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禁断のフェミニズムVol.14 セクハラ教師K山のこと

相川千尋2021.05.14

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毎月11日に全国でおこなわれている花を持って性暴力に抗議し、連帯するフラワーデモ。私はいつも東京のデモに参加しているのだけれど、参加者のスピーチを聞いていると、ときどきふと昔の記憶がよみがえってくることがある。記憶は芋づる式にどんどんあふれてきて、嫌だったできごとをかなり細かいディテールまで思い出したりする。思い出すまではあらためて考えることもなかったできごとなのに、実はちっとも忘れてなんかいなかったということに、自分でも驚く。

私が通っていた中学校に、K山という50代くらいの男性教師がいた。私の学年の受け持ちではなかったから詳しくは知らないのだけど、たしか担任のクラスは受け持っておらず、何かちょっとした役職についていたと思う。このK山は、常習的なセクハラ教師だった。
K山のセクハラは「女子生徒に体を押しつける」というものだった。狙いをつけた女子生徒に近寄って目の前に立ち、そのままにじりよって距離を詰め、嫌がって後ずさりする女子生徒を壁や部屋の隅まで追い詰めて、自分の体を生徒の体に押しつけるのだった。廊下や職員室内の狭い給湯室でしょっちゅうやっていた。
K山はいつも、ぴっちりとした白かベージュのポロシャツに、ジャージー素材でできたセンタープレス付きの裾広がりのグレーのスラックスという、時代遅れな服装をしていた。そのK山が私の同級生や先輩たちを給湯室の隅に追い詰め、自分の体と冷蔵庫の間に抑えつける様子を、私は何度も見た。
K山は、この行為を隠していなかった。女子生徒に体を押しつけながら、私たち目撃者のほうを振り返って、ニヤニヤと上目遣いで笑いかけてきた。私と親友のYちゃんは、K山の行為の性的な含みを完全に理解していて「K山、やめろよ! キモいんだよ!」と言っていた。K山は被害者の女の子たちに「お?」「なんだよ?」などと言って笑い、彼女たちがはっきり嫌だと言わないのを、まるでアリバイのようにしていた。「やめてください」と小さな声で言う子もいたし、冗談ということにしてすませようとする子もいたけれど、どちらにしてもK山は気がすむまで体を押しつけるのをやめないのだった。

被害にあった女の子たちは、やさしい子ばかりだった。K山は、私やYちゃんのような出るところに出そうな生徒は直接の標的にしないのだ。仲のいい友達が被害にあったとき、「なんでもっとはっきり嫌だって言わないの?」と言ってしまったことがある。彼女の答えはあいまいだった。きっと、言いたくても言えなかったのだと思う。
ほかの先生たちにも見えていたはずだけど、何もしてくれなかった。一度だけ、女の先生が「K山先生、何やってるの?」と言って、介入してくれたことがあったけれど、結局そのときもK山が冗談のようなふりをして、うやむやになった。上にお姉ちゃんがいて事情通のYちゃんは、K山はPTAに人気らしいと教えてくれた。私はPTAに絶望した。


Yちゃんと私が中学生だったのは、90年代の半ばのことだ。小学校で女子だけが生理について学び、理科で卵巣や子宮、精巣といった内性器の名前を覚えさせられるのが、性教育のすべてという時代だった。「セックス」という言葉を決して使わずに、「受精」とかそういうことを習った。今も変わらないかもしれないけれど、性被害にあった場合・目撃した場合の対処法について教えられた記憶はない。
そのころの子どもにとって、性の知識は自分で本から得るものだった。ちょうど私が小学校6年生だったときに、作家の花井愛子が性にかんする小学生の疑問に答える『はなマル保健室つうしん』が出版された。小学館の学年誌『小学六年生』の連載をまとめた本で、持っていた友達に借りて、みんなで回し読みした。子供の好奇子ども定せず、真正面から質問に回答するいい本だった。でも、性被害の問題については抜け落ちていたのじゃないかと思う。
小学校には性教育の本が何冊かあり、読んでいる子もいた。もっと小さいころは、母が谷川俊太郎訳の『ぼくどこからきたの?』を読んでくれたりした。でも、性暴力を防ぐ方法としては、たとえば「犯罪被害にあう女に処女はいないってよ」という、ちょっとした言葉などを通して「被害にあったら自分のせい」という価値観を漠然と教えられた以外、母からは特に教育されなかったと思う。大人も子どもも、性被害を防ぐための具体的な知識や、被害にあったり被害を目撃したりしたときにどうすればいいかという知識が不足していた。

