女たちの解放と欲望を求めてーー日本の#MeTooはこうして始まった 北原みのりインタビュー(下)
2021.12.29
この記事は2021年11月12日に韓国フェミニストメディア「ilda」(イルダ)に掲載された趙慶喜さんによる北原みのりのインタビューの後編です。前編はコチラです。
イルダildaのサイトで韓国でお読みになる方はコチラからご覧下さい。→ 여자들의 해방과 욕망을 찾아서: 섹스굿즈에서 한류까지
女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」にて、友人が撮影
■韓国フェミニズムの新しい波と出会う
キョンヒ:早い時期から韓国と関係を結んだのですね。「慰安婦」問題には「希望のたね」基金の活動から深く関わるようになったのですか?
みのり:2013年に橋下徹大阪市長の「慰安婦」発言(注:当時大阪市長だった橋下が「慰安婦制度は必要だった」と発言した件)がありました。政治家の発言のせいで眠れなくなったのはあれが初めてでした。タダじゃおかない、と怒り心頭だったのに、反論のための知識がなかった自分にショックを受けました。橋下氏は私と年齢が一つ違いですから、同じ時期に東京で大学生活を送り、同じように1991年の金学順(キム・ハクスン)さんの証言を聞いたはずなのに、同世代のこんな男が有名な政治家になっていることに気が遠くなりました。当時『奥さまは愛国』という本を執筆するためネット右翼たちの取材をしていて、ますます日本が深刻な状況まできたんだなと実感しました。「目をそらしてはいけない」現実を、ようやく直視したと言いますか……。
国会で橋下発言に対する抗議集会があって、そのとき梁澄子さん(注:1993年に在日朝鮮人の「慰安婦」被害者である宋神道(ソン・シンド)さんの裁判支援グループを作って活動してきた在日二世)のお話が最も説得力あるものでした。ところが翌日の報道には、参加していた上野千鶴子さんと私の言葉だけが紹介されていたのです。これでは本当にダメだと思いました。「慰安婦」問題の運動を誰より活発に行ってきた梁さんや、在日朝鮮人の女性たちの声が存在すらしないものになっていて、こういった現実をとても怖いと感じました。
すぐに梁さんに当時、私がやっていたメディアやラジオ、ポッドキャストなどに出演してくださるようお願いしました。梁さんとは気が合う感じでした。2013年以降一緒に活動するなかでずいぶん育てていただいたと思います。多くの活動家と出会わせて下さり、韓国の性産業に関するスタディーツアーにも参加させて下さいました。
2013年以降は韓国でも本当に多くの変化があったと思います。MeToo運動やメガリアなどが出てきて、フェミニズム全般で若い世代が大きな波を作りました。性産業やポルノのような分野は、過去に私が加担してきたものでもあります。性産業については日本でサブカルチャーとして消費され、ホワイトビジネス化されています。私自身もきちんと向き合えていなかった部分だったので、韓国のフェミニストたちに目を覚まさせてもらった気がします。そこが重要な運動の転換点でした。
キョンヒ:AV被害者たちが少しずつ声を上げ始めたとおっしゃいましたよね。日本のAV被害者支援の活動内容を紹介していただけますか?
