小田急線内での事件の報道の後、何か書かなければと思っては消し、また書いては消しを繰り替えし、結局ここに3年前に書いた原稿を載せようと思う。
今回、「幸せそうな女性たちを殺したい」という発言で、最初に思い出したのは2018年6月に東海道新幹線内で22才の男が刃物を振り回した事件だった。「無差別」と報じられた事件だったけれど、そして実際に殺されたのは犯人に果敢に立ち向かい多くの女性を救った一人の男性だったけれど、私はあの事件はフェミサイドだったと考えている。当時、週刊朝日に寄稿した原稿があったので、それをそのままここに掲載したいと思う。
「幸せそうな女性」の空気を憎む男の気配は、もう何年も前からあった。というより「フツー」にしているだけで苛立たれ、見知らぬ男に罵られ、ぶつかられたり、チッと苛立たれるような経験をこの社会を生きる女はもれなく体験している。私たちはずっと警戒し、緊張させられている。ここはそういう社会。こんな命がけは、もううんざりだ。
性差別の社会を変えなければ、私たちの命は、常にこんな風に危険にさらされることになる。
(2018年6月週刊朝日に寄稿した原稿)
新幹線車内で22才の男が起こした殺傷事件。ニュースで女性の多い車両だったと聞き、いやな予感がした。案の定ネットではすぐに、のぞみの車内をトンペン(東方神起のファンのこと)たちが、男のいる車両から必死に逃げた様子が伝わってきた。その日、新横浜駅近くの日産スタジアムで、東方神起のライブが行われていたのだ。7万2千人が入る国内最大規模の会場で、3日間連続ライブの2日目だった。
指定席通路側に座っていた男は、新横浜駅から乗り隣に座った女性を、出発して間もなく無言で切りつけたという。
長年にわたり自殺願望を口にし続け、ロープを持ち歩き、事件直前まで数ヶ月間野宿をし、買ったばかりの鉈と果物ナイフを持って新幹線に乗り込んだ男。男の持つチケットはどこ行きだったのか、いつ犯行を起こすつもりだったのか詳細は分からない。ただ一つ明確なのは、あの日の夜ののぞみには、上下線ともに新横浜駅で大量の女性が乗り込んだことだ。恐らく車内の空気は、新横浜駅で一気に変わっただろう。だいたい新幹線に乗った直後、女たちは賑やかだ。席どこ〜?荷物棚に乗せる〜?お腹空いた〜?楽しかった〜! 私自身がそうだから、とてもよく分かる。しかも東方神起のライブの後だったらなおさら私たちは饒舌で、まとっている空気はひたすら前向きだ。
東京駅から新横浜駅まで約15分。そこまで沈黙をしていた男に、最後の最後の引き金を引かせたのは何だったのだろう。もしかしたら、女たちの幸せそうな空気、だったのではないか。そんな空想が頭から離れない。男は「誰でもよかった」と言ったという。でも、もし、新横浜から乗ってきたのが屈強の男たちだったら? 隣に座ったのが身体の大きい男だったら?「無差別」殺人と言われ隠蔽される「差別」がある。そんなことを考えずにはいられないほど、この社会で女でいると、残念ながら“そんな経験”を無駄に積み重ねてしまう。人混みでわざとぶつかられたり、女どうしで喋ってると「うるさい」と頭ごなしに怒鳴られたり、もたついているとチッと言われたり。女へのいらつきを当然のようにぶつけてくる男が一定数いることを、肌身で実感する残念さは日常茶飯事だ。
先日、性差別に関する新聞社の取材で「昭和の感覚をひきずってる男性が多い」と記者が指摘していた。その面も確かにあるが、それでも、平成も30年だ。というか「平成」が「女にフェアだった」ことなんてあるんだろうか。性差別は「昭和の男がやらかす」ことだけでなく、平成が深めてきた今の問題なのではないか。昭和よりも、より洗練され商品化された性差別は、もはや環境のようにある。土曜の夜、好きなスターのコンサート帰りの女たちの華やぎが、男を冷静にさせるどころか、疎外感と苛だちを深め暴発させる。その空気が私にはわかる。そんなリスクを孕んだ車両に、私は、今日も乗っているような気持ちになる。それはとても悲しくて、怖い平成の電車だ。