2007年、3学期が始まりました。冬休みの課題チェック、課題考査の採点などなど…日常業務の始まりです。
今回の冬休み課題の一つに、「冬休み中に起きた事件・出来事などで印象に残った事柄を一つ書き記して一言感想を書く」というのを出題していました。「兄に妹が殺害された事件」を取り上げていた生徒や、「高校サッカーの全国大会」を書き記していた生徒など様々な出来事が書かれていた中に、
「防衛庁が防衛省になったこと。昨年の教育基本法改正に続き、また一歩日本が戦争をする国へと歩みを進めたようで心配だ」
と、書いていた生徒がいました。鋭い視点にびっくり。
実はこの3学期、1回目の授業の冒頭で、1月4日付けの朝日新聞に掲載されていた澤地久枝さんの「憲法60年 明るい年にしていくために」という文章を参考に、防衛庁が防衛省になった話を絡めて話をしようと計画を立てていたのです。
政治に対して自分たちにできることはたくさんあること。その一つに、みんながあと1、2年すれば手に入る選挙権を行使して投票をすること。政治家の日頃の言動をよく見ておいて、この人になら任せられるという人に1票を入れよう。4月から就職して働く人は、税金を納めることになるから、その税金が何に使われているのか注目していこう。また、将来、政治家になって活動することもできる等など…って話をしました。生徒たちの将来に期待しています。
さて、前段が長くなりましたが、昨年末の「両性の自立と平等をめざす教育研究会」での両性具有の話を友だちにしたところ、両性具有に関する新たな情報を教えてくれたのです。次々と仲間や世界が広がります。
その友だちは能やお仕舞の造詣が深く、私も大いに刺激を受けています。その友だちによると、白洲正子の文章に「ふたなり」っていうのが出てきて、日本の古典にも両性具有がたくさん描かれているらしい、白洲正子本人も両性具有ではなかったかと言ってる人がいるみたいとのことでした。
さっそく本屋さんで白洲正子の作品を検索。(…恥ずかしながら、今回友だちに紹介されるまで白洲正子の本を読んだことはありませんでした)。すると『両性具有の美』(新潮文庫)がヒット。本の裏表紙の紹介文には「光源氏、西行、世阿弥、南方熊楠。歴史に名を残す天性の芸術家たちが結んだ『男女や主従を超えたところにある美しい愛のかたち』とは?。薩摩隼人の血を享け、女性でありながら男性性を併せ持ち、小林秀雄、青山二郎ら当代一流の男たちとの交流に生きた白洲正子。…」う?ん、なかなか興味深い。
細かい記述は避けますが、その本によると、大伴家持や西行の男色と思しき記述が残っていることを始め、世阿弥の作品に男色の優雅な風情について触れていること、「光源氏こそ両性具有の最たるものであった」とも記されていました。こんな視点で家持や西行、そして光源氏や世阿弥をいままでの自分の国語の授業で語ったことはなく、「目から鱗」でした。
光源氏をプレイボーイやロリコンとして語ったことはありますが…。
現代文の授業で夏目漱石や井上ひさしの文章を扱うときには、彼らがDV夫であった側面にも触れるようにして、DVが身近な問題であることに言及していますが、男色や両性具有について古典の授業で触れたことはなく、自分にとって新たな「発見」でした。
古典の授業で同性愛や両性具有なども語ることができれば、昔からあたり前にあったことで、現代始まった珍しいことではなく、自然な人間のあり様の一つだと生徒に伝えられます。
こんな観点から書かれた指導書を手にしたことはなく、幅広い教材研究をしていくには、様々な人と語り合い、いろいろな情報に触れることが欠かせないとお正月の読書で実感したのでした。