11月の三連休に福島に行ってきました。東京駅から新幹線で福島入りしたのですが、福島に近づくにつれて、後頭部が重たくなってきて鈍い痛みが始まりました。新幹線のトンネルの空気圧の影響か、それとも放射線の影響か・・・。日頃、携帯電話で通話していると、携帯電話接触している側の頭部が熱く痛くなってくるので、電磁波等に敏感な体質なんだろうと思っていたし、原発事故後、東京に行った際にも、いままで感じたことのない症状になり具合が悪くなったので、放射線が少なからず影響した症状だろうと判断していました。この頭痛は、福島県でも放射線量の低い石川町にいる間は症状が和らぎ、九州に戻ってからはすっかりなくなったので、放射線に身体が反応していたんだろうと思います。福島では、知り合いから借りた放射線測定器を持って、行く先々の放射線量を量りつつの行程でした。
モニタリングポスト
人の背丈ほどの大きさの、白い円筒形の放射線量を測定するための計測器です。このモニタリングポストは、各公共機関やさまざまな場所に設置されているそうです。放射線量がデジタル数値で表示されています。太陽光発電で動いているようでした。福島駅のそばにもありましたが、目立つようにではなく、ひっそりと設置されているような印象。福島の知り合いによると、モニタリングポストを設置する際、まず、設置場所は徹底的に「除染」され、計測器のセンサーは金属に包まれているため、数値が低く計測されているということでした。また、夜間は測定値が表示されず、某公共機関では、誰か訪問者がくるとまずモニタリングポストを徹底的に磨くそうです。何のために放射線量を測定しているのか。「安全・安心」だと「科学的」に数値として示すため? 実際の放射線量より低い数値が計測され表示され、データとして蓄積される・・・。誰のために、何のために計測しているのか、不信感が募りました。
「除染」という名のまやかし
「『除染』すれば放射線の数値が低くなる」と頻繁に報道され、「除染」作業の様子もニュース等で見かけました。しかし、その場所から別の場所に放射線が移動するだけで、なくなるわけではありません。福島の知り合いは「移染」というべきだと言っていました。福島県内では、「除染」され大きな袋に入れられた表土が、行き場もなくそのまままとめられて置かれていました。自宅の庭の「除染」した土の置き場所をめぐって、隣近所と言い争いになってしまうという悲しい事態も起きているそうです。置き場が無くて、自宅の玄関先に「除染」した土を置いている家庭も多いとのこと。たわわに実った柿の木があちこちにありましたが、放射線汚染により食べられないため、そのままにされていました。本当に全て「除染」しようと思ったら、山々の木々を全て切り倒して、山々の土を全て削り取って、どこか別の場所へ持っていかなければなりません。そんなことは不可能でしょう。「除染」した土は着払いで東京電力本社へ送ってやりたい、そんなことを考えてしまいました。放射線で汚染された土地は、国が責任を持って買い取り、汚染されていない別の土地を提供すべきだと福島の知り合いは言っていました。
外で遊べない子どもたち
放射線から身を守るために、屋外にいられる時間に制限があります。グランドや砂場で遊べなくなった子どもたちは、室内で遊ぶことを余儀なくされています。福島県立美術館を訪れたとき、美術館の広いロビーでは、室内に作られた「座布団の山」で子どもたちが遊んでいました。広いスペースのある公共施設の室内では、外で遊べない子どもたちのための遊びの施設をさまざまに工夫してつくっているそうです。東京電力は、当たり前に外で遊べていた日常を、福島の子どもたちから奪っています。
余談ですが・・・猪苗代湖
福島県にある猪苗代湖の水利権は東京電力がもっているそうです(いままで知りませんでした)。福島の原子力発電所は東京電力のものです。福島の原子力発電所でつくられた電力は、東京まで運ばれます。福島県の人たちの使っている電力は、東北電力がつくっています。
南相馬市
立ち入り禁止区域のそばまで行ってきました。ガードレールを道路に垂直に設置して通行止めにしていました。警察官が監視していて、写真を撮っていると「マスコミの方ではないですか」等と圧力をかけてきました。道路標識には「災害により通行止め」と電光掲示されており、「放射線により」とは一言も書いていませんでした。高速道路を通っていても「災害により・・・」の表示。「原発事故により」「放射線により」という表示は一つもありません。無意識なのか意図してなのか・・・。原発事故後、初めて耳にするような言葉(「無主物」「除染」等も)は、原発事故が起きる前から準備していた言葉なのでしょうか。
浪江町
「警戒区域」で入ることができない地域のある町です。たまたまたどり着いた市町村境のところに牧場があり、牛の鳴き声が聞こえてきました。「牛が出ます」と注意表示があり、人々が避難させられて牛の世話をする人がいなくなり、牛たちは餓死するしかないまま置き去りになっていました。餓死したと思われる牛の頭蓋骨がそばに置かれていました。放射線量が高く、持っていた測定器の警告音が鳴り響き、慌てて車内に戻りました。
飯舘村役場
人のいない村役場でした。夜、飯舘村を通って福島市へむかいましたが、街灯は点いているのに、民家の灯りはほとんどありませんでした。放射線により人が住むことのできない場所になってしまっているのです。福島第一原発に近い大熊町も全町警戒区域だったところが一部解除されたようですが、町の大半は、5年間は戻れない「帰還困難区域」のまま。原発を存続し続けている限り、人の住めない地域が増えてしまう恐れはなくなりません。
第二次世界大戦中、日本でも原爆をつくろうとしていました
福島県の石川町で、1945年4月から8月にウラン採掘の作業に動員された、当時中学生だった方から、直接お話を聴き、採掘現場まで行くことが出来ました。石川町はさまざまな鉱物が取れる場所として世界的にも知られているところだそうです。結局ウランは採れなかったようですが、もし採れていたら、原爆を日本もどこかの国に投下していたかもしれません。石川町も大戦当時、爆撃を受けたそうです。
報道されないフクシマの現状
フクシマのことがほとんど報道されなくなっています。報道されたとしても、「復興」したこと、「福島は元気です」といった内容が多くを占めています。みなさんもぜひ、福島を訪れてください。大手マスコミが報道しないフクシマのいまがわかります。何の解決もしていない原発事故、放射線の生活への影響等々。衆議院選挙後に、一刻も早く解決の方向へむかえばいいのですが、選挙結果に嫌な予感がしている今日この頃です。