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YURIさんのフェミカンルーム71 ここまでよくがんばって来たね。諦めないでいてくれてありがとう。

具ゆり2021.08.06

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いつの間にか猛暑の8月真っただ中、皆さんお元気ですか?
最近は季節ごとのゆるやかペースのコラムです。

オリンピックでお祭りムードが解禁となり、コロナの新規感染者はあっという間に1日1万人を超えた。オリンピック選手・関係者も今日(8/4)300人を超えた。
世界では感染2億人、死者は400万人を超えるパンデミックは、ウイルスの形を変えて現在進行形だ。日本でも100万人を超えるのは時間の問題だろう。
この間、知り合いの何人かが感染していた。ある人は保健所となかなか連絡がとれないまま仕方なく自宅にいて、ほとんど放置されたままだった。入院できて治療を受け、無事だった人もいる。私の周りは、幸い受け回復した人ばかりで救われている。
ずさんで無為無策の政治が、わが身と生活に容赦なく跳ね返ってくることをつくづく実感しながらもう1年半になる・・・。

でもこの先は・・・。
「国民のために働く」「命を守る」がキャッチフレーズの為政者が「重症者以外は自宅療養で」と臆面もなく見捨て発言をし始めた。
え、「安心安全」「先手先手」がオハコのはず、どの面下げて言う?

東京では、今2万人が自宅療養、入院調整中という名の患者放置、放棄が起きている。行き先がないのに、調整も何もない。入院基準をさっそく厳格化した東京都。小池さんの逃げ足はさすがに速い。都民の皆さん、パンデミックのさなかのオリンピックが「ステイホームに貢献」なんぞ、言わせていいの? 東京の「1日1万人感染」が現実になるとしか思えない。これから先、ほんとに何が起こるか見当もつかない。

私のワクチン接種は6月に終えた。やれやれ、やっと一息つけるとホッとしていた。この調子でいけば秋には旅行だ~! と、気分はルンルン、ソウルに向かってた・・・なんて、甘かったね・・・。能天気がお恥ずかしい。
予定はとんでもなく未定になってしまった。春から大学など対面授業が再開されて、久しぶりの生講義で忙しい日が続いていた。学生にもやっと当たり前の生活が戻ってきているようで、オンラインにはないリアル感を取り戻していたというのに。先の見えなさに改めて身構えている。

フェミカンルームでは、オンラインがすっかり定着している。対面カウンセリングの再開は、またまた様子見となった。オンラインの普及は、思いのほか新しい出会いを生んでいる。遠方の人、出かけるのが困難な状況の人らと時間調整もしやすく、多方面でのリスクと負担が少ない。フェミニストカウンセリングが、できるだけ広く多くの女性のニーズに応えようとするなら、クライエントの側からその選択肢を考えてこなかった問題だと今にして気がつく。

今回はクライエントMさんのこと。コラムの読者でもあり、本人の了解を得たので、少し彼女のことを書かせてもらう。Mさんとは5年半のおつきあい。自治体の女性相談がきっかけで、フェミニストカウンセリングとつながった。

Mさんは、虐待と性被害のサバイバー。
10代半ばから不登校と引きこもり、摂食障害、リストカット、パニック発作など、辛い症状に苦しんで精神医療の入退院を繰り返してきた。耐え難いことがあるから症状になって現れる。でも、主治医によって診断は変わった。診断によって治療も薬も変わる。そんな生活が30年続いていた。自分のことを聞いてもらえないまま、語れないまま、あまりに長い時間がたっていた。

出会ったころのMさんは、長い髪で顔を隠すようにいつもうつむいていた。せっかく面接に来たというのに、座ったまま小さくなっている。目を合わせてくれず、声を聞くまでずいぶん待った。ただじっと待つ沈黙の時間はカウンセラーにとっても長い。ポツリポツリでも、話してくれると正直ホッとした。よくここまで来てくれたね。かがみこんで縮まった状態から、少し首をもたげて時折こちらをチラリと見る。目があうと、あわててまたうつむく。40代なのにどこか幼く、固まりつつも、はにかむ笑顔を時折見せてくれる。とてもゆっくりながら、信頼関係が形成されていくのを感じた。

