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原発容認政権と改憲の危機

深井恵2013.02.04

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衆議院議員選挙の結果は、予想していた通りの恐ろしい結果だった。あそこまで自民が議席を増やすとは・・・。そして、「反原発」が投票の決め手とならなかったとは・・・。原発事故による多大な損害を受けた福島県浜通でさえも、自民が議席を獲得したというから驚きだ。原発の可否が全面に出ない選挙となってしまったのは、原発事故直後から続く、マスコミの巧みな操作なのだろうか。昨年11月11日に首相官邸前で行われた大規模な反原発デモ(「反原発100万人占拠デモ」)も、ほとんどマスコミは報道しなかった。マスコミを操作する力が背後にあるのだろう。

昨年12月30日、日本国憲法に第14条「法の下の平等」と第24条「男女平等」を草案したベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなった。彼女も改憲の動きに懸念を示していたという。2013年1月3日の朝日新聞の記事によると、彼女の最後の言葉は、日本国憲法の平和条項と女性の権利を守ってほしいという趣旨だったという。戦争放棄、男女平等、言論の自由などなど、憲法に謳われてる崇高な理念が、覆されないとも限らない政権になってしまった。

福島の現状をきちんと報道しようとするジャーナリストに対する圧力も続いているようだ。月刊報道誌『DAYS JAPAN』編集長の広河隆一さんに対し、「警戒区域に入った」という「罪」で、南相馬著への出頭を求めているという(詳細は『DAYS JAPAN』2013年1月号をご参照ください)。昨年11月に私自身も福島県に行き、「立ち入り禁止区域」のそばまで行ってきた。警察官が複数監視していて、近寄らせないように厳重に取り締まっていた。

いったい誰の何のための「警戒区域」なのか。この「警戒区域」に許可無く入った人は、「災害対策基本法違反」や「地震防災対策特別措置法違反」「原子力災害措置法違反」等に問われるようだ(違反者は10万円以下の罰金または拘留)。なぜ警戒区域の取材を規制するのか。法律そのものはどのように書かれているのか見てみると・・・。
「原子力災害措置法」(太字ゴチックは筆者による)

第一章 総則 (目的) 第一条  この法律は、原子力災害の特殊性にかんがみ、原子力災害の予防に関する原子力事業者の義務等、原子力緊急事態宣言の発出及び原子力災害対策本部の設置等並びに緊急事態応急対策の実施その他原子力災害に関する事項について特別の措置を定めることにより、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律 (昭和三十二年法律第百六十六号。以下「規制法」という。)、災害対策基本法 (昭和三十六年法律第二百二十三号)その他原子力災害の防止に関する法律と相まって、原子力災害に対する対策の強化を図り、もって原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護することを目的とする。
災害対策基本法
(市町村長の警戒区域設定権等)
第六十三条  災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、人の生命又は身体に対する危険を防止するため特に必要があると認めるときは、市町村長は、警戒区域を設定し、災害応急対策に従事する者以外の者に対して当該区域への立入りを制限し、若しくは禁止し、又は当該区域からの退去を命ずることができる。

警戒区域内は人っ子一人いない状況だろう。立ち入り禁止にはなっていない飯舘村の中を夜間、車で走ったときも、街灯は点いていたが、民家からの灯りはほとんどなかった。牛やダチョウが野良となって歩き回っていたり、あるいは大量に餓死した豚や鳥などの遺体もあるという。そうしたフクシマの現状を写真や映像として報道し、「人の生命又は身体に対する危険のある」原発は必要だと思うのか、賛否を問うべきではないか。報道を規制し、事実を伝えないことによって、逆に「人の生命又は身体に対する危険」を増長させているとしか思えない。

群馬県前橋市のワカサギから基準値を超えるセシウムが検出され、ワカサギの「キャッチ・アンド・リリース」をせざるを得ないという事実も、マスコミは大きくは取り上げていない。今回の年末年始に「警戒区域」から避難している住民が自宅に戻ってよいとされ、「やっぱり我が家が落ち着きます」等といったコメントを報道していた。我が家が落ち着くのは当たり前だ、その我が家を奪ったのは何なのか、そこには一言も触れない報道だった。

先日、園子温監督の映画『希望の国』を見た。福島原発事故後、長島県(という架空の場所。だが、監督はこの名前に、広島・長崎・福島の意味を持たせている)で、新たな原発事故が起きてしまったという設定だ。原発事故をテーマに扱った映画を制作するのは容易なことではなかったに違いない。園監督は、原発事故をなかったものにはできない思いでこの映画を撮っている。
原発事故後、「絆」という言葉がはやった。「夫婦」が、「家族」が、「地域」が支え合う姿が、美しく報道された。しかし、「愛があるから放射線に勝てる」ものでもないし、「愛」ゆえに相手の命を奪う(無理心中)こともある。この映画には認知症の女性が登場し、「帰ろう」と何度も口にする。その女性の夫は「ここが家だから、ここが帰るところだよ」言ってみたり、「ああ、あと少ししたら帰ろう」と合わせてみたりする。園子温監督の著書「非道に生きる」(アイデア・インク)の中で監督は、帰ろうと言っても、帰る場所を指しているのではなく、過去に帰ろうという意味があるという趣旨の説明をしていた。原発を選ばない過去もあったはず・・・。確かにそうなのだろう。ただ、女性が帰りたい家は、夫の家ではなく、自分の生まれ育った家なのかも・・・と、また斜めから見てしまった。

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