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TALK ABOUT THIS WORLD ドイツ編 遠くて近い国、アフガニスタン – ドイツの派兵と撤退の後

中沢あき2021.08.20

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テレビに映し出された、離陸する飛行機に群がる人々の姿は衝撃だった。米軍およびNATO軍の撤退とともにあっという間にアフガニスタン各地に侵攻して制圧していったタリバンは、8月15日首都カブールを制圧、出国した大統領の代わりに大統領府に入り、政権樹立を宣言し、国内に在留する各国外国人に速やかな国外退去を通達した。その翌日にカブール空港には出国したいと集まった国内外の人々があふれかえり、外国機に同乗しようと群がった。そして離陸する米国機にぶら下がった何人かが離陸後に空中から落下し、死亡したという。

ドイツは米国に続いて、かなりの規模の軍隊を20年近くアフガニスタンに派遣していた。そしてその長期化する派兵活動の中、戦闘で命を落とした兵士たちやドイツに帰還後にアフガンでの体験が原因のPTSDを発症したり、除隊後に社会復帰ができなくなる彼らの犠牲も社会問題になり、何かにつけて批判と議論の的だった。それでも国防軍の撤退を決めない政府の方針は、ドイツ社会にも少なからず負担をかけながらも継続したが、米軍撤退の決定とともに、やっと足を引き抜けるとばかりにドイツ国防軍も撤退を決めた。

しかしニュース映像を通して見たあの混乱の様相と、あっという間にタリバンが再びアフガニスタンを支配下においたその展開のあっけなさに、ドイツ国民は皆、呆然としただろう。そもそも軍を撤退させればこうなる展開は予想され、指摘され、批判の意見も上がってはいた。だから、それ見たことか、ではあるのだが。「ドイツ連邦共和国始まって以来の最大の外交失敗策」とまで他の政治家から批判され、マース外相は報道陣を前に長時間の釈明と謝罪に立ったが、まるで彼の責任であるかのような印象づけがちょっと気の毒ですらあった。外相とともにメルケル首相もこれから予想されるアフガニスタンからの難民受け入れや、ドイツ人およびドイツ政府機関の現地人関係者の緊急帰国を約束したが、数日経った今も、ドイツおよび他国のアフガニスタンからの退去は混乱を極めているようで、帰国や受け入れが進んでいない。

メルケル首相は、2015年の難民流入のような状況は避けなければならないと慎重なコメントを添えたものの、ある意味で派兵をしてきた米国およびNATO軍の参加国にはこの難民発生の事情には責任があると言えるだろう。このアフガン派兵は、過去16年続いたメルケル政権とともにあったと言える。9.11の同時テロをきっかけに米国やドイツのアフガニスタンへの派兵と駐留が始まり、この国の政情安定と「開かれた」民主主義の社会を目指すためのサポートを目的に継続した派兵は、結局のところ、欧米諸国の期待した民主化には至らず、政情も安定することなく、ずるずる泥沼化し、いつまで派兵を続けるのかがこの数年の連邦国会の議題でもあった。

メルケル首相が率いる与党政党CDUの元党員であり、元連邦国会議員でもあったジャーナリストのユルゲン・トーデンホーファー氏はドイツ軍派遣の当初から、米国およびドイツのアフガニスタンの軍派遣に批判を続け、タリバンやアルカイダといったイスラム原理主義の関係者へも直接取材して調査をまとめた書籍をいくつも出版している。その彼がこんな投稿をfacebookにしていた。9年前にドイツ公共放送のトーク番組に出演し、「アフガニスタンの現地の状況について、ドイツのマスコミは正しく報道していない。タリバンやアルカイダが悪者で、それをやっつけろ、という簡単な構図ではない。利を得たのは軍事産業であり、ドイツ兵士も国民も皆、間違った情報をずっと教えられてきたのだ」と発言して以来、テレビのトーク番組から敬遠されるようになったという。しかし今のアフガニスタンの状況は、まさに何年もそして特にこの数ヶ月、彼が必死で訴えていたこと、そのものになってしまった。

