ひさしぶりに元夫に会った。コロナが流行し始めてからは一度も会っていなかったから、たぶん2年ぶりくらいだろう。むかし、元夫の祖母に私がもらったカメオのネックレスを彼女が返してほしがっているというので、会うことになった。元夫の祖母はフランス北部の老人ホームに暮らしている。元夫が帰省のたびに会いに行くので、私も何度も会いに行っていて、ある時、祖母が生前の祖父からプレゼントされたという、小さいけれども本物のカメオのネックレスをもらったのだった。大切なものだから断ろうとしたけれど、結局もらってしまった。私にはあまりつける機会がないし、離婚した時も返そうとしたけれど、「君が持っていて」と元夫が言うので、持っていた。それを、祖母が返してほしがっているのだという。
土曜の昼、有楽町のスペイン料理屋で待ち合わせた。少し遅れて来た元夫は、私に会えてとてもうれしそうだった。めずらしいことだ。別居以来、元夫の私に対する態度は硬く、会うたびに嫌な気持ちにさせられてきたのだけれど、この日は機嫌がよかった。
席に通され、結婚していた時にいつもそうしていたように、私はメニューを口頭で訳していった。魚のタラを意味する「モリュ」というフランス語がすぐに出てこなくて、別れてからの時間と、毎日フランス語を話すわけではなくなった日常の変化を感じた。パエリアのコースと、赤ワインを注文した。
私は忘れないうちにカメオのネックレスを返し、元夫は夏に帰省したときにフランスで買ったという一般向け文学雑誌「リール」の「女性作家101人」特集をお土産にくれた。それから、私のむかしの給与明細などを「捨てるわけにはいかないから」と返してきた。以前、洗濯機の排水管に詰まっていたという、私の下着をわざわざ返してきたことを思い出した。
料理が運ばれてきて、私たちは近況を報告し合った。この2年の間に、元夫は肩を骨折し、元義弟は自動車事故にあい、元義父と元義母はコロナにかかるも軽症ですっかり回復したとのことだった。仕事面では、元夫のプロジェクトは世界的にきわめて高く評価され、近々フランス本社に異動するかもしれないということだった。私は『私は男が大嫌い』という原題の本を翻訳している最中だと報告した。「今、誰かつき合っている人いるの?」と聞くと、元夫はもったいぶって「ウーイ」と長く発音し、「いる」と答えた。
元夫によれば、相手は世界的IT企業の日本支社に勤める30代前半の中国人女性で、つき合って1年ほどだという。そういえば、去年か今年のいつだったか、元夫からフランス側の離婚手続きがすんだという連絡がきたことを私は思いだした。日本人とフランス人が結婚した場合、日本側とフランス側の両方で離婚手続きをしなくてはならない。日本側は私がすませたけれど、元夫はなかなかフランス側の手続きをしてくれなかった。元夫がやっと手続きをすませたことと、新しい恋人の存在は関係があったのだろうかと私はとっさに考えて、「元妻」っぽい考えだと思った。
元夫の恋人は、英語、スペイン語、日本語に堪能で、「彼女の欠点は語学ができすぎることなんだ」そうだ。「じゃあ、また日本語を勉強しない口実ができてよかったね」と言わなくてもいいことを言ってしまった。
ふたりは、自由が丘のカフェで隣同士の席に座っていて知り合ったのだという。ヨーロッパ人らしいカジュアルな出会い方に驚いた。しかし、思えば私も共通の知り合いがいたとはいえ、元夫とはいわば道端で知り合ったようなものだった。たまたま知り合った人と、うまくやっていける人とやっていけない人がいて、私は後者のようだった。
少し前に、アナイス・ニンの人生を描いた『アナイス・ニン:嘘の海の上で』というコミックを読んだ。アナイス・ニンは、フランス生まれの女性作家で、日記や「エロティカ」と言われる官能小説で知られる。ヘンリー・ミラーの愛人として言及されることも多い。コミック『アナイス・ニン』は、ミラーとミラーの妻を含む複数の愛人たちとの関係や、アーティストであり妻であることから生まれる彼女の葛藤を描きながら、アナイス・ニンがアナイス・ニンになるまでの軌跡をたどった作品だ。