一方で私たちは、というか私とYちゃんは、サブカルチャーとしての性を浴びるほど見ていた。小学校のころには今でいうBLにあたる「やおい本」を読んでいた。アニメの二次創作や、中学校に入ってからは『JUNE』のような雑誌も読んだ。どちらもしっかり性描写があった。家にあった『好色艶語辞典』や、やおい本を読む私の趣味を文学方面に軌道修正しようとした伯父が買ってくれた『夜想』の少年特集、そこに転載されていた中世の男色絵巻「稚児之草子」もYちゃんと耽読した。
「お兄ちゃんから盗んだ」と言う同級生からアダルトビデオを借りて、中学生のころにAV観賞会をしたこともある。初めて見たAVはただただ気持ち悪かった。中年の男が女子中学生をなだめすかし性行為に及ぶ、という筋書きで、女子生徒役の女優は抵抗はするのだけど形ばかりで、いかにも男の側から見た予定調和的な性の世界が展開されていた。男優が着ていたすみれ色のセーターがとても気持ち悪く思えた。そして、当時の私は、そのすみれ色の気持ち悪さとK山の気持ち悪さが地続きであるということに、まったく気がついていなかった。性的なコンテンツに触れてはいても、その中で女子中学生が性の対象として消費される気持ち悪さや、自分が目撃している性被害について語る言葉が私にはなかった。


そもそもK山の行為をなんという名で呼んだらいいのか、私にはわからなかった。K山は狡猾だった。決して、生徒の体を手で触るということをしなかった。手で触るというのはわかりやすい。「セクハラ」という言葉はもう世の中にあったけれど、私のセクハライメージは貧困で、痴漢のように直接手で触るのがセクハラだと無意識に思い込んでいた。K山の加害はそうではなかったから、気持ち悪いということはわかっても、どんな言葉で大人に伝えればいいのか、わからなかったのだ。
体を押しつける角度も、斜め45度というか、はっきり言えば性器があたらない角度、女生徒の胸に直接体が触れない角度だった。確信犯だと思う。そうすることで、ほんとうに性加害なのかどうかの境界線をあいまいにしていたのだと思う。今だったらそんなことは問題ではなく、教師が女子生徒に体を密着させるだけでアウトだとわかる。あの当時でも、ただ見たままを大人の前で描写できれば、ひとりくらいは問題視してくれる人がいたかもしれない。でも、中学生の私にはその知恵がなかった。私はいつのまにか、セクハラと大人に認められるのはどんなものか、線引きを見極めようとしていたのだった。結局、教師にも親にも、K山の行為を訴えることができなかった。それに、中学にはセクハラをする教師がほかにもいたから、私は教師たちを信用することができなかった。生理でプールを見学している女子生徒にホースで水をかけ、体操服が濡れて透け、下着が見えるのを喜ぶ男性教師や、男子生徒に床の上でおおいかぶさりキスをした(あるいはそのふりをしただけだったか)男性教師がいた。

キスの教師はその日と前後したある日の授業中に「子どものころに知らない男に捕まえられ、車のボンネットの上で下半身を裸にされて脚を開かれた」経験をおもしろおかしく語っていた。私はキス事件と教師の語りをつながりのあるものとして記憶しているけれど、自分の経験はたとえおもしろおかしくでも被害として語る一方で、男子生徒におおいかぶさってキスをしたことは本人の中で一体どんなふうに処理されていたのだろう。この教師は女子生徒には「ブラのひも、見えてるぞ」とか言っていた。そして、そうした気安い口の聞き方が、その教師の「親しみやすさ、生徒のことをわかっている感じ」を演出するのに一役買っていた。
この教師たちは、複雑な家庭に育った「問題児」の男子生徒が教育実習生のスカートをめくり、胸を触った事件が起きたときは激怒し、授業をつぶしてその生徒に説教をしていた。だが、自分たちがしたことについては、処罰も受けず、謝罪も反省もしていない。そもそも、性加害を冗談ということにしてすませる風潮を学校内に作り出したのは、この教師たちではなかったのか。こんな支離滅裂な教師たちが野放しにされているようなありさまだったから、告発をするにも、問題を問題だときちんと認識してもらえる気がしなかった。

実力行使で被害者からK山をひきはがず、という方法もあったと思う。でも、当時の私にはやっぱり思いつかなかった。私が訳したデパントの『キングコング・セオリー』(柏書房)に、レイプ被害にあったときにポケットにナイフがあったのに反撃しなかった、女はあらかじめ反撃の可能性をふさがれている、だから男は平気で性暴力をおこなうのだ、という話が出てくる(「女は子どものころから、男を決して傷つけないようにしつけられ、ルールを破るとその度ごとに決まりを守れと警告される」)。K山に殴りかからなかった私自身にもあてはまる言葉だ。
被害にあっていた同級生たちが、今さらK山を訴えることはないだろう。K山が今どこで何をしているのか、私は知らない。もう退職している可能性が高いと思う。K山は逃げ切ったのだ。
許可なく他人の体に触るのはぜんぶだめだと、それはおかしいことなのだと、しっかり教えてほしかった。直接の被害者ではなくても、気軽に相談や告発ができる、信頼できる窓口が学校にほしかった。大人たちにはK山のしていたことを、見て見ぬふりをしてほしくなかった。

今回書いたような記憶は、誰でもひとつやふたつ持っていると思う。私は今さら思い出して、今、とても怒っている。性暴力があたりまえのようにある社会で私たちは生きている。この怒りを力にして、ろくでもない社会を変えていかないといけない。

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