9.11の同時テロの後から私は、2019年12月にアフガニスタンの武装勢力の銃撃で亡くなった中村哲医師が率いた「ペシャワール会」に毎年わずかな額ではあるけれど、寄付を続けてきた。その現地の社会と文化を知る中村医師はタリバンへの一方的な批判を牽制していた。中村医師の話はインターネット上にあるので詳細はぜひ読んでいただきたいが、簡潔に言えば「その土地にある風土や慣習に基づく社会事情も尊重すべき」ということだろうか。

一方で、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイ氏の訴える、アフガニスタンにおける女性の権利問題も深刻だ。現時点でタリバン政権は「女性の教育を受ける権利や社会進出の機会を尊重する」と発言しているが、タリバンとはフランチャイズのような組織で、各地の様々な組織が集結しているのだというから、上層部の方針が本当だとしても、それが今後どれだけ全体に浸透していくかはまったく不透明だ。そんな中で過去のタリバンの恐怖政治が記憶に残る人々のパニックは起きて当然だろう。

とはいえ、とにかくこれはアフガニスタンという、私たちの常識とはまた別の社会がある国の話で、他国、ましてや西欧主義の思想のもとに国づくりなどはほぼ不可能であり、干渉であり、そうした違う思想の存在や社会を認めなければならないこの事実を、現在もまだタリバン=悪の画一的な報道が多くを占めるドイツで、今後どれだけの国民が冷静にこの状況を受け止めていけるのだろうか。

以前にも書いたことがあるが、2006年頃に通っていた近所の語学コースにアフガニスタンから難民として逃れてきた女性がいた。同年代の彼女と会話の練習をすることになり、私が彼女の家族について質問をした。弟がいる、と言った彼女にその弟さんのことを尋ねたら「弟は米軍の爆撃で亡くなった」と答えが返ってきた。言葉に詰まった私に彼女はいいのよ、といった感じで少し頭を振り、いつかはアフガニスタンに帰りたい、と微笑んだまま言った。2015年の難民流入の時とは違い、あの頃は難民としてドイツへ一時亡命し、状況が落ち着いてからまた国へ帰る人たちが多くいたのだ。しばらくして彼女は姿を見せなくなり、その理由は誰も知らなかったが、アフガニスタンのニュースが流れると、黒髪のおかっぱ頭に幼女のようなヘアクリップで横髪を留めた彼女のおだやかな微笑みを思い出す。彼女は故郷へ帰れただろうか。
そして2010年前後は、このアフガンからの帰還兵のPTSDをテーマとして取り上げたアート系の映像作品を映画祭や美術展などで何度も見た。それだけ、ドイツ社会の中では大きな問題になっているんだなと感じていた。

戦争で犠牲になるのはいつも、巻き込まれる一般市民、特に女性だと、しばらく前に公園で立ち話をした旧ユーゴスラビア出身のママ友が苦笑混じりに話していたことをふと思い出す。これからまた、アフガニスタンだろうが米国だろうがドイツだろうが、私たち一般市民を巻き込む戦争などにならないことだけをひたすら願う。

写真:©️Aki Nakazawa[/caption]

秋桜と書くだけあって、朝晩の空気が冷たくなり、秋の気配を感じるようになりました。北国の夏は短いです。
弟を殺した側の国に「助けてもらった」という状況の複雑さを彼女自身はどう受け止めていたのか、今でも考えます。この世界は多面的な構造のはずで、ドイツ社会はこれまで、その多面性や多様性を、少なくとも話し合いを続けて理解の可能性を探ることを何度も重ねてきた文化があると思っていたのですが、この1年ほど、そのバランスが傾いて大きな不安を感じます。文章で書くのはなかなか難しいですが、少しずつお伝えできる機会があればと思います。
故・中村哲医師のインタビューはこちらで読めます。Vol.10を読むと、考えさせられます。ぜひご一読を。

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中沢あき

中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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