物価の上昇が止まらない。賃金が上がらないにもかかわらずだ。電気料金、ガソリン等から、食用油、小麦製品、乳製品等々、ありとあらゆる食料品が値上がりしている。今後さらに値上がりする恐れすらある。市民生活は逼迫の度合いを増している。
収入が増えないのに物の値段が上がると、当然のことながら、削れるところを削るしかなくなる。しかし、「削れるところ」など、もうほとんどない人が増えているのではないか。自分自身の生活を振り返ってみて、削れるところはないか考えてみた。
電気代の節約でしていること。人のいる部屋だけ電灯をつける、照度調整できる電灯の場合は照度を絞り込む、窓ガラスに断熱効果のあるシートをつける、スマートフォンの充電は車でする、冷蔵庫には食料を詰め込みすぎない、湯沸かしポットの水の量はその都度飲む分だけにする、使わない家電はプラグを抜くいったところか。
これ以上節電しようとすれば、早寝して電気を使わない時間を増やす、テレビやビデオ見る時間を減らす、洗濯物の脱水時間を減らして天日干し時間を増やすことぐらいしか思いつかない。
ガス代の節約でしていること。シャワーの設定温度を低くする、洗濯する日しか湯船にお湯をためない、ガスの火力をこまめに絞って使う、料理はガスを止めた後の余熱も利用する、食器洗いにお湯は使わない。ガスの節約方法はあまり思いつかない。もっとガスを節約するには、ガスを使わない料理を増やすことくらいしかできそうにない。
水道代の節約方法。使った食器は汚れをいらない紙で拭いてから洗う、風呂の残り湯で洗濯する、シャワーヘッドを節水仕様のものにする。水道代の節約も、新たな節約方法は思い浮かばない。熱中症予防の観点からも、水分補給は必須だし。
衣料品は破れない限りは滅多に買わなくなったので、それほど節約できる項目ではない。太って入らなくならないように、体型を維持することが節約につながりそうだ。
食費はどうだろう。畑で作れる野菜はできるだけ作る、地元の食材を購入する、SDGsの観点からも見切り品を可能な範囲で購入する、傷む前に食べる、多く買いすぎない。この程度のことならできる。これ以上削るとするなら、アルコール・おつまみ代とおやつ・コーヒー代か。確かに、これを削れば月に1万円以上節約できそうだ。
でも、ここを削ると人生の楽しみのうちの大きな部分を削ることになる。ささやかな楽しみとして、できる限り維持したいところだ。贅沢なことなのかもしれないけれど。
しかし、これ以上削りようがないギリギリの生活を余儀なくされていたら、何を削ることになるか。少々体調が悪くても、医療費を節約するために病院に行かない。少々暑くても寒くても冷暖房器具を使わない。栄養不足を覚悟の上で食費を削る。そういった命を削るような生活を送るしかないのではないか。
6月14日に閣議決定された高齢社会白書によると、65歳以上の3割以上が「家計にゆとりなく、多少心配」「家計が厳しく、非常に心配」と回答したという。ある程度年金が保障されている今の高齢者でさえ、経済的な不安を抱えて生活している。まして、非正規労働者が多い今の若い世代が高齢者になった時、経済的不安が大半を占めることが予想される。
日銀総裁は「家計の値上げ許容度が高まっている」と言い、首相は「貯蓄から投資へ」と述べた。全く別の国の話をしているかのようだ。この物価高が痛くもかゆくもない人たちの感覚なのだろう。
値上げを許容し、貯蓄から投資お金を回せる生活を国民にさせたいなら、それ相応の賃金・年金を受け取れるようにすべきだ。それが無理なら、いまの値上げを許容できるよう、消費税を廃止すべきだ。