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わたしがおばさんになったら、ジェンダーバイアスをぶち壊す♪①

行田トモ2021.10.19

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9月3日未明。わたしは雷鳴に飛び起きました。前日に神戸から越してきたばかりでまだ自宅が整っておらず、母とホテルに泊まっていました。目をこすりながらベッドを出て、稲光と窓に叩きつけられる雨粒を見て、ふと思いました。
「今日かもしれない」
本当に、それはただの直感でした。でもなぜか確信がありました。
そして数時間後、わたしの直感は当たり、わたしはおばさんになりました。甥が生まれたのです。

おばバカと言われようがなんと言われようが、生まれたその日から、甥は尊く、美しく、愛おしい存在です。ありがたいことに周囲の人に大切にされ、会う度にわたしを幸せな気持ちにしてくれます。……いいえ、嘘はいけませんね。上述の気持ちはわたしが心の底から感じたことです。しかし、それと同時に甥を囲んだ兄夫婦の姿が、レズビアンであるわたしには決して手に入らないものに見えて、そして、子どもを望んだことがパートナーとすれ違う一因となったことを思い出させて、自宅に帰って泣いたことも何度かありました。

それでも、1週間会わなかっただけで驚くほど成長する甥の姿を見ているうちに、愛おしさが感傷を上回るようになりました。そうなったらもうおばバカスイッチオン! です。
彼のためにわたしができることはなんだろう?
彼のより良い未来のためにできることは?
そう考えて、今回のコラムを書くことにしました。

わたしが彼に与えたいもの。
それはジェンダーバイアスのない世界観です。
ジェンダーバイアスとは、簡単に言えば「男の子はこう」「女の子はこう」など、性別による偏ったものの見方です。きめつけと言ってもいいでしょう。これが発展すると性差別や自己否定につながります。

ここで少し昔話を。わたしは、緑のランドセルが欲しい女の子でした。
ランドセルのカタログを見て「これがいい」と指さしたのは深い緑色。母も6年間ほぼ毎日使うのだから、好きな色を選ばせてあげようと考えたそうです。
しかし、同じ社宅の人からこう言われました。「私たちは転勤族だから、引越し先でランドセルの色で周りから浮いちゃって、それでいじめられることもあるかもしれないよ。女の子なのに緑のランドセルだ!って。みんな赤なのに」と。

そう。父の仕事の関係で全国転勤の可能性があったのです。当時は女の子の大多数が赤いランドセルを背負って小学校に通っていました。ピンクでさえ少数派でした。母は赤いランドセルを購入。私はツヤツヤのランドセルに喜び、自分が緑色を欲しがったことをすっかり忘れました。
そして、5年生になる時、福岡に引っ越しました。転入した小学校にはオレンジや水色のランドセルの女の子がいました。体操服さえ統一されておらず、ブルマの子は1人もいませんでした(前の学校では私がブルマをやめた女子第一号でした)
母はとても後悔したそうです。なぜ娘が望んだ緑のランドセルを買ってあげなかったのか。それは本当に娘のためになったのか。大学生の時、ランドセルのCMを見ながら母にこの話を聞かされ、「ごめんね」と泣きながら謝ってもらった時は、心底驚きました。全く覚えていなかったのですから。

前置きが長くなりましたが、つまり、ジェンダーバイアスとはそういうことです。
「女の子は赤かピンクのランドセル」
「男の子は黒。それか青(青も少数派でしたが)」
「女の子は人形遊びかおままごと。優しく、礼儀正しく、おしとやかに。女の子だから」
「男の子は元気に外で遊ぶ。多少ケンカしても、乱暴でも、男の子だから」

それが大人になるとこうなります。
「女性は子どもを産み育て、家庭を守ること(そしてできるなら働きもすること)
夫を陰で支え、自分はでしゃばらないこと」
「男性は立身出世を目指して一家を支える大黒柱となること。妻と子を守り、なおかつ家庭内での威厳を保つこと」
下手な博多弁で反論させてもらいます。
「は? アホやん? 何いいよーと?」

わたしのたとえを読んで「いや、古すぎるって!!」と思った方、大正解です。しかし、世の中にはまだそうしたジェンダーバイアスがあちらこちらにはびこっています。先日もアドベントカレンダーを某サイトで探したら「男の子用」「女の子用」と表示されて、ため息をつきました。かわいいお人形が好きな男の子、かっこいい消防車が好きな女の子はいまだに異色な存在なのです。

そんな世の中に子どもたちが飛び出す前に、ぜひ読んで欲しい絵本に出会いました。
フェミニズムにまつわる本を出版されているエトセトラブックスさんの、

『女の子だから、男の子だからをなくす本』
(ユン・ウンジュ著/イ・ヘジョン絵/ソ・ハンソル監修/すんみ訳/2021)
です。
https://etcbooks.co.jp/book/nakusuhon/

これは大人たちが押し付けてくる、そして実際に子どもたち・大人たちが従わされ、囚われてきた「女の子だから」「男の子だから」にとことん「は?」と疑問を抱こう! という本です。この時点でもうステキ。
著者のユン・ウンジュさんは、

”子どものころ、差別や不平等なルールに非常に不満の多い女の子”

だったそうです。
そして絵を担当したイ・ヘジョンさんは、

”子どもたちが「女らしさ」「男らしさ」という枠組みにとらわれることなく、自分らしさを存分に発揮し、自信を持って暮らしてほしいと心から願っています”