みのり:私は、ぱっぷす(PAPS People Against Pornography and Sexual Violence)(注:”強要されたAV撮影物や児童ポルノ被害者たちの映像削除、回収、販売停止などを支援する団体)で理事をしています。ぱっぷすは韓国のデジタル性犯罪追及運動の影響を受けています。私も数年前に活動家たちと一緒に韓国のデジタル性暴力専門家たちのお話を聞きに行きました。コロナ禍・パンデミックの中でポルノ需要がさらに増えています。昔のVHS時代の作品も今デジタル化されたりして。本当に最悪ですよ。地獄です。
過去に少し出演した作品について、本人は忘れて生きていたのに、突然ネット出て話題に出てくるわけです。映像を削除したいという人たちの相談を受けるのがぱっぷすの主な仕事で、警察に任せるケースもありますが、業界も巧妙ですから出演同意書を書く段階から録画しているんです。サイン時に手をつかんで強要するわけではありませんが、男たちの圧力で同意書に名前を書かされるその状況自体が強要されたものでしょう。なのに社会にはそういう認識がなくて、(被害者が)あきらめるケースも多くあります。数字には出てきませんが、自ら命を絶つ人たちも相当いると思います。
キョンヒ:本当に深刻な問題ですね。1990年代以降の日本を振りかえると、当時の自分が何もしなかったことが悔やまれたりもするのですが。当時、女性の性的自己決定権という名のもとに、女性が暴力的な性産業に「自ら入って行った」という議論も繰り返されてましたよね。今になってようやく、少しずつ変わってきているようですね。
みのり:日本は性産業への入口がとても広いんです。高収入アルバイトをしようと思って性産業に流入してしまうケースが多いのですが。ソーシャルワーカーたちが作ったぱっぷすでたくさんのことを知って、私も過去に加担していたかもしれないと思うようにもなって……。やはりこの平成の30年間であまりに性産業の野放しが深刻化した日本の状況は、根本的に見直さなくてはならないと思います。
zoomを通じて会った北原みのりさん(左)と趙慶喜さん(右)
■入試性差別への怒り
東京医科大前で始めた#MeToo
キョンヒ:日本の#MeToo運動と「フラワーデモ」のお話も聞きたいと思います。韓国で#MeToo運動が盛り上がっていたとき、日本ではどうして起こらないのかと聞かれることもありました。もちろん日本でも性暴力事件は頻繁に起こっていて、その被害も深刻ですが、それほど可視化されていないという面があります。メディアや社会の雰囲気に被害者に対する連帯や共感があまり見られない点もあると思います。伊藤詩織さんのときも、みのりさんが立ちましたが、正直「日本の女性たちはどこにいるの?」と思ってしまいました。当時どういう経緯で支援活動をするようになったのでしょうか。
みのり:私は韓国フェミニズムに多くの影響を受けましたが、日本でちゃんと運動として出来てなかったと思い知ったのが伊藤詩織さんの時でした。2017年5月に詩織さんが声を上げ記者会見をしたとき、日本のフェミニストの中で動いた人は特にいませんでした。もちろん誰々が動くべきだということではなく、いっせいに連帯の声を上げなくてはならなかったのに、私もそのときは「私がやるべきことなのか」と考え、動きませんでした。
詩織さんの訴えが最初に棄却されたのが9月でしたが、そのとき私は梁澄子さんと一緒に韓国に行っていました。タクシーの中で「何かしなくちゃ」と話したのを覚えています。訴えを起こした女性があらわれたのに、どうして連帯したり積極的に動く団体があらわれないのだろうかと。それから詩織さんと出会う機会があり、支援者はいるのか、もしかしたら支援を望んでいないのかなど聞き……たぶん韓国では当事者だけの問題ではなく「これは私たちの問題だ」とすぐに動ける空気があると思うんですが、日本ではまず当事者が何を考えているか分からないうちは動いてはいけないという自己規制が働くんですよね。
「いつまでつらい経験を語らせるのか」という視点からの問題もありますが、そういった考え方が、実は性暴力被害者への理解をはばんできたのではと思っています。「慰安婦」運動を通じて学んだことは、「いつまで語らせるのか」ではなく、「どうちゃんと聴くのか」ということで、そこが出来てなかったんじゃないかと思いました。だから詩織さんの時も、すぐに動けなかったのは詩織さんを知らなかったからですが、知らなくたってなんだって、ここは動くべき時だという瞬発力が必要で、それは韓国を見てて思いました。
