、何をされようが、不愉快に感じてもきっと自分の性格がおかしいんだと自分を疑っていました。目上の人には必ず口答えしないで言うことを聞くという、子供に判断力と疑問を持たせない間違った教育が、女性が「危険に備える前に自分の直観を疑う」という男性に取って好都合な手段になってしまったのかも知れません。
小学3年生のころ、毎日のように家で見てきたポルノの話をしだすクラスメイトの男の子がいました。よくわからない話だらけでしたが、その男の表情や話し方が気持ち悪くて学校に行くと毎日不愉快さを感じました。
小学4年生のころ、寝ている途中、親戚の兄から体を触られます。タイミング良く私の名前を呼んで探していた母のおかげで、眠気が覚めない私に彼は何事もなかったかのように「あんたのお母さんが呼んでるよ」と声をかけました。
ある日は隣の家に住んでいた大して仲良くもなかった男子高校生が私を呼び止めました。少し自分の部屋に入ってきてほしいとのことでした。本能的にその状況が好ましくなかったので、家族と出かけると言いその場から逃げましたが、後から父の話によるとその男子高校生は隣に可愛い女の子が住んでいると友達に自慢し町の男子高校生たちを集めていたようでした。それをいう父は喜びで目を光らせていました。まるで自分の物を自慢しているかのような顔でした。田舎では町の人たちによる性犯罪が頻繁にあることを知りぞくっとしたのは、それから何年も経った後のことです。
小学5年生のころ、フレンチキスとただのキスは違うんだと、父は私の目の前で母とフレンチキスを生中継します。親の仲が良いのはとてもめでたいことなのですが、その日はなんだか吐き気がしました。
小学6年生のころ、ローラースケートを滑っていると通りがかりの中学生男子が呟きます。
「おーめっちゃエロいじゃないか」
買い物の時間が長い母といるのが苦痛でデパートの外に一人で立っていると、父よりも年上に見えるおじさんが声をかけてきます。
「あなた、どこに住んでいるの? あ、俺もちょうどそこに住んでいるけど、一緒に帰らないか?」
中学生になると、今度は男性の先生たちが平気で「先生からのアドバイス」を偽ったセクハラ発言してきました。
「あんた歩くときお尻振っているみたいだけど、男を誘惑したいのか?」
小さくて暑くて下着がすぐ透けるちっとも実用性のない制服を着る季節になると、セクハラに遭い泣いて帰る女子生徒の話がよく聞こえてきました。
「隣の学校の誰々ちゃんって知ってる? その子さ、バスに乗っていたら、向こうの男子生徒に胸元を見られたらしくてね。だってほら、男の方が身長が高いじゃん? そんでその男がバスから降りる寸前に見せてくれてありがとうなって、1,000ウォンを谷間に挟んで去ったたらしいよ」
親戚と集まった場で高校生になった親戚の姉さんの体を見ながら、父はこう言いました。
「女はああいう体をしてなくちゃ」
父と道を歩いていると、周りを歩く若い女の子に振り向きながら似たようなことを散々聞かされます。ある日はふと自分が潔癖症になった経緯を話してくれました。
「昔は何回か売春したことがあるんだけど、性病ですごく痒くなってさ。それから売春は一切してないんだ」
父のビジネス関係で知り合った大学の教授は、その場に私がいるのを忘れたかのような発言をします。
「私の娘ももう高校生だけど、最近の女の子たちは成長が早くてね。娘が友達を連れてくると想像しちゃうよね」
生理不順で通っていた婦人科で、男のお医者さんは母との世間話の途中こんなことを話しました。
「俺の男友達は皆俺のことをうらやましがるんですよ。女のおまんこが毎日見られるから恵まれてるってね。実際のところ、毎日同じの見てると正直どうも思わなくなるんですけどね、ははは」
私が経験したことを話すだけで私をフェミニストと呼ぶ男たちは私に「全ての男がそんなことをする訳じゃないんだよ。一部だけさ」と言い聞かせます。しかし私たち女性からしたらその一部の男はどこにでもいるわけで、家でも、学校でも、病院でも、電車でも、道でも、トイレですらも安心できません。
少女は一体誰を信じて生きていけば良かったのでしょうか。
そして私たちは一体どうやって生き残れば良いのでしょうか。
たまにその方法が分からなくて明日が見えません。