北海道に来て8年になる。その前はニュージーランドに3年住んでいた。東日本大震災の原発事故で放射能からの避難だった。私は40歳で子供を産んだので、娘の命を守るためなら何でもするし、どこにでも逃げようと思ってのことだった。それで原子力を国に持ち込まないという法律のあったニュージーランドに逃げたのだった。そこで出会ったマオリの人たち、ニュージーランドの先住民の人たちと仲良くなった。そのこともまた書きたいが、今回は、先日再会を喜びあった、北海道の先住民、アイヌの友人のことを書くことにする。
彼女の名前は、アシリ・レラさんという。彼女に初めて出会ったのはニュージーランドだった。ニュージーランドへの避難仲間の人たちが、アイヌとマオリの人たちの出会いと交流のイベントを企画し、そこにアシリ・レラさんが招かれていた。私が会った時はそのイベントはもう終わっていた。私と娘が他の人とは違った体を持っているということに、彼女は驚いたようだった。そして、感動した声で「よくこっちに逃げてきたね」と繰り返した。最後には、彼女の作ったアイヌ刺繍による小物を、いくつもいくつも私たちにプレゼントしてくれた。同時に、必ず北海道にきたら自分を訪ねるように、と伝えてきた。
だから2014年から北海道に移り住んだ私は、2年後の16年には彼女を訪ねた。この時も娘と一緒だったので、「いっぱい食べなさい、泊まって行きなさい、お土産にこれも持って行きなさい」と大歓待をしてもらった。ただその日は大雨で彼女の家に留まることは難しく、早々に引き上げざるを得なかった。
それから6年、本当に久しぶりに彼女を訪ねた。そして今回は彼女の側で数時間を過ごし、少し話を聞くことができた。
私がその昔、彼女のことを初めて知った時には、彼女はお産婆さんということだった。しかしその後、アイヌの人たちが社会的に、非常に厳しい差別や抑圧の中を生き延びてきたことを知った。だから、そんな中お産婆さん=助産師さんという資格をもし取っていたとしたら、どのようにそれを取ったのかをずっと聞きたかった。「レラさんはどのようにしてお産を手伝ったのですか?」と聞くと、「資格は持ってなかったよ」とあっさりと答えてくれた。
無資格で和人の若い女性の出産等を手伝い、行政に酷く追い詰められ、「今はもうそれはしていない。難産の人も多くなって、もう危ないの」ということだった。彼女は約40人の、病院にきちんとかかることのできない、あるいはかかりたくないと思っていただろう若い女性たちの出産を手伝ってきた。法律では出産は必ずしも病院で、とは言っていない。今でも自宅出産を選んでいる人もいる。ただその時でも、専門的な資格を持つ助産師さんの立ち会いは必須のように言われ、思われている。出産は病気ではないと言われるが、若い女性たちの生活の有り様がどんどん変わってきたから、アシリ・レラさんのところで産んだ人たちには様々な事情があったことだろう。
約40人の新生児を取り上げ、その中には難産で生まれた赤ちゃんもいて、大変なことも多々あったらしい。彼女自身は6人の娘の母親だが、出産以外の育ちに関わった子供たちの数は、50人とも60人とも言われる。彼女は、彼女の目の前にある命が助けを求めていると見えたら一瞬にしてそれを了解し、必要な手を差し出す。それは上から目線の助けてあげるという感じでも全くなく、相手が余計なお世話だと感じるようなお節介的なものでもない。
過酷な自然と共に生きてきたアイヌの人たちにとっての出産の現場は、女性が力を合わせて行うカムイの身の儀式にも近いものであったろう。今回、レラさんの話を聞いている時に多分妊娠して7週目だという女性がいた。レラさんに繰り返し「体を大事にするんだよ、でも暮らしは普通にするんだよ」と言われていた。
また、レラさんの側には、25年間彼女が共に暮らしてきた知的障害を持つN子さんが居た。N子さんは東京生まれ。どんな事情があったのかは聞かなかったが、親に連れられてレラさんの所に住み着き、そのままずっと彼女の元で暮らしている。介助という役割をになっている人は、はっきりとはいなかったが、レラさんのオープンなコミュニティーの中で彼女は隔離されることなく、色んな人の間で過ごしていた。私自身も気がつけばレラさんとN子さんの間に座り込んで話をしていた。
レラさんのコミュニティーには管理、監視、監置という知的や精神障害の人たちが受けてきた、あるいは今も受けている対応は微塵も見えなかった。レラさんには、障害とみなし規定されてきた人々の様々な違いは、シンプルに違いでしかないのだろう。違ったところに必要な手が自然に出せるレラさん。そこには障害だけでなく、人種や民族、言葉などの様々な壁を越えて、多様な人々が集っていた。
また、私がいた時に、虐待を受けている小型犬を引き取ってほしいと頼みに来た人がいた。レラさんは75歳。彼女に頼むのは酷ではないか、と私は思った。しかし彼は切羽詰まりながら「もうレラさんにしか頼るところがない」と繰り返した。レラさんもついに頷き、その時には彼女の膝の上でその犬は寛いで安心した様子になっていた。私は、まるで優生思想も欲得の感情も無く在り続けるレラさんにただただ、驚き感動した。
私が帰ろうとすると、「また来てよー」と言いながら、会えてよかったと涙ぐんでくれた。先住民である彼女と障害を持つ女性である私との出会い。その中に平和と愛情に満ちた歴史が確実に開かれていくのをしみじみと感じた時間だった。