障害を持っていると、それは健康ではないとみなされる。私は骨が脆くて何十回も骨折してきたから、それだけを言うと健康ではないと言われ、赤ん坊の頃から様々な治療という名の暴力にさらされてきた。
最近、面白い友人ができた。ここではNくんと呼ぶことにする。Nくんは食物アレルギー持ちで、中学生の頃から、母親がいないと自分で料理をしてきたという。生後7ヶ月の時に発症した食物アレルギーにより未だに麦類と蕎麦と卵類、乳製品を除去した料理を摂取している。母親はどんなに注意深く食卓を整えてきたことだろう。Nくんが中学生の頃に、母親から投げかけられた声かけが心に響く。「自分で作れるようになんないと、誰があなたのご飯を作るの」つまり、自分のご飯は自分で作らなければならないのよと伝えたわけだ。
ここで書きたいのは、その親子関係のことではなく、Nくんが健康というものにどれだけ自律的かということだ。私は66歳になった。これまで私自身がどの年代でも、20代の人に介助者として働いてもらうことが多かった。介助を得るということは、身体・行動の自由を確保するということだ。20代の介助者が元気でなければ、私の行動の自由も保証されない。常に介助者の健康を気にかけるのが、私の仕事でもあると思ってきた。
そんな中、最近の20代の介助者たちの健康状態には心が痛い。様々なアレルギーや喘息、アトピーを持っていたり、片頭痛や腰痛、女性は月経困難症に苦しんでいる子がほとんどだ。ただ、すばらしいこともある。私の周りにいる20代は、アルコールやたばこには捕まっていない点だ。しかし自分の体を故意に痛めるようなことをしていないにもかかわらず、持久力があまりない。夜型の人も朝型の人も総じて体力がない。
西丸震哉という学者が40年くらい昔に、41歳寿命説を言っていた。彼の論によれば、食べ物の変化が短命をもたらすと言っていたと思う。また有吉佐和子の『複合汚染』を読んで、様々な食品や、大気や水の汚染が体に出始めるのはいつなのだろうと怯えたものだった。
ところがNくんは、私の周りにいた20代とはだいぶ違っていた。全く自分の体の不調を訴えることなく、持久力も体力も、私が20代、30代の頃に出会っていた20代の人とあまり変わらないことに気付いた。Nくんの食べられるものは限られている。だからこそ、常にNくんは自分の食べるものを自分で徹底的にコントロールしている。
特に、大学生の頃からシュガーフリーを実践し、一切の清涼飲料水、スポーツドリンク、アルコール類を摂っていない。20代の人の中で、Nくんほど注意深く食を摂っている人は見たことがない。食べることは、より良く生きることのベースだ。しかし、この経済至上主義社会は、人々の食欲やインスタント食品の安さ手軽さを利用して、危険なモノを食べ物として売りまくっている。その結果は、様々な自然環境の破壊にも繋がっている。
人間にとって最大の環境は、自分の身体である。私たちはその体を、食べ物のマーケットとして扱われ続けている。品種改良で、いろいろな野菜や家畜が、50年前とはまるで違ったスピードと体裁で出回るようになった。もちろん、それぞれのおいしさの確保も大事だが、それ以上に、どれだけ消費者に訴えることばかりが重要になった。
私は小学校4年の夏休みの自由研究で、「危険な食べ物」という作品を作った。当時、AF2や赤色2号、チクロなどの発がん性があるという添加物が、10数年使われた挙句に危険だということで話題になり、使用禁止になっていった。私は自分にされた医療介入も社会全体として禁止されればいいのに、と無意識のうちに願っていたと思う。コカコーラやファンタなどの清涼飲料水に妹の乳歯を入れて実験したり、アイスシャーベットの様々な色で髪や布を染めたりしてみた。
Nくんに会うまで、私は食べ物と自分の体、健康についての考えを積極的に学ぼうとしている20代に出会ったことはなかった。私が20代だった頃の友人たちは、凄まじいアルコール汚染を身体に繰り返していた。それが若さの象徴であるとさえ、皆、思っていた。今認知症やアルツハイマーの人たちが増えているのは、背景にアルコールがあると私は思っている。
またアルコールだけでなく、砂糖・カフェイン依存も、戦後の高度経済成長とあいまって、急速に進んできた。Nくんの食生活には、それら2つもまったくない。さらに言えば、彼は野菜づくりをし、添加物のない食品を選び、調理する。どこに行くにも、自分が食べられる食物を持って移動する。その様子は、呼吸器をつけて移動する人が、様々な器具を持って移動する様子にも似ている。
だからこそと言うべきか、彼はニューヨーク市立大学で障害学を学んでいる。その前には、食べることについて学び、研究し、起業することも考えて、ニューヨーク州立大学に3年留学していた。
この世界の、「なんでも食べられることがすばらしい」という認識は、ある種の暴力でさえあると思う。彼の望む世界は、食べるものについての自由が十全に確保される世界ではなく、食べられない食品について強要されない世界。それは歩くことを強要されてきた私たちの歴史と状況にも似ていた。歩けなくても移動の自由は確保されるべきで、それぞれの体が十全にすばらしいと思えるために、社会の側の変革への努力が必要だという点で、私たちは深く共感した。