う~ん、暑いかと思ったら寒くなるし・・・。この時期にインフルエンザにかかってしまう子どもたちもいて、中には学級閉鎖になった小中学校もあったとか。
ゴールデン・ウィークも終わり、そろそろ5月病になっちゃう人もいるのでは? 年度替りの4月の疲れが心身ともに出てくる時期です。みなさん、肩の力を抜いてマイペースで行きましょう。
さて、先日、あるテレビ番組で「禁断の同性愛の楽園」ってことで新宿2丁目が取り上げられていました。それほど深夜でもない時間帯だったので、中高生も目にする番組ではなかったかと思いましたが、その取り上げ方やいかに?
その番組、たまたま友だちから「家族が別の番組見てて、見たいのに見られないから録画してもらえない?」って連絡があって録画したため、じっくり報道の仕方を観察することができました。それはメディア・リテラシーの重要性を確認してしまった番組だったのです。
気になったナレーターのことばを、いくつか挙げてみましょう。
オープニングでは・・・
「男と女の境界線を踏み込んで、人間がどこまでも自由になれる場所なのかもしれません」
「いや~、ここまでお見せしていいものか、いささか悩んだんですが、これも現実。では、禁断の園にご案内しましょう」
「夜ごとお祭り騒ぎが繰り広げられる一角。そう、ここが、新宿2丁目なんです。300メートル四方に、個性豊かな飲み屋さんがざっと300軒あまり」
「どうです。こんな格好をした人たちが平然と街を歩き、道行く人も決して驚いたりしないんですね」
「店にはこの街で行われるさまざまなイベント情報が集められていました。いずれも何だか怪しげに見える催し物ばかり」
大げさに「怪しさ」を作り出し、いかにも「普通じゃない」と言わんばかりのナレーターのセリフに、のっけから嫌気がさしてしまいました。これでは差別と偏見の垂れ流し。誤解が誤解を生む悪循環です。もしかしたら自分は同性愛者ではないかと思い悩む中高生がこの番組を見たら、「自分は異常じゃないか」と誤解してしまいそうです。報道に携わる人たちは、きちんとした人権意識に立って番組を制作してほしいものです。
ビアンバーの紹介では・・・
「いったい、どんな世界が待っているのやら。何せそこは、滅多にテレビカメラなど入れない空間です。期待と不安を抱えていざ会場へ」「それにしても度肝を抜かれる光景でした」
同棲中の女性同士のカップルについては・・・
「こう言っちゃなんですが、ままごとのような暮らしぶりでした」
「10年後、彼女たちがどんなふうに生きているかは誰も知りません。真夜中の新宿2丁目は、世の中の常識や世間体から逃れてきた人々の解放区なのかもしれません」
「ひょっとするとみんな、普段は恐ろしく寂しいんじゃないんだろうか。だからこの街にきて寂しさを埋め合わせてるんじゃないだろうか。そんな想像がわいてきます」
いかにも、女同士のカップルは子どもじみていると言わんばかりの、女性を一段低く見た視線。「普段は恐ろしく寂しい」のは、何も同性愛者の人たちではなく、むしろ「正常」だと言われ自らもそう思って疑っていない、異性愛カップルにこそ、当てはまるのではないでしょうか?
番組スタッフ(男性)が男性からキスされたシーンでは・・・
「くちびるを奪われてしまいました。初めての体験。腰が砕けちゃいました」
男性同士のカップルについては・・・
「カップルの中には60年配と20代の姿もありました。目を覆う人もいるかもしれません。でも他人を巻き込んだり、傷つけたりしない限り、人は自由なんです」
男性が女性用の服装を着て楽しむコスプレについては・・・
「そこは知る人ぞ知る女装バー。驚いてはいけません。世の中にはそんな人々を目当てにやってくる男性というのも存在するんです。なんだかめまいがしてきますが、これも現実」
自分の住む世界以外は理解しようとしない、できない人たちによって、この番組は制作されている、そう確信しました。
昼間の新宿2丁目については・・・
「新宿2丁目は、傷ついた心を抱えた者たちが寄り添う街。そしてつらさや切なさを吐き出す街」「新宿2丁目は、昼間になるとまったく違った別の顔を見せます。スーツ姿のサラリーマンが行き交い、学生やOLが闊歩する街に、真夜中の怪しい気配は微塵もありません」
午前3時の新宿2丁目については・・・
「世間から少しだけはみ出した人たちの夜は、まだまだ終わりません」
あくまでも自分たちとは違う世界の人間として扱い、はみ出し者として扱う。自分の隣にいる人が、自分の友だちが、自分の家族が、同性愛者や性同一性障害だったら・・・なんて考えたことないんでしょう。
こんな番組には抗議の声をあげ、こんな番組を鵜呑みにせずに批判的に捉えられる、そんな力を身につけさせたいものです。折角録画したビデオ・テープがあるから、批判しながら生徒と一緒に見てみるのもいいかもしれません。