2018年に釜山に行ったとき、1970年代にウンコ水攻撃を受けた女性労働組合員たちの写真(注:1978年に労働争議中の東一紡織の女性労働者に反対派がうんこ水をかけた事件)を見ました。女性運動はこんなにも困難な道を歩んできたんだと衝撃を受けました。その翌日、日本へ帰ると、東京医科大学が長年入試で女性合格者たちを減点してきた事実が明らかになるニュースがありました。直感的に「これはウンコ水だ」と思いました。これまでデモなどは主催したことがなかったのですが、今すぐ瞬発力を発揮しなくてはならないと思い、その時はちょっと「韓国ハイ」の状態だったので、東京医科大学前に集まろうとSNSで呼びかけをしました。
2018年8月のことでしたが、本当にたくさんの人が集まって、直前の呼びかけだったのにテレビもほとんど全社が来てました。そんなことって、運動が報じられることって日本はほとんどないじゃないですか。これはなんだろうと思って……、そのときデモに参加していた女性たちが、自分たちの話をし始めたんですよ。私はシュプレヒコールは得意じゃないので、ただマイクで自分の話をしましょうと提案したら、みんなどんどんどんどん話し始めて。それが完全に#MeTooだったんですよ。「ああ、日本の#MeTooはこうやって始まるんだな」ってその時思って。性暴力問題では始められなかったけれど、わかりやすい点数差別にはメディアも関心持ってくれて、人もたくさん集まって、思い存分泣きながら大きな声で話すことができる。これはすごいことが起きたなって思いました。
じゃあ次に何をすべきか。被害者を探すことだということは、「慰安婦」運動の経験からわかるわけです。デモ当日の参加者たちは受験生はいなかったと思うんですが、その後呼びかけたらすぐに実際の被害者たちから連絡が入ったんです。彼女たちに会いにいって話を聴いて、弁護士たちにつなげ始めました。いまも裁判が続いていて、世論としても大きくなって。文科省に要望書を出したり、集会も開いて。今でももちろん不透明で、大学によっては男女の合格率が4倍ほど違うところもありました。合格率が平等に保たれるよう、文科省が毎年調査をするって言ったのでで、声を上げれば変えられるんだって実感できたんですよね。成功体験がなければ前に進むのも無理じゃないですか。どうせ声上げても意味ないって。でもこうやって動くと変わるんだっていう経験は大きかったです。
■キャンドルのかわりに花を持って
キョンヒ:私も東京医大前で女性たちが泣きながら叫んでいる姿を印象深く観ました。また伊藤詩織さんの支援グループが結成されたときも、みのりさんや梁澄子さんがグループを率いているのが頼もしかったです。やはり「慰安婦」運動の経験は無視できないと思いました。他の支援者や参加者はどんな方々でしたか?
みのり:ええ、「慰安婦」運動の影響は本当に大きかったと思います。フラワーデモを最初にしたのが2019年4月11日で、その前日の4月10日に伊藤詩織さんの支援グループの発足会を行いました。そのときに会場に、年齢層の高い男性達が多かったことが印象に残りました。性暴力に対する怒りはあるけれど、それよりも政府の不正や司法の不正により憤る空気がありました。発足式自体は熱気に満ちていましたが、#MeTooの空気とは少し違うのではないかということが少し気にかかり、翌日のフラワーデモもちょっと心配でした。
ところがフラワーデモに参加した人はの殆どが女性で、世代も幅広かったんです。みんなが自分の話を始めたときは、「ああ、ついに始まったんだ」と感じた瞬間でした。それまでにも訴訟を通じて性暴力と闘ってきた女性は多かったけれど、どうやって寄り添えばいいかわからなかった。#MeTooのためには#WithYouが必要です。それがなければ声を上げられません。これは韓国から学んだことでもあります。「#MeTooの前に#WithYouをしよう」といつも言っているんです。2013年以降の「慰安婦」運動や韓国のキャンドルデモを通して学んだことをフラワーデモにつなげることができて、私としてはすごく良かったなと思えた瞬間でした。
2019年日本の裁判所は親族による性暴行を含む4件の性暴力事件に対し相次いで納得し難い「無罪」判決を下した。これに抗議して始めた「フラワーデモ」は全国に広がり、今も続いている。フラワーデモポスター。
