以前、梅田の地下街を歩いていたら、前にいた若い三人組の一人がこんなことを言いました。
「ぼくが女装をして街を歩いたら、通りすがりの人に恋されちゃうかもしれないね」
するともう一人の男子が「それはいいね」と答えました。端にいた女の子は聞いていたのかわかりません。
三人横並びで、ゆったりとした服を着て、髪の毛の色もみんな違い（韓国風ファッションでしょうか）、歩みもゆったりなので、つい追い越してしまいましたが、もう少し会話を聞きたかった案件でした。
ナンパという言葉はもう死語なのかしら、まあ、ちょっと下品よね。
「恋されちゃうかもしれないね」なんて素敵な言葉は、どう育ったら出てくるのか。君たちは恋をするのかね、と、いろいろ問いただしたくなった私は通り過ぎて正解でした。
女装していたわけでも恋されたわけでもありませんが、先月は知らない人に声をかけられ、その人と飲みに行ってしまうという出来事が続きました。飲み屋to飲み屋です。
出版の営業で横浜の書店を半日まわったあと、約束していた版元の営業さんと新宿の紀伊国屋の前で落ち合いました。そのまま紀伊国屋の裏手にまわり、適当な居酒屋に入りました。
少し遅れてきたもう一人と、三人で楽しく飲み始めます。二人は49歳と35歳の男性。
しばらくして、喫煙室が地下にあるというので一人降りていくと、先客がいました。黒いパンツルックの女性です。パーマを当てた髪をざっくり一つにまとめていました。
私が一本吸い出すと、彼女は二本目を吸い出して、しゃがれた声で話しかけてきました。
「テーブルでタバコも吸えないなんてさ、いったいどうしちまったんだろう。日本はこの先どうなるのかしらねえ」
話しかけられたことに少し驚きながら「そうですねー、世知辛い世の中になってしまって」と返したら、私のことを眺めたあと、そのタバコで私を指して、こうおっしゃいました。
「あなた、二丁目のかた？」
吹き出してしまい、笑いながら「いいえ、二丁目のかたではありませんが、二丁目には行きますよ」と答えると、「あたしずいぶん行ってないんだー、行きたいな―二丁目。ねえ九州男（くすお）って知ってる？」と実在の店名を挙げました。私がうなずくと、「あそこ大好きなの、もう5年は行ってないわー」と言います。
そうなんですねー、と答えようとしたら、「ねえ、電話番号交換していい？ わたし、けいこ」とスマホを取り出しました。交換しながら一階に戻り、どうせこのあと彼らを連れて二丁目で飲むつもりだったので、「一緒に行きますか？」とけいこさんを誘いました。
やだーうれしい‼ と大喜びで席に戻ったけいこさんは隣のテーブルの人でした。もしかすると、私の話し方を聞いていてゲイだと臆測したのかしら。
「ううん、あなた、背筋が伸びていたから」とあとで教えてくれました。
一緒に飲んでいたお友達の女性と営業さんたちと5人で、そのあと九州男に繰り出しました。
男性陣は突然の出会いに驚きながらも楽しんでいるようでした。というか、彼らなら大丈夫だろう、という確信がどこかにあったからかもしれません（そういうのがダメな人もいると思います）。
二度目は梅田で、仕事終わりに一人で、いつも行くスナックに顔を出したら、カウンターの隅で二人の男性がすでにカラオケをしていました。4、50代に見えます。
松山千春や吉田拓郎を歌い合っていたので、頃合いを見計らって中島みゆきを入れてみました。みゆきが拓郎に提供した「永遠の嘘をついてくれ」という大好きな曲です。
私が歌い終わると、その若いほうの人が、目を輝かせて聞いてきました。
「お兄さん、中島みゆき好きなんですか、ぼくは、本当は中島みゆきが大好きなんです！」
本当は、ってどういうことですか。
「本当はみゆきを歌いたいし、みゆきについて語りたいのに、今までそういう人に巡り合わなかったんです！」
まわりに合わせて生きてきたってこと？ 歌いたかったら歌えばいいのに。でも仕事の付き合いだと、みんなが知っている歌を歌わなければいけないと思い込んでいる人たちもいるわよね。苦労してんだね。みゆきなんてあれよ、新宿二丁目のお店に行ったら、一人が歌ったとたん、カウンターにいた全員が次々と自分の好きなみゆきを歌い出すわよ。
そんなことをしゃべったと思います。
すると、「ぼく、東京から来てるんです。もし東京に来ることがあったらぜひ連れて行ってください。ライン交換してもいいですか」と来ました。
快くラインを交換して、しかもその二週間後には、二丁目で一緒に飲んで歌っていました。
ああ、楽しい。二丁目で飲んでいた過去があってよかったわ、と振り返ってしまいました。
それにしても元々二丁目で飲んでいたけいこさんはわかるとして、40歳男性で既婚者の彼が、中島みゆきの一点で、何の抵抗もなく二丁目のお店に行きたい、と言うことに時代の変化も感じます。
それに会話の中で、私がけっこう頻繁に「ノンケ」という言葉を使っていたら、「そんなにぼくはノンケに見えますか」と切り返されたのが意味深長でした。
先日もまた、そのいつものスナックで、初めて出会った45歳のサラリーマンとラインを交換しました。
一人で飲んでいたら、スーツがはだけた50代の男性ばかりの集団が入ってきて、すっかりできあがっていた彼らは大騒ぎでサザンやティーボランを歌い始めました。みんなで合いの手を入れて盛り上がっていきます。その中の一人が常連さんで、私のことを「明菜ねえさん」と呼んでくれている人でした。
「ねえさん、早く明菜歌って！」とカウンターの向こうからけしかけてくれます。
お言葉に甘えて「DESIRE」を歌い終え、ふと横を見ると、その中で一番若そうな男性が隣に座っていました。
舌がもつれた状態で、「お兄さんは素敵ですね」と、なんだかやけにほめてくれます。
「それはありがとう」と返しつつ、（それは今あなたが酔っていて私がまだ酔っていないからよ、でもうれしい）なんて、ほくそ笑んでいたら、「お兄さんはー、あんなやつらとは全然違いますよ！」と、向こうではしゃいでいる上司たちを軽くけなし始めます。
「ぼく、東京から来てるんですよー、お兄さん、よかったら今度一緒に飲んでください。ライン交換してもいいっすか」
私は彼の結婚指輪を見つめながら、何なんだろう、このループ、と心の中でつぶやきました。
