Woman Shout-Out THE REASON WHY I DON’T LIKE MOTHER’S DAY 子どもはいませんっ!! 今年も母の日は重かった……
2022.06.15
今年もやって来た5月8日。
この日は、ワタシにとって、一年の中で居心地が悪い日の一つでもある。
なぜなら、この日は、母の日だからだ。
4月下旬になると、あちらこちらでマザーズデイを揚げた様々なウンチクとギフトが店の先々に陳列され、華やかにパッケージングされた様々なマザーズデイギフトがオンラインショッピングの目玉として目の前に飛び込んでくる。
今年も始まった。
マザーズデイラッシュ……
あ〜。気が重い。
アメリカでは大イベントの一つでもあるマザーズデイは、小売業界では欠かせないドル箱イベント。ギフトと添ええるマザーズデイのサンキュー・カードは、当日まで持たずして即完売。マザーズデイの当日は、人々が花束を購入するために花屋へ。または、花を取り扱っている店へと足を急がせる。花を取り扱う店の前では、オープン前から長蛇の列で人々がごった返している。
店内に一歩足を踏み入れば、花束を手にした客でいっぱいで身動きが取れず、床には、ハリケーンがきたかのように花びらが飛び散っている。コロナ禍だと? そんなことは関係ない。狭い場所で大勢の人々が群がり、花を取り合う。密度の高さもピークに達している。マスクだと? そんなん知ったこっちゃない。
花とり合戦となるこのマザーズデイ・パニックに人々の興奮は治まらず、気に入った花がない。花が売り切れたと機嫌を損ねた人々が声を揚げる。色とりどりにアレンジされた花束は、午後を待たずして完売する。皆、タイムリミットと戦いながら、焦りを抑え切れない。
毎年、こんな光景を目にしながら、この日が終われば、来年まで、アノ言葉を聞かなくてもよくなるとワタシは、胸をなで下ろしている。
その言葉とは、まず、
「あなたは母親なの?」
「子どもはいるの?」
「子どもは欲しいと思わないの? それとも、欲しいと思っているの?」
アメリカでは、会ったばかりの人間に突然、こんなパーソナルなことを聞いてくることはないでしょう?! と思われる方もいるかもしれないが、大間違い。この日ばかりは、容赦がない。
続いて、「もったいないわね〜」とか、
「ハパ(日本人とのハーフ)は、とても可愛いわよ〜」とか、
「いつか、その時が来るかも! 子どもが欲しいと思える日が来るかも! マザーズフッドもいいものよ」
と、余計なお世話まで焼いてくれることもある。
また、「今は、いいけど、年をとったら?!」と問われることも……。
人と接することの多いワタシは、耳が抜け落ちるくらいコノ言葉を聞かなくてはならないのだ。
ワタシに子どもの有無を尋ねてくる相手も、別にワタシに嫌な思いをさせようと思っているワケではないのは理解している。子どもが一人や二人いてもおかしくない年齢のワタシに対しての率直で素直な質問だと言うことも、わかっている。
なので、NOOO! 子どもは、いません!! と、一言で片づけてしまうと相手も気まずい思いをさせてしまうだろうと、こちらも気をつかいながらその質問に答えるのだ。
はじめのうちは、にこやかに優しげに、
「オ〜ノ〜、いいえ」と言ってみたり、
「人間の子どもはいないけど、ネコまま・キャットママなの」(実は、愛猫は、すでに3年前、虹の橋を渡っていて、今は、近所の猫の世話をしているだけだ)と話をたぶらかしたりして、その場をスルーしている。
母親になるのは素晴らしいこと。母の日に人々の幸福に満ち溢れた顔を見るのはとても嬉しく、心から素敵だと思える。胸がほっこりする話を聞くのも好きなワタシは、毎日、一人、一人に「ハッピ〜マザーズデイ〜💜」と祝福の声をかけているのだが……。
毎日、幾度も何度もリピートされるこの言葉を聞いてるうちに、少々、お疲れ気味になってくる。
なぜ、こんなに気をつかわなければならないのだろう……。
実は、これまで、ワタシは、母になりたい。子どもが欲しいと思ったことが一度もない。毒家族出身のワタシとしては、家族というものに違和感もあり、母親になることは、自分の人生の選択にはない。
ワタシは、どちらかと言うと、自分の時間。自分の場所。自分の仕事。自分の空間が必要だ。我が道に向かって、我が道を歩んで自分の人生を謳歌する。それが、少々、難ありき道だとしても、自分の道を自分で切り開く自由な生き方が気に入ってる。そして、それが、自分らしい生き方だなとも感じている。
……と、世間が意識的、非意識的にイメージしている女性の完全体とする姿に対して、自分の意見を率直に言えることができたら、どんなにスッキリするだろう。
以前、人気ハリウッド女優のジェニファー・アニストンは、仕事人間すぎて、母親になれないと批判を受けたことがあり、こう反論している。
「自分の決断は、自分のもの。完璧になるために結婚したり、母親になる必要はありません。自分が幸せと思える自分の未来は、自分が決めるのです」
まさにその通り!よくぞ、言ってくれました。ジェニファー💜
そして、このマザーズデイパニックの最中に、首を横に振っているのは、一緒に働く20代の若きチームメンバーだ。
「朝美。僕は、母の日って、アメリカの変なイベントの一つだと思ってるんだよね。僕は、母親のことを愛しているし、尊敬もしている。でも、この光景を見ていると、疑問に思うこともある」
そ〜だ。そもそも、母の日は、いつどこで始まったのか?
