YURIさんのフェミカンルーム75 定年後の日々~もっと自由に♪
2022.06.22
みなさん、ご無沙汰しています。4カ月ぶりのコラムです。実は今年4月の誕生日で「定年」となりました。この現実を受け入れて、自分なりのリセットもあって、ゆっくりしていました。
こういう引き際の規定があるといや応なく大きな区切をつけざるをえません。年齢は正直だし、加齢による心身の変化や負担も認めざるをえないしね。と言っても、すっぱり仕事を辞めるわけではありません。引き続き依頼がある研修や継続ケースのカウンセリングは続けています。民間フェミカンルームのいいところは、十分な報酬は望めないけれど、自分がやりたいこと、やりたくないことを自分で選ぶ自由があるところでしょう。
フェミの世界で30年、毎日、するべきことを追いかけるような生活だった。それなりによくやってきたし、そろそろ自分優先の暮らしを楽しみたいという感じですね。
そんなきっかけもあって、4月は久々の旅に出た。まず前半は長崎に飛んで、熊本、福岡へ、そして後半沖縄への10日間の旅。長崎の軍艦島や熊本の草千里など歴史と自然の時間をめぐった後、福岡でフェミカン仲間と待ち遠しかったリアル再会は3年ぶり!!
フェミトークはこうでなくちゃ!
ワーワーと、あの話、この話、久々の議論炸裂はこのうえなく気持ちいい。からだと言葉の体温をじかに感じながら、本音でしゃべるから熱くなれるんだな~。私たち、こういう時間に飢えてたもんね!
肌のぬくもりに満たされた心地いい時間をたっぷり楽しんだ。
沖縄に行くのは10年ぶり。海の見える部屋で静かな時間をゆっくり過ごした。辺野古と読谷村のガマ、世界遺産の今帰仁城跡は訪ねてきた。
辺野古は2回目。10年前はけっこう海の近く、砂浜のある場所まで行けたのに。辺野古に行く日、キャンプシュワブに近づいてくると、だんだん緊張してきた。こちらも身構えるからか、不穏でものものしい空気を感じて心がザワついた。ダンプカーが増えてきて、私たちの車の前に後ろに、増えてくる。基地建設現場の入り口周辺は、さらに監視が立っていた。
デモの人たちに声援を送ろうと車のスピードを落とそうとしたけど、追い立てられるように通り過ぎるしかなかった。窓をあけて、通り過ぎながら、できるだけ大きな声でエールを送った。ほんの一瞬のこと、そんなことしかできなかった。
宿泊先の北部本部町の宿への道中に、異様な空気が充満する地帯があった。その一帯だけ、軍隊が列をなすように、何台ものダンプカーが立ち現れ、並んでいた。何なの? と思ってすぐに気づいた。辺野古に運ぶ土砂を積んだダンプカーだった。
ダンプカーの土砂は次々と船に積まれていき、海から辺野古に運ばれて、それが投入されているのだろう。私たちが乗る小さなレンタカーは踏みつぶされそうに小さく無力に思えた。あの大きなダンプカーの隊列を前にすると、このものものしさに怒りながらも恐怖を感じてしまった。すれ違うだけでも、横を通り過ぎるだけでも、ひねりつぶされそうな威圧を感じるのに、そのトラックに向けて、ここでも抗議の声をあげている人たちがいた。
その道を通るたびに、その人たちは必ず立っていた。沖縄で声をあげ続ける人たちの現実を思い知った
私はほんの何日か、その現実を少し見ただけ、知っただけ。これ以上書けることが見当たらないのが情けない。ただ、その思いを含めてここに書きとどめておきたい。
ガマを訪ねるのは初めて。読谷村の、集団自決の現場チビチリガマと約1000人の住民の命が助かったシムクガマを訪れた。チビチリガマはナビですぐに行きついた。私たちのほかに母娘の2人連れや若い男性たちがいた。静かにガマを訪れる人がいることに安堵した。
シムクガマは、探し当てるのにずいぶんグルグルと周辺をさまよってしまった。
やっと住宅地の横の道を下りて、草地の途中に小さな木切れが立ててあるのを見つけた。「シムクガマ」とほんとに小さな表記。あ、ここを行けばよさそうだ。ここを訪れる人はあまりいないのだろうか。細い草木が茂る道をかき分けながら下りていく途中、少女たちの声で歌う放送のようなものが一瞬聞こえた。
「あれ、今、何か聞こえたよね?」
同行の相方に声をかけたけれど、彼には聞こえていない様子。変だな、こんなうっそうとした林の中で、学校の放送でもあるまいし……そう思うと急に足がすくんだ。シムクガマが見えてきた。私の幻聴? でも確かに聞こえた。少女たちが歌う声だった。私はそれ以上、シムクガマに近づくことができなくなった。
相方は一人でガマに下りていき、私は少し離れた場所からしばらく眺めて、引き返した。その後、同じように沖縄に行ってきた友人にその話をすると、「そういうこと、あるらしいよ。来てくれてありがとう、ってことじゃない? ゆりさん霊感強いのかも」と。そ、そうかしら……。あれは、そうだったんだろうか。
不思議な体験だけど、私にはほんとのこと。信じてもらえるだろうか。
今帰仁城跡(グスク)では、ボランティアガイドと史跡の事前学習をみっちりしてきた相方が意気投合。いい聴き手がいるからか、時間をたっぷりかけて案内してもらえた。
旅から帰って、疲れが出たのか、少し熱が出て寝込んだ。
37.5度は微妙なところ。近くの医院に行くと外の隔離スペースに入れられ、すぐさまPCR検査。ドキドキだったけど、15分で結果が出て無事陰性。やれやれ~。
そして5月。
まだゆっくりするはずだったのに、名古屋でラブピースクラブのフェムテックイベントがあり、スタッフをすることになってしまった。
そこで出会ってしまった「生理カップ」!
あ~、生理カップはもちろん知ってました。私はとっくに終わってる「生理」の世界、なんだけど、店頭で紹介するのに、自分が使ったことないでは話にならない。で、試してみたんですよね~。つまり入れてみたの。そして……。おおお~!!! 生理カップ、サイコーじゃん!こ、これは! 女の生理に革命が起きるよ!
ここで熱くスイッチが入りそうになるので、「生理」の話は次回のテーマにしますね。