幸せな毒娘 Vol.8 愛ではありませんでした ③
2023.02.03
私を父からキチンと離させてくれたのは、東京のある女性のための本屋さんで出会った*『DV・虐待加害者の実態を知る あなた自身の人生を取り戻すためのガイド』という本でした。そこには虐待をする人たちのパターンと事例がたくさん書いてあって、私の人生を壊してきた人たちがその本に出ている数多くの虐待者たちと、同じ学校でも卒業したかのように全く同じ行動をしていることに気づきました。そうすると不思議なことに、今まで自分の心を縛り付けていた重たい荷物は氷が解けたかのように消えてしまったのです。私がおかしいわけではなかったんだと謎が解け、親不孝という罪悪感からも解放されました。今まで殴られたことの中で、本当に私が悪かったことは一度もなかったことに気づいたのです。そもそも殴られて良い人なんていません(強力犯は人じゃないので論外です)。それから私は色んな加害者や人格障害に関する本を読み続け、そういう「捕食者」を事前に見分け自分と周りの大事な人たちを守る力を身に付けていきました。
*前回お話したWhy does he do that?の和訳版タイトルです
捕食者は自己愛性人格障害を持っています。とは言え、決して私たちが配慮してあげなくてはならない存在ではありません。他の障害とは違い、彼らは人の魂を餌にして生きます。自己愛性人格障害と言えばサイコパスやソシオパスを思いがちですが、今回は私たちの日常により近い存在であるナルシシストについて語ります。ナルシシストと言うと日本では単純にうぬぼれている人(または自分の外見がイケていると自分に酔っている人)に使う言葉として通用しているでしょう。
しかし英語圏でのナルシシストと言う言葉は一種の人格障害として取り扱われ、ものすごくヒドイ悪口として使われるか、より深刻な社会問題として扱われています。言葉その通りの自己愛の強いパーソナリティー障害であって、サイコパスもソシオパスもナルシシストの傾向を持っているのですが、非専門家にはその境界線が曖昧な場合もあるので、ここではナルシシストを包括的な言葉として定義し説明していきます。
ナルシシストの特徴としては簡単に言うと、見栄っ張りサイコです。(悪い方向に)プライドが高いため常に自分の能力以上の見返りを求め、人に認められるために他人を利用したり虐待したりしながら自分の自尊感情を満たしていこうとする人です。彼らは現実がどうであれ、自分たちは他人より優れていると本気で思っているので平気で嘘をついたり人を傷つけたりとしますし、騙されたり餌になる方が愚かだと思っているので、自分以外の人の感情には興味がありません。彼らの心の根底には現実と理想の差による強い劣等感があるらしいです。理論でだけ説明しても理解しづらいと思うので、これから私の父の行動を一つ一つ例に挙げて説明していきます。
まず私が何度も言葉にしている「私が悪い」という感情なのですが、実はこれがナルシシストたちの恐ろしい手口の一つでした。ナルシシストは「自分は決して悪くない」ので、自分の気に入らない――世の中の悪いことは全て相手のせいだと言います。一種のガスライティングですね。例えば、自分がした借金で家族が債権者に追われないためにした偽装離婚ですが、父はそんな親の離婚が私のせいだと言いました。現実に疲れ、子供が傷つくことに思い至らず感情的に吐き出した言葉ではありません。彼らは相手がひどく傷ついて立ち直れなくなる言葉をよく知っていて、それを発します。だって、大好きな家族の破綻の責任を問われると子供が傷つくと言うのは、そこら辺に潜っているアメーバに聞いても分かることですから。こうやって自分の非を相手に転嫁することによって彼らが自分の責任から逃れているうちに、被害者は段々と自我を失っていきます。それは違う、何かがおかしいとはうすうすと分かっているのですが、虐待者との関係性が近い程その疑いを自分に向け、自分が狂ってきてるのではないかと思わされてしまうのです。
虐待者は自分の気持ちが最も大事です。だから子供が受験に失敗して落ち込んでいる時も、父はすぐに自分の機嫌を伺ってくれない私が悪いと暴力を振るいました。これも元をたどると、周りに先走って自慢話をしておいた本人が一番大きな原因なのですが、虐待者はそういうことはどうでも良いのです。とは言え、彼らがずっとこんな凶暴な姿を見せ続けるわけではありません。アメとムチを交互に与え、ゆっくりと被害者を自分へ服従させていきます。たっぷりの愛情表現と不安(恐怖)を交互に与えることで、被害者はその激しい波に飲み込まれ、相手からの愛情をより強く求めるようになってしまいます。私が良い子になれば、良い女になれば、彼はきっと元の優しい姿に戻ってきてくれると。
そしてこういうナルシシストの最も恐ろしい所なのですが、「あなたのせいで理性を失った」と言う状況ですら、彼らは冷静さを保ち、徹底的に計算された範囲内で行動をするということです。私の父が私の頭を踏みながらも「死なない程度」に力を加減しながら暴行をしたことがその良い例ですね。こういうこともあると思います。頭に血が上り、家の中の物を全て投げたりぶっ壊したりしながらも、自分の大事な物だけは壊さず、相手の物や自分になくても大して困らない物だけを壊したりと。今の私の話を聞いて「あっ!」と気づいた方もいらっしゃるかも知れませんね。
彼らはもしかしたら彼らの不幸な生い立ちを言い訳に貴方の同情を買ったかも知れません。しかし不幸な家庭環境が人を鬼に変えると言うことを私は信じていません。本当の人間なら、同じ経験をしていたらより被害者の気持ちに寄り添うことができ、自分は絶対同じ過ちをしてはいけないと反面教師にするはずですから。だから、環境が人を作るという言葉は半分正しくて、半分間違っています。虐待する側は大体男性であって、される側は大体女性であるわけですから、本当に環境が鬼を作るのなら、世の中の強力犯罪を行うのは9割が男性ではなく、女性であるべきなのではないでしょうか。
多くの不幸な女性はトラウマが自分を壊す方向に向ける反面、男性たちはまた新たな被害者を増やす方向に走ります。不幸な生い立ちが犯罪者を生み出すと言う理論―それが単純な性別の問題なのか、それともナルシシストたちが作り出した嘘による統計のミスなのか、女性としての人生しか生きたことのない私はその答えが分かりません。