Mさんの虐待と性被害の痛みは過去のまま、塊のまま居座っていた。トラウマと対峙するにはMさんの覚悟があって初めて向き合える。思い出したくない、忘れたい、できればなかったことにしたいと封じ込めてきた記憶と感情の波が何度も打ち寄せるのを覚悟しないといけない。面接の合間、不調で乱高下状態するときは、電話相談をよりどころにする生活だった。Mさんのペースによりそいながらの面接を重ねた。自分を見捨てた母への捨てきれない気持ちと寂しさ、期待と失望、虐待の辛い記憶、性被害の恐怖、パニック発作と過呼吸の繰り返し、そして小さなmちゃんというインナーチャイルドもいた。
凍っていた記憶と感情を徐々に溶かしていくのは簡単なことではない。閉じ込めていた気持ちを少しずつ、言葉にして自分の人生を語るナラティブの時間。ずっと我慢ばかりしてきたMさんの、自分のための時間と場所を共有した。

Mさんは福祉と医療支援を受けての一人暮らし。
主治医は、当初「症状が悪化する」と、カウンセリングには否定的だった。それでもトラウマケアをすると決めたMさんを見守ってくれたことに感謝する。Mさんが唯一わがままにふるまえる人でもある。そんな会ったことのない主治医に、妙に親近感をもっている。
治療者がいるからカウンセリングも安心してできた。今も主治医に感謝している。

フェミカンルームに通うのに、電車と地下鉄で1時間あまり。県外ののんびりした小さな町から都心まで出てくるのは、彼女にとってはそれだけで果敢な行動だった。
狭い行動範囲にいたMさんの不安は何かを聞き、まず安心できる方法を一緒に考えた。
電車では2人用シートの窓側には座らない、座るなら通路側。もしそばに来た人が怖くなったら移動してもいい、どの席に座るかはMさんの自由、など不安を減らせる方法を具体的に話し合い、実行しながら安心できる経験を増やしていった。
無事にルームに通い始めて4年あまり。オンラインの今は負担がぐんと減っている。

母からのネグレクト、虐待を受けた子どもにとって、満たされなかった愛情枯渇感はしぶとく根強い。そのせいで母娘関係が共依存的になることは多い。
祖母の温かい愛で育てられたMさんは温厚な性格といえる。母親とはずいぶん距離をとれるようになったけれど、親を遠ざけることへの罪悪感もあり、顔色を見てしまうのはまだ母を恐れてのことだろう。

残念ながら、彼女のトラウマのトリガーとなる人たちは身近に暮らしており、物理的な距離と境界をもつのに苦労している。

Mさんが、自分のために何をすれば楽になるのか。
彼女が考えた答えの一つは、母とその配偶者の養子縁組から離脱して、一人の人間として名前(祖母方の姓)を取り戻して生きることだった。
面接を始めて2年、Mさんは親との養子縁組解消の離縁届を出して独立した。
自分が何をしたいのか、考えて、行動して、望んでいたものを手に入れた。
自分を解放するきっかけになった。
そうだよ、自分が決めていいんだから。あなたの人生だもの。よくやったね。
実は、正直言って驚いていたんだよ。あなたがここまでやれるなんて、と。

その後、作業所の仕事を始めるなど、新しい行動をし始めていたが、さすがに無理が重なったようで主治医の下、入院した。紆余曲折、アップダウンの日々が終わったわけではない。まだ十分ではないけれど、仕事をしたり、本を読んだりできるようになってきた。自分のペースでやりたいことを見つけながら、ゆっくり前を向くようになった姿を見るのはうれしい。最近はずいぶん落ち着いているね。Mさんの変化と回復を一番感じとっているのは主治医じゃないかと思える今日このころ。

フラワーデモに参加して、自分も当事者であると開示したり、当事者同士の出会いも生まれた。
自分で動き、学んでいくうちに、本を読んだり、暴力的な映像を見ても、不調にならずにすすむ耐性が徐々についてきたのでしょう。講演会や講座にも出られるようになった。それも回復の形だね。

トラウマケアの道のりは長いけれど、消えそうな声で頻繁に相談をしてきたころとは声も表情も大きく変化している。「死にたい」って最後に言ったの、いつだったかな?
今は、オンラインでマスクなし、長かった髪もバッサリ切って「元気だった~?」とお互いに面と向かって話せるようになった。
ここまでよくがんばって来たね。諦めないでいてくれてありがとう。
まだ回復の道のりは続くだろうけど、あなたの人生だものね、大丈夫だよ。
これからもよろしく。

最近彼女にすすめた図書『わたし、虐待サバイバー』羽馬千恵 (ブックマン社)

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具ゆり

具ゆり(ぐ・ゆり)

フェミニストカウンセラー
フェミニストカウンセリングによる女性の相談支援に携わっている。
カウンセリング、自己尊重・自己主張のグループトレーニングのほか、ハラスメント、デートDVやDV防止教育活動など、女性の人権、子どもの人権に取り組んでいる。
映画やミュージカルが大好き。
マイブームは、ソウルに出かけてK-ミュージカルや舞台を観ること。

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