読んで驚いたのは、アナイス・ニンが愛人たちとの関係を夫に黙っていたということだった。私はてっきり、アーテイストたるアナイス・ニンは好き放題に生きていて、愛人関係は夫公認なのだと思っていたのだけど、全然違った。コミックにはニンの日記の言葉が引用されている。ニンは、善良な夫を騙している良心の呵責にさいなまれつつ、「それでも私はイノセントだ(悪くない、純真だ)」と何度も繰り返す。そして、愛人たちとの関係があるおかげで、夫との関係にも新たな光が当たり、夫をまた新たに愛せるのだ、というようなことを言う。
私はこの作品を読んで、何人もの愛人をつくり、夫に嘘をつき、葛藤を抱えながら生きられるのもまた、心の強さなのだと知った。夫婦やカップルや家族のような、あやふやなような、強固なような、正体のよくわからない関係を維持するには、きっとアナイス・ニンのような種類の強さが必要なのだ。むかし、「千尋さんは自分に嘘がつけないから」と言われたことがあって、当時は漠然と褒められたように感じていたけれど、ようは心の中に葛藤を抱えておけない性質を指摘されたのだ。親しい友人は、「そういう人には、結婚はほんとうに苦しいと思う」と言った。
恋人の話がすむと、「君は誰かいないの?」と元夫が聞いてきた。「いないよ」と私。「全然、誰も? 何もないの?」と元夫。アナイス・ニンにならって、私は黙っていた。
食事を終えた私たちは、偶然ふたりとも用事があったので、伊東屋へ行くことにした。元夫は、折り紙でクリスマスツリーのオーナメントを作りたいのだという。私は、日記をつけ始めるためのノートを買おうと思っていた。アナイス・ニンは日記に洗いざらい何でも書いてダイナマイトのように持ち歩いていたという。アナイス・ニン的なノートが私にも必要なのだ。
レストランから伊東屋まではほんの1〜2区画程度だったけれど、早歩きの元夫について歩いているうちにすきっ腹に飲んだ赤ワインが急に回ってきて、私は伊東屋でへたり込みそうになった。「座れる場所に行くわ」と言うと、元夫が近くのスターバックスまで送ってくれた。
スターバックスに着くと、私はカウンター席につっぷしてしまった。元夫はペットボトルの水を買ってきて、キャップをあけてくれた。「いくら?」と聞くと「大丈夫」と言う。私は、何か奇妙で印象的な言い方でお礼を言わなければという思いに突然とらわれて、「あなたは世界で一番やさしい元夫」と言った。
前日に観直した『東京フィアンセ』という映画の印象が強く残っていた。日本育ちのベルギー人作家アメリー・ノートンの小説を原作にした、ベルギー人の女の子と日本人の男の子の恋愛模様を描いた作品で、別れを切り出そうとしている女の子が、男の子のやさしさにほだされて、泣き笑いのような表情で「あなたは世界で一番やさしい男の子」と言うシーンがある。この映画の登場人物のフランス人によれば、西洋人の女性と日本人の男性のカップルはうまくいかないけれど、西洋人の男性と日本人の女性はうまくいくということだった。
「僕が君のストレスになっていたこと、恨んでない?」と元夫は最後に聞いた。
「恨んでない。あなたこそ、私のこと恨んでない?」
「恨んでない」
元夫はテイクアウトの紅茶を買って、私を置いて店を出ていった。いよいよアルコールが回って気分が悪くなった私は、スターバックスのトイレで喉に指をつっこんで吐いた。元夫に恋人ができたと知って、私はとても安堵していた。しかたがなかったとはいえ、先に家を出たのは私のほうだ。夫が家庭というものに抱いていた夢や希望を、私が壊してしまったかもしれないのだった。しかし、もう帳消しである。
その夜、『アナイス・ニン』のコミックを貸してくれたベルギー人の友人と食事をした。昼間あったことを話すと、「フランス語では“あげたものは、あげたもの。取り返すのは、盗むのと同じ”って言うのよ」と言って、私のために怒ってくれた。「そのカメオは今ごろ、新しい中国人の恋人がつけているわよ」というのが彼女の意見だった。私もそうだろうと思っている。