とコメントしています。
そんな素晴らしいお二人の作品を監修されたのがソ・ハンソルさん。小学校の先生で、フェミニズムの教え方を研究する小学校教員の集団「初等性平等委員会」の代表です。

この委員会は2017年にある小学校の先生が授業でソウルクィア文化祭の様子を見せたことに批判が集まった際、オンラインで「#私たちにはフェミニスト先生が必要です」という運動を行なった団体で、人権に関する賞の受賞歴もあります。

プロフィールを読むだけでも豪華な人たちが、心から子どもたちに伝えたいメッセージがぎゅっと詰まったのがこの絵本です。

“「女の子だから」「男の子だから」とばかり言われていたら、女の子でも男の子でもステキな人になれるわけがない。”(p.5)

と提案して、じゃあどうすればいいかと子どもたちを導いてくれます。
女の子には、自信を持つこと、お手本にしたい女性、つまりロールモデルを見つけること(世界を変えた女性を紹介して)、そして、ありのままの自分の体を愛することなどを伝えています。

“体にはよいも悪いもない。あなたの体とちゃんとむき合って、かわいがって、ありのままを好きになろう。あなたの体は、つまりあなた自身だよ。自分の体をきらいになるのは、自分をきらいになるのと同じこと。”(p.12)

ここでは思わず涙が出てしまいました。InstagramやFacebookでモデルなどのスタイルを見て、自分の体つきを嫌ってしまうティーンエイジャー(もちろん大人もいます)が多い中、これは非常に大切なメッセージではないでしょうか。
そして、相手が間違っていたら時にはケンカも必要、とも語りかけます。

この部分を読んだ時、わたしは母から聞いた兄の幼少期のエピソードを思い出しました。
兄は幼稚園の頃、(おそらく)好意を抱いていた女の子に対して非常に威圧的だったのです。「そこを動くな!」と兄が言うと、彼女は固まってしまいました。それを見て「これはいけない」と感じた母は、「叩かれたりしたら、一度思いっきりやり返してごらん。やっていいから」とその女の子にアドバイスしたそうです。そして案の定、彼女は兄より強かったのです。母の目から見て、それ以降は2人の遊び方や接し方が対等になったそうです。

さて、それでは「男らしさ」に縛られがちな男の子にはどんなメッセージが送られているでしょうか? まず、

”「男らしく」なくていい自由”

を紹介しています。それは以下のようなものです。

“好きに泣いていい自由”
“どうどうと負けてもいい自由”
“立派な人にならなくてもいい自由”
“こわいと言ってもいい自由” (p.22)

これだけでも、男性がいかに幼少期から「男らしさ」にとらわれているかがわかりますね。
さらに素晴らしいのは、男の子に自分が女性より優位な位置にいることをきちんと伝えていることです。自分がマジョリティであること、犯罪の対象になる確率が低いこと、女性の方が社会で高い地位につくことが難しいことを男の子に向けてしっかりと話してくれるのです。

そして、どうすれば男女関係なく、ステキな人になれるか。この世の中の女と男について、決して公平とはいえない現状について仕事から家庭内の家事分担まで詳しく考えていきます。
それから、男女の体の違い、そして恋愛について教えてくれます。たとえば「いやよいやよも好きのうち」は間違いだってことなど(いまだにこの手の勘違いが多いのは本当に腹立たしいですね!)また、同性愛や、恋愛は必ずしもしなければならないものではなく、パートナーを作らずに楽しく人生を送っている人が多いことなど、「おぉ」と感嘆してしまうことまで、ていねいに、わかりやすく伝えてくれます。
そして最後には、

“だれもが平等で、幸せにくらせる世界” (p.53)

を目指して一緒に声をあげていこう! と呼びかけています。
どうでしょうか? 素晴らしい絵本ではないですか?
訳者のすんみさんを含め、この本の制作に携わったすべての人が、これからの世の中を担う子どもたちに少しでも自由に生きてほしい、そして、その権利を他者にも認められる人になってほしいと願っていることが切に伝わる一冊です。
そして、大人としてこれを読むと、この絵本に書かれていることが当たり前でない世の中を作ってしまったことを心から情けなく思います。それと同時に、こんな決めつけを一つでも減らして、次の世代にバトンを渡さなければならないと感じます。

しかし残念なことに、それが容易ではない今の世の中。では、大人はどうすればいいのでしょうか? わたしは自分の中にあるジェンダーバイアスや差別意識に気づくことが、変化をもたらす第一歩になるのではないかと考えます。次回のコラムでは、そんな悩める大人たちにアドバイスをくれる本をご紹介します。
子どもたちが自由に自分らしく生きられる世の中。それは間違いなく、私たちにとっても息のしやすい世の中でしょう。そんな世界を、一緒に目指しませんか?

今月もお付き合いいただいてありがとうございました。また来月お会いできることを楽しみに、行田トモでした。

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行田トモ

行田トモ(ゆきた・とも)

エッセイスト・翻訳家
福岡県在住。立教大学文学部文学科文芸・思想専修卒。読んで書いて翻訳するフェミニスト。自身のセクシュアリティと、セクハラにあった経験からジェンダーやファミニズムについて考える日々が始まり今に至る。強めのガールズK-POPと韓国文学、北欧ミステリを愛でつつ、うつ病と共生中。30代でやりたいことは語学と水泳。

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