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捨ててゆく私「名付けたい現象」

茶屋ひろし2021.10.08

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LOVE PIECE CLUB様、 25周年おめでとうございます。
近年、新しい事業を次々に展開していかれる様子を眩しく拝見しています。益々のご活躍を祈念いたします。

そうですか、25年前といえば1996年で、私は21歳でした(電卓をたたきながら)。それは、京都の学生下宿で一人暮らしを始めた年でした。そのちょうど10年後の31歳のときに、新宿二丁目で働きながら思うことをこちらに書かせていただくことになりました。そして41歳のときに、大阪で父親が経営する本屋の店長になりました。私の節目は10年単位だったようです。

さて、店を任されるようになって数年が経ちました。店のスタッフは社員とアルバイトの方を含めて20人ほどいます(9割が女性)。店長の仕事のひとつとして「労働環境を整える」ということがあるように思います。法律に則った時間配分はもちろんですが、なるべく暴力性の低い職場にしたいという思いがありました。

これまで多々あって、人を変えることは無理、という結論に落ち着いたので、それならば、環境をできるだけストレスフリーに近づけることで、働いている人たちが無理なく有機的に動けるようにしたい、そうすれば人は自ら環境を良くしたいといほうへ向かうはず、という自然発生的な(他力本願的な?)ものに頼ることにしました。

それには、リーダーが威圧的にならないことと、意味のない縛りをなくすということが必要なのではないかしら。リーダーとしては、怒鳴らない叱らない、何かしてほしいときはお願いする。意味のない縛りは、くだらない校則のようなことです。アルバイトの面接をしていて、「髪の毛の色は黒じゃないとだめですか。ネイルやピアスはOKですか」と若い人から訊かれることが増えました。

もちろん、好きにしてください、と答えますが、いまの学校教育はどないなってんねん、とは思います。別の本屋からやってきた人は、白シャツを着なくていいとか、レジに入る人が決まっていないとか、作業しながらおしゃべりしてもいいんだ、と驚きます。環境を整えるといってもそれくらいのものですが、これまで縛りがきつかった環境で働いてきた人には、それが逆にストレスになるということもわかってきました。おそらく専門分野ではなにかしら名付けられているとは思いますが、この現象をなんと言えばいいのやら。

というようなことを考えていたら、この夏、ちくま文庫から80年代後半に書かれた氷室冴子のエッセイ集『いっぱしの女』が復刊されました。著者が30代のときに、この国で女性として生きる際に生じる違和感をつづったものです。まだセクハラという言葉が浸透していなかった時代に、男性たちの言動のおかしさとそれに接したときの自分の気持ちを、自分の言葉で的確にユーモラスに表現しています。

その中で、映画『カラーパープル』(1985)について書かれた章がありました。アリス・ウォーカー原作の、20世紀初頭のアメリカ黒人差別の状況と、さらにその黒人社会のなかにある男女差別、そこで育まれる女たちの友愛が描かれた物語です。監督はスピルバーグ、主演はウーピー・ゴールドバーグで、彼女のデビュー作でもあります。

黒人社会の中で、主人公のセリーは14歳で父親の子供を出産しその子供は売り飛ばされ、その後、父親と同じように暴力的な男に嫁がされてしまいます。召使のように扱われて耐える日々。そんななか一人の女性が現れます。氷室さんの文章を抜粋します。

とりわけセリーが、義理の息子ハーポがつれてきた恋女房ソフィア、大きくて、たくましくて元気なソフィアが夫に一歩もひかずに強情を通していることに嫉妬し、ハーポに、妻にいうことをきかせたいなら、
「(あたしが夫にされているように)殴るのよ!」
という。そのひとことを言うときの上目づかいの、卑屈で、けれど一瞬の凶暴さが閃く目がいい。
夫は殴るもの、女は耐えるものと信じてきた世界が、ソフィアの出現で崩れようとしている。ソフィアは殴られねばならない。殴られて泣きしおれたとき、あたしたちは仲間になれるという愛情とあこがれの裏返しの嫉妬がゆれていた。

それ! 同じ被害にあわなければ仲良くなれないと感じてしまう意識。これに意外と足を取られてきた、と膝をうちました。被害や抑圧に耐えてきた人にとっては、それらがない環境にすぐには適応できない。
スポーツ現場での指導者のしごきや、嫁姑問題もそういうことかもしれない。自分がされて嫌だったことを断ち切らずに連鎖してしまう。振り返ると、二丁目で飲んでいたころ、いろんな人に絡んで嫌な思いをさせていた自分もそれだったように思います。なんて。
氷室さんの文章はこう続きます。

けれどソフィアは一歩もひかずに、夫ととっくみあいの凄まじいケンカをしたあと、セリーのところにやってきて、
「あんたが殴れっていったの!?」
激しい怒りをこめて、射るようなまなざしでいう。顔じゅう、殴られて傷だらけになりながら。
殴られても、決してひかないソフィアの逞しさと凛々しさは、みている私を――そして作中のセリーの心を震わせ、つよく打つ。

そうなのよね、怒るとすれば、ここなのです。このあと、氷室さんは映画に描かれた「レズ的な愛情」(今言うなら「シスターフッド」)を取り上げ、そこに感動するのだ、と締めくくります。春先に、「店長はやさしすぎる! もっとスタッフを叱れよ!」と泣きながら叫んで辞めていった女性を思い出しながら……。

*引用:『いっぱしの女』氷室冴子、ちくま文庫(2011)所収、「レズについて」より

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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