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オウムの元信者菊地直子の裁判で気が付かされたカルトな日本。

北原みのり2022.07.15

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東日本大震災の後の政治が、「ほぼ安倍さん」、だったことは、この国にどのような影響を与えたのだろう。カルトと日本の中枢の関係が急激に露呈されはじめている今、これまでの膿を出し切る力を奪われないようにしたいと思う。

この10年ずっと、「カルト」の中に自分がおかれているような気分だった。ジェンダー厳しい、女の人権ゼロ、ムリは通るが理は排除される、一部の支配者だけにオトクなシステム・・・というのはたいていのカルトに共通することでもある。

安倍さんの支配する日本(民主主義国家にはあり得ない表現だけど、そういう空気でしたよね)ってカルトっぽいんだな・・・と気が付かされたのは、元オウム真理教信者、菊地直子の裁判だ。そのことを思い出して「カルト」と自分のパソコンで検索したら、いくつか原稿がでてきた。"安倍さんの時代”から受けてきた強いストレスなど、この10年に書いてきたこと、安倍さんが亡くなった今、「なかったことに」しないために、また私自身の記憶を定着させるために少しずつここに公開していきたいと思う。

以下のテキストは2014年に週刊朝日に寄稿した菊地直子の裁判傍聴記です。

#国葬に反対します。



 2012年6月、17年間逃亡し続けたオウム真理教元信者、菊地直子が逮捕された。

 逮捕時の写真が公開された時、指名手配写真とのあまりの違いに驚いた。指名手配写真と見比べるまでもなく、「別人じゃん!」と叫んでしまったが、それくらいにこの17年間、この人の顔は駅などに貼られ続け、街の風景の一つと化していたことに改めて気がついた。

 風景のように知っていた「菊地直子」という人について、それでは、私は何を知っているのだろう。

 松本智津夫をはじめ、オウム真理教の幹部たちは全員、刑が確定している。菊地直子の裁判によって、新しい事実が出てくることはないだろう。それでも、地下鉄サリン事件19年目にして、そして特別手配犯が全員逮捕された今であっても、オウム真理教が引き起こした事件が、「過去の事件」として精算されているとは思えない。

 松本智津夫に帰依し続ける宗教団体Alephは信者数を伸ばしていると言われ、オウム真理教の被害者への賠償は滞っており、さらに95年当時12000人いたといわれる元信者たちに対する偏見や差別は未だに根深い。

 今回、菊地の裁判について、信者の女性(出家当時は20代半ば・以下Mさん)に話を聞いた。彼女は菊地の逮捕について「他人ごととは思えなかった」と語った。犯罪に関わっていなくても、オウム信者だった過去は簡単には口外できない。過去を隠し生きてきた菊地直子の17年間は、そのまま、多くの元信者たちの17年間でもある。

 私たちは、オウムの一連の事件がどのような意味を持っていたのか精算できないまま、時を過ごしてきてしまったのかもしれない。「知っている」と思っていた顔ですら全く別人だった菊地直子に「再会」するような思いで、2014年5月8日にはじまった裁判をできる限り傍聴してきた。

 菊地が問われているのは、「殺人未遂幇助」「爆薬物取締罰則違反罪」である。地下鉄サリン事件後、教団は捜査を攪乱する目的で青島東京都知事(当時)宛てに爆発物を送付し、郵便物をあけた男性職員が大けがをした。菊地は爆薬の運搬に関わっている。裁判の争点は、彼女がその使用目的を知っていたか、だ。菊地は「自分に科学知識はなく、幹部たちの命令に従っただけ」と無罪を主張している。

 裁判自体は爆薬の名前や化学記号の確認などに費やされ、雑な言い方ではあるが地味だった。日に日に傍聴希望者が減っていき、退廷する傍聴人から「つまんないね」という声が聞こえることもあった。

 確かに「刺激的」な裁判ではなかった。菊地は殆ど表情を変えず、ひっそりと、という感じで被告人席に座っていた。元信者たちが彼女に不利にあたることを証言しても動揺する様子はなく、時折ノートにペンを走らせるだけ。指を失った被害者が証言台に立った時も表情は一切変わらず、見ようによっては「反省していないように」受け取られかねなかった。

 被告人質問の時ですら、彼女から表情を見いだすのは難しかった。唯一、思いのようなものをを感じたのは、「世界記録達成部」(様々な分野で世界一を達成するためにつくられた部)について話した時だ。

 菊地は、毎日40キロを、時には10㌔の重りをつけて走ったという。「あなたの記録は、世界記録から50分近く離れていたが?」との弁護士からの問いに、「無理だと諦めたら達成できない。0.1%の可能性しかなくても、努力することで、1%、2%と可能性が増えていく」とキッパリと答えていたのが印象的だった。それはまるで、学生時代の思い出を語るかのように、楽しそうですらあった。 

 元信者のMさんは、「オウムではみんなが口癖のように『頑張ろう』と言ってた」と言う。例えば裁判で証言台に立った井上死刑囚の口癖は「頑張りましょう」だった、と。井上は菊地が爆薬を運ぶ時に、「頑張ります」と言ったことを根拠に「(菊地は)目的を知っていた」と証言したのだが、そのことを新聞で読んだ元信者は、思わず笑ってしまったと言った。