母の日の発起人となったのはアンナ・ジャービスという女性だ。同氏の母親は、南北戦争で負傷した兵士の看護や女性たちの健康の意識の向上に向けて力を注いだきた女性でもある。1905年、最愛の母親を亡くした同氏は、その2年後の1908年に母への愛と敬意を称して母の日を発足。その後、全米に母の日が広まったのだが、商業化した母の日のあり方を見て、同氏は、矛盾した母の日のあり方を痛烈に反対するようになる。
ジャービス氏いわく、母の日のギフトと添えるサンキューカードは、手書きで感謝の言葉を伝えることもせず、プリントされた言葉の下に自分の名前を署名し、心の籠もっていない薄っぺらいもの。母の日に贈る食べ物ギフトは、贈り主が食べてしまうこともあると首を傾げた。子どものために全力で尽くしてくれる女性、母に対して愛情や敬意のカケラもない言動ではないかと腹ただしく思っていたそうだ。以後、ジャービス氏は、ありとあらゆる手段で母の日を廃止するため試行錯誤な手段をとるようになったという。
また、母の日は、女性参政権の糸口ともされていたともいわれている。女性たちの居場所は家にあり、母として、また、妻として家での役割に従事することが女性の務めである。女性は、政治に関心を持つ余裕もなければ、必要もないと意見する女性参政権の反対を意義する側。これに対して、子どもたちの人生に最大の影響力を及ぼす母親たちは、参政権を持つ必要がある。子どもを育てる女性たちは参政権を持つにふさわしい存在であり、女性たちは、未来の子どもたちのために声を揚げたいと考えていると述べる女性参政権の賛同者側との議論の繰り返しがなされていたそうだ。
ちなみに、アンナ・ジャービス氏は、一生、独身であったのだそう。女性は、家で子どもたちと夫の世話に従事し、料理や洗濯、掃除など家事をこなし、家族のために尽くす。そのような風潮が社会の中にある中、同氏にとって結婚や子どもの選択はなかったといわれている。
家族を想いやり、家族のために尽くす母親の仕事を時間にすると、1週間で約100時間に達するといわれている。この母としての仕事を職業に例えるとすると、看護師、心理カウンセラー、アカデミック・アドバイザー、ウーバードライバー、ハウスキーパー、シェフなど多種多様になるのだが、母なる仕事は、これらの役割をマルチタスクにたった一人でフレキシブルにこなさなければならず、常に優秀さを求められるハードコアでハイスキルな仕事でもある。
そんな母の仕事を年俸にしてみると、何と、18万ドルもの収入となるのだそう。
世界で一番、幸せな仕事と言われる母の仕事は、世界で一番、過酷なのかもしれない。当たり前になんてできることではない。やって当たり前、できて当たり前などと考えないで欲しい。
母の日は憂鬱……。理由は違えど、そう語る人は、ワタシのまわりにもいる。複雑な家庭環境の中で育ち、母親に対して、複雑な思いを抱いていたり、父親が結婚と離婚を繰り返し、母親に対して戸惑う気持ちがある人もいる。また、母親が他界。自殺で亡くした母親の姿を引きずっている知人もいる。子どもに恵まれず、母の日をうらやましく思っていたと語る知人。また、自身が母でありながら、母の日を苦手とする人も少なからずいたりもする。自分も含めてだけど、母の日は、それぞれの想いが交差する日でもある。
そして、次にやって来るのは、6月の父の日だ。ワタシが、一年で最強に嫌いな日でもある。幼い頃、両親が離婚し、シングルマザーの家庭で育ったワタシ。学校で描かせられる父の日の似顔絵に苦戦を強いられていたのを今でも思い出す。身の毛がよだつ大嫌いな人の顔を描けだと?! 学校は、時として残酷な場所でもある。