医療の暴力とジェンダーVol.17 手術をしないと決めたトランスジェンダーの方と出会って
2022.02.16
2004年に戸籍上の性別の記載を、手術をすれば変えられるという法律が国会で可決された。当事者たちが一生懸命議員周りをし、自民党の議員たちもなぜかすぐに説得されてこの法律が実現したという。私はその法律を通すために運動した当事者から、「とうとう実現しました」と嬉しそうに声をかけられて、非常に複雑な思いがした。身体にメスを入れてまで性別違和を解消しなければならないというほどの追い詰められ方、そして戸籍制度をある意味認めてしまっている在り方にそれこそ酷い違和感を覚えた。
子どもの時から何度も手術をされて深く傷ついてきた私としては、手術をしないで自分の生き方、在り方を伝えて欲しいと願ってきた。もし自分の身体に違和感があるのなら「私は身体は女であると言われてますが、私は私自身であって、性別についてどうこう言われたくはありません。」或いは「身体の有り様を女とか男とか人に決められたくはないのです。」とか、自分の思っている事を社会に問いかけてほしいとずっと思ってきた。
ところが、この社会はそれを許さず、彼らが自ら身体を傷つけ、身体に対する沢山の攻撃、暴力をするよう追い詰めてきた。2004年から手術が合法となって、トランスの人たちが次々に手術をしていった。以前からホルモン療法はされていたが、それと合わせて手術をすることでどれくらいのトランスの人たちが身体からの戸惑いや痛みの声に耳を傾けただろうか。ほとんど多くの人は健康を害し、私の友人の1人は働くことも完全にできなくなった。
この問題の難しさは、当事者の人たちが手術を望んでいるのだから、社会の側にいる人たちは無知と無関心を背景に、彼らの体の声にまるでアクセスしようとしないことだと思う。私にとっては体をメスで攻撃するということは、施設に入らざるを得ない私たちの状況にも被って見えた。つまりあなたの体ではダメなのだということを社会から言われて諦めて施設に行く仲間たち。トランスの人たちは体にメスを入れることで社会に合わせて生きようとしている。体が自分の思う通りには存在していないことに対する諦めと悲しみを社会に返すのではなく、自分にとどめてしまう悲しみと切なさがその両者には共通していると思えるのだ。
そんな中私は手術要件を拒否し、一年半に渡るホルモン治療もやめたタカキートさんについに出会えた。彼はトランス男子で、「手術のあるなしに、性別を決定する法律の是非」に納得がいっておらず、「手術をしていませんが、性別変更希望」を問うたと言う。彼の主張は、体にメスを入れる前に、もう既に性別(性自認)は決定されており、手術を強要するのは違憲というのがこの裁判の論点だった。私の思っていた当事者がついに現れたと私はすぐに話を聴きに彼の家を訪問した。
まず裁判の結果は残念ながら棄却。ただ裁判官の補足文は、良心的かつ彼の側に立ったものだったので、そのコメントが報道されることでトランスの当事者たちの間に大きな波紋が広がった。今まで声を出せなかった手術反対派の人たちが彼の行動に励まされて、彼の感触では手術をしないトランスの人たちが表に出始めたような気がしているということだった。同時に彼に対しては、手術擁護派や既に手術をした人からの明らかに攻撃的な言動が多く向けられたという。
彼がその裁判を起こそうと思った理由は、まず自分の性別は生まれたときから自分自身のものであって、それは周りに決められることでは無いのだということを、言ってみようと思ったこと。彼は手術要件は要件としてあるけれど、申立書を出す条件ではないと判断して、出すだけ出してみようと思ってやったということだった。家裁の案件でもあるし、とにかく出してみようと思い、彼自身も弁護士も可能性としてははっきり言って0%を想定してはいた。
彼は現在パートナーと息子の3人で、過疎の村に住みながら農業と自然保護の活動に携わっている。
彼にとっては大事な家族である人たちが、戸籍の記載を変えない限り法的には家族ではなく、同居人にしかならない。しかし裁判をしたことで、自分たちのあり方を周りに問い、可能性を示すことができたという。裁判に負けても道は1つではなく色々な方法があって、その中の1つにアルゼンチンに行ってみるというものもあった。
私にとっては戸籍制度に基づく結婚制度は優生思想の極みだったから、子どもができた時にもそこに載りたいとは思わなかった。しかし思い起こせば娘は、その父から認知されることで、つまり認知という制度を使うことで、子どもにとっての不利益はだいぶ解消されていたのだ。
タカキートさんは5年間アルゼンチンに住んでいた。アルゼンチンは世界に先駆けて手術を全くしなくても男であるとか女であるとか個人の主張が認められている。その上その主張に則っての、性別に関わらず自由な婚姻関係が可能な国である。つまりLGBTQの人たちの結婚に対して随分オープンであるというのだ。世界の流れはそのアルゼンチンに呼応するかのように少しずつながら変わってきている。
タカキートさんは一年半のホルモン治療で背中がバキバキになったり湿疹が下半身に広がったりと、様々な副反応(副作用)が出ていた。そのことを医者に相談しても、「副作用とは言い切れない、加齢のせいじゃないか」という感じで言われ、「ああ、大学の先生も認識していない領域を自分は生きているんだ。先生にすら自分の健康判断を委ねてはいけない」と思ったそうだ。
トランスの人たちはある意味命がけで自分の体を変えた訳だから、変えた後に様々な副反応に悩んでも、それは自分の選択だから仕方がないと諦めさせられてしまうことが圧倒的に多いのではないだろうか。だからそんな中でももし体の異常を訴えてくる人がいるのなら、丁寧に聴いて事例を集めるべきだろう。
ところが医療はそうはなっていない。2004年に特例法が通った時に、私は旧優生保護法と同じだなと感じたものだった。ただ大きく違うのが、旧優生保護法は本人以外の人が寄ってたかって手術を強制してくるが、トランスの人たちは自ら手術を選んでいるとされていることだ。つまり強制ではないのだという点だった。しかし私たちは、本人の意思や命が優先される民主主義ではなく、経済こそが大事とされる資本主義社会に生きている。命と経済を天秤にかけ、経済を取り続ける優生思想に満ちた社会である。
彼と私の戦いはその優生思想に自分の体を張ってNOを言い続けている。そこでの静かで確かな共闘をさらに深めていきたい。