「あの頃の私たちには、『頑張ります』しか言う言葉がなかったんですよ」

 自分の意見を持つことはもちろん、感情を持つことも悪であり、例え景色を見ても「美しい」と感じてはいけない修行生活だった。富士山の麓に築かれた巨大サティアンで暮らしながら、その女性は「富士山をきちんと見たことがなかった」、と言った。窓一つない生活空間には、コスモクリーナーと呼ばれる巨大な鉄の箱が置かれており、それが「空気清浄機」だと言われていた。殺生が禁じられているので、ネズミやごきぶりが走り回っていて、換気をしない部屋はカビの巣窟だった。食事は一日一回タッパーに入れられた味のない野菜やラーメンが配られるだけ。例え腐っていたとしても、そんなことが気になるのは修行が足りないためである。そういう生活を送りながら、誰もが思考停止し、前向きに「頑張っていた」のだ。

 菊地が何を知っていて、何を知らなかったのかは私には分からない。が、いつからか自分の頭で考えることを完全に止めてしまったのは確かなのだろう。

 例えば、「何故、あなたは逃亡したのか?」という、菊地という人柄を知るのに最も重要と思われる弁護人の問いに、彼女はこう答えていた。

「林(泰男)さんに『じゃ、行こうか』と言われたので、ついていきました」と。

 「じゃ、行こうか」という男の一言に、「ついて」行った結果が、今だ。その逃亡がその後17年間も続くなど、菊地自身想像もできなかったのではないか。

 それにしても、裁判を傍聴しながら、私は不思議な感覚に陥っていた。それは元信者たちが教団での生活や教義について証言している時に、どうしようもなくわき上がる感情だった。95年、オウムがサリン事件を起こした時、あの時、私にとってオウムは「カルト宗教」にしか見えなかった。変なヘッドギアつけて、変なお面をかぶって、変な服着て、変な教祖を信じきってる人たち・・・。そう突きはなして考えていたはずだ。それが、2014年の今、日本社会に身を置きながらオウム裁判を傍聴していると、とてもじゃないが過去の出来事、終わった物語、カルト集団の妄言、とは思えなくなっていたのだ。

 例えば、オウムでは疑念を持つことが禁止されていた。リンチで殺される信者や、過酷な修行が原因で命を落とす信者がいても、誰も「あの人はどこにいったのか」とは聞かなかったという。一部の上層部だけが情報を握り、下層の信者たちが得る情報は全てが「噂」だったと、元信者のMさんは語っていた。教団内では、信者たちが情報が入手できず、理性で考えれば矛盾することも、感覚として受容してしまう空気ができていた。

 そして私には、その空気が、今の日本にどうしても重なってみえて仕方がないのだった。重要な情報を一部の者だけが握る現実は目の前にあり、人々に疑念を持たせず「頑張りましょう!」背中を押され続ける感じや男社会特有の縦割り組織に、「世界一」が大好きリーダーに振り回され・・・。ちなみにオウムはまごうことなき男社会である。女性性を否定する生理を止める修行が用意され、食事をつくる係は「処女」と限定され、女性性信者には「若くて美人」が求められた。

 傍聴しながら私は何度も、あれ? あれ? と戸惑い続けた。私は95年の当時よりも、ずっとオウム真理教の空気が「自分ごと」のように分かっているのだ。なぜなら法廷で語られるオウムの空気が今の日本の空気と、似ているから。20年前は「カルト」だと思っていた世界が、なぜこんなにも身近に分かるようになってしまったのか。そのことに私は戸惑い続けた。

 Mさんは、仲間が’消えて”いくなど、教団が犯罪に関わっていることを、当時から何となく感じていたという。それなのに疑念を封じ込め、自分が高い世界に行くために修行をしてきた過去は、一人では抱えきれなかった、と話してくれた。今は、過去の自分を客観視するためにも、元信者どうしで集まり続け、過去を言葉にしていく作業をしているという。元信者が集まるだけで危険視する人もいるが、同じ体験をした者どうしでしか癒やせない傷がある。そういう経験があった上で、ようやく「オウムだった自分」を最近になって語れるようになったという。

 それでは、菊地直子はどうだったのだろう。彼女は、「オウムだった自分」を、どう見つめているのだろう。教団で受けたイニシエーションについて質問されても「喋ってはいけないことになっている」と語らず、サティアンでの思い出を懐かしそうに語り、被害者を目の前にしても表情を変えなかった菊地に、「オウムだった自分」はどのように見えているのか。

 そしてそれは、私たち自身にも、返ってくる問いではないだろうか。地下鉄サリン事件から19年。私たちはオウムが引き起こした事件から、何を、学ぶべきだったのか。それを問わなければ、一連のオウム事件を、私たちは過去のものとして語ることすら出来ないのではないだろうか。

 

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北原みのり

北原みのり

ラブピースクラブ代表
1996年、日本で初めてフェミニストが経営する女性向けのプレジャートイショップ「ラブピースクラブ」を始める。2021年シスターフッド出版社アジュマブックス設立。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社)・「メロスのようには走らない」(KKベストセラーズ)・「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)・「毒婦」(朝日新聞出版)・佐藤優氏との対談「性と国家」(河出書房新社)・香山リカ氏との対談「フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか」(イーストプレス社)など。

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