日本社会で#MeTooが可視化されなかったのは、メディアの世界でニュース記事を選ぶのが中年男性で、性暴力を記事にすること自体を止めちゃうんですよね。「記事にするのは被害者のためにならない」という理屈で……。フラワーデモは女性記者たちがたくさん取材してくれて、記事を書いてくれたので、社会運動としてはかつてない報道のされ方だったと思います。2019年に各地で性暴力に対する4件の無罪判決があり、これに抗議するために始めたデモでしたが、1件はすでに判決が確定してしまったものの、他の3件はみな有罪と認められました。これはもうフラワーデモの声の力だし、それが私たち自身の成功体験となったのです。
キョンヒ:すごいことですね。私は動画で一部を見た程度ですが、花を持って参加するというコンセプトもとてもよいし、お互いをいたわり合う温かい雰囲気が感動的でした。日本らしいこぢんまりした感じというか。必ずしも韓国と同じようにやる必要はないじゃないですか。
みのり:でも真似したかったのは事実なんです。行幸通りでおこなったのも、やはり光化門を意識したからです。本当はキャンドルを持って集まりたかったんだけど、日本はうるさいので。消防車とか来たら困ると思ってしかたがなく花にしようって。
キョンヒ:私は花ですごくよかったと思います! 今も続けているんですよね。
みのり:はい、コロナ以降はオンラインでやっています。全国37カ所くらいで続いています。
キョンヒ:#MeTooの告発内容はやはり相当に……
みのり:私は、家族のなかで、父親にレイプされている子どもたちがこんなに多いなんて知らなかったです、それまで。先ほどの4件のうちの1件がそれだったので、社会的なインパクトを与えた面がありました。子どもたちがターゲットになって被害を受けている事実が少しずつ知られてきているところです。
キョンヒ:韓国でも同じです。最近でもひどいケースがあって、考えるだけで怒りで狂いそうです。子どもにとって最も過酷な被害ですが、でも加害者が中年男性ゆえに、権力を持っているオヤジだから一番明るみに出づらいですね。日本でジェンダー問題に関するバックラッシュは続いてきましたが、フラワーデモをしていて攻撃や脅迫を受けることはありませんでしたか?
みのり:日本のバックラッシュは2000年代はじめからずっとあって、ありとあらゆる攻撃を受けてきましたけど、それでも最近はバックラッシュを乗り越えようとする女性たちの成功体験の声が出てきたので、圧はあってもその分連帯する人たちは増えています。ただ、ナメていたら潰されるので。韓国でもバックラッシュがひどくなったのを知って、韓国すらあんな空気になってしまうのかって、ちょっと怖いですね。日本の場合は基本的に洗練された暴力とでも言いますか、目に見えない力に支配されているのですが、韓国はもっと目に見えるというか、制度に人を合わせるのではなく、人に制度やシステムを合わせようとしているように見えます。その分、息苦しくない社会に見えます。
■女性たちの闘争の種を蒔く本を作りたい
キョンヒ:今日お話をうかがって、思っていたよりずっと韓国との縁が深いと知りました。今年から開始した「アジュマブックス」のことも聞かせてください。最近では韓国フェミニズムを反映する文学作品やエッセイが日本でもたくさん紹介されていて驚くほどです。「アジュマブックス」はどんな経緯で始められたのですか?
みのり:2年ほど前からイ・ギョンシンさんによる『咲ききれなかった花』(ヒューマニスト、2018)を絶対翻訳出版したいねと、梁澄子さんと話し合っていました。とてもよい本だから、出版社を探すのでなく、私たちで作りたいと考えたんです。出版社をやるのは前からの夢で、この機にやっちゃおうかって始めることになって。梁さんに背中を押されたとこも大きいですね。チョン・ミギョンさん作『ハヨンガ』(イフブックス、2018)も同時に進めて翻訳出版しました。まずはこの2冊を出すために作った出版社です。
「アジュマブックス」から出版されたチョン・ミギョン『ハヨンガ』とイ・ギョンシン『咲ききれなかった花』日本語版
キョンヒ:『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ、民音社、2016)をはじめとした韓国文学ブームについては、どうごらんになっていますか?
