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モテ実践録(26)シェアハウス断念話

黒川 アンネ2022.03.28

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前回までに、シェアハウスに引っ越すと書いた。その後、何人かから「新しい住所教えて」と聞かれたけれど、実のところ、1週間ほど住んで一人暮らしの家に帰ってきてしまったのだ。今日はその理由について話そうと思う。

そもそも友人が購入予定の家の一部屋を借りるという予定で始まったシェアハウス話は、ローンがおりなかったことで、友人が見つけてきた3階建ての一軒家を借りて家賃を折半するという話に変わった。契約は友人が行い、とはいえ私も同居者として書類などを提出して、初めはお試しで、その後、正式に越すことになったときに礼金など諸経費の一部を友人に支払うというように約束していた。

そして実際に住んでみると、それまでのマンション住まいとは異なり、築90年の家はともかく寒く、入居前の清掃はなされておらず、おまけに仕事上のストレスなどが重なって私は珍しく夜中一睡もすることができなかった。1週間ほど経ったときに、このままだと体調を崩すと思い、一人暮らしの家に戻ることにしたのである。

それでも1週間、人と住むことで、私は共同生活が自分に合わない点と同じくらい、あるいはそれよりもはるかに多く、その利点を見出しつつあった。良い点は、なんといっても、いかに普段、自分が一人の価値観に浸りきっていて、それを疑うこともしていないのか気がつくことができたことだ。掃除の仕方や頻度(どの程度で「汚い」と耐えられなくなるのか)、部屋の使い方、皿の洗い方……など、都度友人との習慣の違いを感じるごとに「あ、あれって皆にとっての自明のルールや方法じゃなかったんだ」と気がつくことができた。そして、私がこれまでの人生で築いてきた習慣も、ベストのものであるわけじゃないらしいとも気がついてきた。こんなに自分のことを振り返る機会が生活の中で存在するなんて、考えたこともなかった。それに、帰宅後に家に明かりが灯っていたり、互いの予定を共有しけはいを感じる生活は、やはり温かかった。

ただ、夕方以降に同居人と時間を過ごしたり、お客さんが来たりするようになると、共用スペースは共に時間を過ごすためだけのものになる(そして家はものすごく寒い)。一人暮らしの部屋で、私は夜遅い時間から寝室とは別の部屋にあるダイニングテーブルで仕事(たとえばこの原稿を書いたり、メールを返信したり)をしていたので、そのやり方は無理らしいと気がついてきた。どのようにしてペースやスペースを確立すればよいのか分からずにいた。

シェアハウスから逃げ帰ってきてしまったのには、他の理由もある。上に書いたような習慣の違いを感じたときに、同居人に対し「●ちゃんはどんなやり方をしているの?」と意識的に尋ねるようにしていたが、その答えとして自分のやり方を説明されるばかりで、じゃあ私がどうしていたか、なぜ私が聞いたのか(それは「違う」と感じたからなんだけど)は聞かれることがなかったため、その後にとても大きなトラブルが起きそうだと感じたのだ。もちろん私は「私はこのやり方なんだけど」と言ったり突っぱねたりすることも可能であったが、私はあまりに怠惰で、面倒で別に言おうともしなかった。言わなくても聞いてほしかったし、聞いてもらえないこと自体が、漠然と、共に生活するのは難しいのかなと感じる要因となった。もちろん友人の側も、私の物の置き方や生活のペースに遠慮してくれたり不満を感じたり黙って我慢していた部分が絶対にあると思う。私は別に自分のやり方を押し通したいわけではなかったけれど、だからといって全部「はいはい」と合わせるのも嫌だった。私は、ウィン・ディキシー(犬)の映画のタイトルよろしく「きいてほしいの、あたしのこと」(小さいときのアナソフィア・ロブ(「チャーリーとチョコレート工場」のジャージーの子)が出ていて、犬を介して、街で暮らす孤独な大人たちと仲良くなる素敵な話なんだ)という気持ちでいた。

同時に、一人暮らしのときは意識をしたことがなかったものの、生活には「システム」があるということもわかってきた。そしてシステムさえ確立していたら、そこに乗っかるほうがストレスが軽くてすむのだということも。どういうことかというと、例えばお皿をどこに収納するのか、使ったらどんな方法でどのタイミングで洗うのか、洗ったお皿をどこに置くのか、自然乾燥させるのか拭き取るのか……それがハッキリしていて場所が確保されていれば、あとはその通りにやればいいだけであるし、やりにくく思っても、あとで細かいところを調節したり入れ替えたりすることは可能であると思う。

しかし住居のスペースの関係などでその動線がハッキリしていないとき、ものが収まるべきところに収まらず、両方が余計にイライラするということがあるように思った。そもそも家の構造として、一人でトライ・アンド・エラーを繰り返して慣れを作り出すほかは、システムの立ち上がりが非常に難しいように思ったのだ。

(思い返すと、前の家のときは引っ越しの手伝いに来てくれた友人が、荷物が届く前に「冷蔵庫はここ、食器はここ、炊飯器はここだとどう?」と動線を考えてくれて、その通りに荷物を置いたのだ。おかげで家事がしやすくなった。現在、中古マンションの物件情報サイトをちょくちょく見ているが、新しい物件だと、すでにいろんな物の場所が間取り図で決められているようだ。)

ということで早々にシェアハウスを出てきた私は、同棲経験のある友人や既婚者の友達に会うごとに「どうやって生活習慣が異なる人と一緒に暮らせるの? どうやって調整するの?」と質問を投げかけるようになった。その答えは、「相手のことが好きだから、多少の違いには目をつぶる」というものであった。もちろんそこで喧嘩をしたりすることはあるらしいのだけれど(前に友人夫妻からこんな話を聞いたことがある。二人で家事を分担しているが、夫のほうは、どうしてもトイレットペーパーを替えるという作業がイヤで(私にとってそれは風呂場で髪の毛を取る作業で、限界までそのままにして見ないようにしている)、「最後まで使ったほうがトイレットペーパーを替える」というルールなのに、残り数センチを残したりしてどうにか自分で替えないようにするという話だった。妻の側はそれに不満があると話していた)、結局はうまく行っているらしい。共同生活はエネルギーがいることだ。別々に育ってきた大人二人(あるいはそれ以上)が一緒に住むということは、簡単なことじゃない。それを乗り越えるためには「恋愛感情がないと、合わせるの難しいんじゃないかな」(友人談)。

そう聞いて、私はやっぱり誰かと一緒に暮らしたいなと思った。その家はシステムの立ち上げが容易な環境であることが望ましい。そして、相手に合わせるだけじゃなく、私の希望も聞いてほしいなと思った。私もちゃんと相手の言うことを聞いて、サボらずに自分のこともきちんと話す。そんな生活が自分の身に起こりえるのか全く想像がつかないけれど、夢として描くことができるようになったのだ。

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