息を吐くように嘘をつく、と昔の人はうまく言いましたが、自分がそんな人と付き合うことになるとは、これまでの暮らしであまり想像していませんでした。
「息を吐くように」ですから、当人にとってもそれが自然なことになっていて、そうすると聞き手も何かそれで支障がない限り、それを嘘だと思わないわけです。
むしろ相手に共感しようとするのが「いい人(私)」の常なわけで、その話はちょっとオーバーだわ、と思っていても聞き流せたりします。
私が出会ったタイプは、「目の前の相手によく思われたい」という欲望がファーストプライオリティで、そのために、どんどん自分を作り変えていくような、嘘のストーリーを吐き続ける人でした。
それでどうなるかというと、あるグループの前で作り上げた物語が、別のグループの前で作り上げている物語と一致しなくなってしまい、結果、聞いている側にはどれが現実だかわからなくなる。というか、そもそも当人にとっては、いくらでも作り変えることができる現実なんてどうでもいいわけだから、周囲の人にとって「なんだか信用できない人」になってしまいます。
ここで本人がそのことに気がつけばいいのですが、気づくも気づかないもなにも、そうやって生きてきたのだから、それがおかしいことになったら彼の人生がぜんぶまちがったことになってしまう。しかも彼の口癖は「俺はうまくやっている」なので、この先、その場当たり的な生き方が修正される可能性は低い。
人に嘘をついていると同時に、自分にも嘘をついているわけです。
「人によく思われたい自分」をつくって、自ら「自分はそうだ」と思い込んでいく。
なぜそんなに、ところかまわず出会った人によく思われたいのか。さみしいのか、承認欲求のかたまりなのか。
その内容も、社会的地位の高さであったり、良き父親像を描いてみたり、若い女からモテる俺だったり、いろんなことを知っている俺だったりして、陳腐極まりない。
しかも、私がよく観察し、身近な人の話を聞いた結果、彼はほぼそう思われていない。
でも本人は、常に事実とは違うストーリーを作り続けている。
それは彼の選んだ生き方だから、ひとまず仕方がないと置くにしても、私は彼との関係を維持していく気持ちにはなれない。
そのいちばん端的な理由は「話がつまらない/会話にならない」でした。
彼のストーリーは、非常によく聞く言葉(常套句)、文章(定型文)、言い方(小芝居)で紡ぎだされます。どこかで聞いたようなセリフを使って、まさしく「イケてる自分」を演じるわけです。それも男尊女卑な昭和の男のままです。まったくイケてない。
すわ島耕作か、半沢直樹か、と最後のほうは胸の内で突っ込むようになっていました(ずいぶん付き合いました)。
つまり、その言葉のほとんどが「受け売り」なわけです。そして咀嚼した痕跡がない。学習能力が高いのか低いのか、よくわからないくらいです(低いわ!=関西弁)。
ああ、でもこの人、出会ったときからこんな感じだったわ・・・と過去を振り返りました。
「イケてる男性(昭和だけど)」を演じるからには、「イケてない自分」はあってはならないことなのでしょう。
「イケてない自分」に向き合うのが常である私にとっては、本当はイケてないのにイケてるふりをしていてしかもそのことに気がついていない人と話すのはかなりしんどい。
さらに彼のイケてないところは、他人Aが自ら話した「Aのイケてなさ」をネタにして、別の人たちの前で笑いを取ろうとするところにありました。
〈人は「自分のイケてなさ」を話すことによって交流を持つようだ。俺はイケてる人間だからそれはできない。だったら相手がせっかく話してくれた「そいつのイケてなさ」を拝借しよう〉
そういう流れかと思われます。
その場にAがいなければまだしも、彼はAのいる前で、「Aのイケてなさ」を笑ってしまう。
私がAなら気分が悪いし、場合によっては憤慨するでしょう。しかも私のネタを使うわりには私より上手にしゃべれてないのでムカつく。それも「受け売り」だから。目の前の相手に合わせず、そのまま垂れ流すだけだから。
後日、同じ被害に遭われた人と意気投合しました。「僕はそれがわかってから、彼には心を閉ざしました」
だよねー! と。
「いい人(私。しつこい)」は彼に傷つけられてもなお、自分がいけないんじゃないか、と思ってしまうので適度な距離を取るまでに時間がかかるものなのです。
マウンティング、DV、パワハラ、嘘八百・・・、様々な言葉と実例を使って、「まったくそういうのイケてへんし、むしろ人を不快にさせてるで!」と、私は彼に指摘の手紙を書きました。この10年で5回は書いて送りました。
謝ったのは最初だけで、それも大げさだったので(まさしく半沢直樹の土下座のように)、その時点で、ああ、この人わかってないわ、と思いましたが、彼も「自分のイケてなさ」に向き合うのはつらかったのでしょう(というか、自分を褒めてくれない人はいらない)。
そのうち私のイケてなさをあげつらうのにエネルギーを注ぐようになり、関係は最悪の状態になりました。
それからいろいろありまして・・・。
彼が会社を去ることになった夏、彼にくっついて仕事のあいさつ回りに出かけたとき、ほぼ口を利かない電車の中で、隣に座った彼が必死に何かをこらえているように感じて、カバンを膝の上に抱いてるその姿を見たとき、50代なのに小学生のように見えました。
「頼れる俺」を今、演じ切ろうとしているのか、と少しせつなくなりました。
人のことばかり言って、私も「彼のイケてなさ」をネタにして書いていることには変わりなく、ただ、これはまとめておかないと、私が先に死んだときに彼のストーリーに変換されるのも癪なので、この場を使わせていただきました。同じ穴の狢・・・。