みのり:まずはとてもうれしいです。今や日本の若者たちにとって、韓国は先を行く国です。音楽も文学もフェミニズムも。文化的に進んだ隣国なんです、韓国は。フェミニズム関連の本も日本になかったわけでませんが、日本の出版社は避けていたと思います。読みたい内容だし、さらに韓国女性たちに関する物語という点で、ヨーロッパやアメリカの作品よりずっと理解しやすい。家族関係や家父長制の雰囲気など、かなり近いものを感じます。これまでは韓流ドラマや韓流スターを見ていましたが、小説を通じて同時代女性たちの姿が見え始めたんです。韓国のフェミニズム作品が日本の#MeToo運動やフェミニズムに大きなパワーを与えています。
キョンヒ:『ハヨンガ』(ソラネット事件を扱った小説)は私も日本語で面白く読みました。読者たちの反響はどうでしたか? キム・ジヨンはある意味地味じゃないですか。物語自体が日常的で淡々としていたので日本でも人気が出た側面もあるでしょうが、『ハヨンガ』は相当激しいじゃないですか。実話をもとにしていますし。日本の読者たちがどう受け入れたのか気になります。実際日本でも似たようなことが起こっていますから。
みのり:そうですね、『ハヨンガ』はちょっと刺激が強いので最初はあまり売れないかもと思っていました(笑)。思ったよりもたくさん読まれていますよ。ちょうど「キム・ジヨン」の10歳下の世代、1990年代生まれの女性たちの物語ですが、日本の同世代には闘いのマニュアルのように読まれているとも聞いています。たぶんもっとじわじわと火がついていくんじゃないかと思います。本当に日本でも全く同じことが起きてますし、韓国では犯罪とされることが日本では犯罪とされてなかったりとか。ポルノ表現に対して、外からの視線を通じて日本のヤバさに気づかされるようなとこもあるので。この作品を通して少しでも闘いモードになればいいなと思ってます。
キョンヒ:今後もどんな本が出るか楽しみですね。みのりさん自身いま執筆を進めている本や、アジュマブックスの今後の予定についてお聞かせください。
みのり:私自身は性暴力のことでまとめなくてはならないのですが、なかなか筆が重くて、そういう話は。韓流とか、好きなものを書くほうが楽しいですね。「アジュマブックス」を通じて女性たちの闘争の種を蒔く本を作っていきたいですね。今梁澄子さんが翻訳しているのは、3人の朝鮮人女性に関する本です(チョ・ソンヒ『3人の女』全2巻、ハンギョレ出版社、2017)。日帝時代に独立運動家たちの恋人や妻だった女性たちの物語ですが、本当に面白そうで。女たちの友情と半島の歴史が交差して…もうひとつの「チャングム」じゃないかと楽しみにしています。
キョンヒ:韓国と日本は同時代性と歴史的な不均衡が交差していて色んな葛藤も生んでますが、なんだかんだ韓国の人たちは日本に興味があります。ただ、今の若い世代は安倍政権以後の日本しか知らなかったり、メディアでも非常に一部のみを切り取られてしまうことが多いので、もっと女性たちの交流とか、フェミニズムや歴史問題をつないでいくような関係ができればと思ってます。今日のお話を聞いて、これまでの活動の中で、みのりさん自身が女性たちをつなげるメディアの役割をしてこられたんだなと感じました。最後に韓国の読者たちに向けて、自由にメッセージをお願いします。
みのり:まずは、韓国に行けないこの2年がつらいです。早く行ってキムチとかスンドゥブとか食べたいなって。韓国の運動が私の一部になっているけれど、日本から伝えられることがあまりに少なくなってしまったこの30年間だったと思います。日本と韓国の女性たちは過去に、今よりもっと連帯していた面もありました。1980年代の労働運動もそうですし、日本の矯風会とユン・ジョンオク先生がつながって「慰安婦」問題解決のための運動が始まったように、連帯しながら現実を変えてきたことっていっぱいあると思います。
また、日本で「慰安婦」運動を動かしてきたのは在日女性たちでした。私はそっちが本当の日本のフェミニズムだったんじゃないかって、そういった歴史をもっと見なくてはって思っています。政権や政治が最悪なこともありますが、結局市民たちが連帯し続けることが希望になるのだと、歴史から学ぶことができます。だからこれからもシスターフッドでつながりながら、家父長社会やミソジニーに立ち向かっていきましょう。
【筆者紹介】趙慶喜(チョ・キョンヒ)。聖公会大学東アジア研究所教員。歴史社会学、マイノリティ研究。主な共著に『主権の野蛮:密航・収容所・在日朝鮮人』、『「私」を証明する:東アジアにおける国籍・旅券・登録』、『残余の声を聴く:沖縄・韓国・パレスチナ』、主な論文に「裏切られた多文化主義:韓国における難民嫌悪をめぐる小考」「韓国の女性嫌悪と情動の政治」などがある。