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医療の暴力とジェンダー Vol.9 強いられる「感謝」

安積遊歩2021.04.22

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骨が弱い体質で生まれた私はまず骨を強くすることを医療から強制された。そのために男性ホルモンの投与や8回にもわたる手術など様々な“治療”をされた。常識の中ではそれは治療と言われたが私には暴力だった。

私の身体は無理に治療して歩くより車椅子を必要とする身体だったのだ。車椅子に乗りさえすれば世界中どこにでも行けるのだと知った20代始め。私は車椅子に乗ってまず電車に乗ろうと駅に向かった。

東北にはその頃新幹線は通っていなかったから、大きな駅でも荷物用のエレベーターしかなかった。荷物用のエレベーターでもないよりはましだから、そのエレベーターを貸してくださいと改札で申し込んだ。ところが職員だった男性たちがからかうように「『私たちは社会のお荷物なので荷物用のエレベーターを貸してください』と言ってみろ」と言ってきた。
あまりに差別的な言葉にブチ切れてそれから2、3時間抗議しまくった。その時一緒にいた仲間は男性2人。

彼らには言語障害があったので本気で抗議をしてさえも、「こいつら酔っ払ってるのか」とさらに差別的なことを言い放った。もう40年以上も前のことだから詳しくは忘れてしまった。ただその一件があってから私は「いつか絶対に全ての駅にエレベーターをつけたい」と願い、行動を開始した。

駅に行くたびに駅員に手を貸してほしいと頼んだ。しかし彼らは人手不足を理由にほとんど手を貸してくれることはなかった。それでも電車に乗ろうとした私たちは階段の上や下で通行人に「手伝ってほしい」と声をかけ続けたのだった。

行きたいところに自由に行きたいという思いも勿論あった。しかしそれと同時にもっともっと大事で真実の思いがあった。それはたくさんの家の中や施設の中に隔離され、追い詰められている仲間たちと連帯したいというものであった。

つまり自分たちが先に一歩踏み出すことで、仲間たちにエールを送りたかったのだ。家の中で鬱々と何もできないと思いながら生きている仲間たち。差別されることがあまりに当たり前すぎて、自由を求めること、希望を持つことをすっかり諦めている仲間たち。生まれてきたことに何の喜びも感じることを許されず、それどころか生存権さえ容易に踏みにじられかねない仲間たち。(2016年7月に起こったやまゆり園事件はそれを顕在化した。)

そうした彼らにつながって、自分のいる立場を自覚し、少しでもできることをしていくことで全ての人にとっていい社会になるよう努力すること。それがエレベーターをつけたいという思いと繋がったのだった。 

強要すべきではない感謝という言葉を私たちの社会は強要してくる。特に障害を持つ子に対してはその子を守り、いい人生を生きてほしいと思うがあまり、親はありがとうを言うよう強いてくる。

私は22歳のときに親の家を出て一人暮らしを始めた。階段の前でエレベーターがなくて困惑している私たちに手を貸してくれる行為は、自分だけは階段を自由に上がったり降りたりできるのに、私たちはエレベーターがないと行きたいところに行けないのだと気づいた人たちによるものだったと思う。そこでは、感謝を強要してくることはなかった。それどころか、「エレベーターなくて大変だね。」と私達の状況をねぎらってくれる人さえいた。

もちろん感謝を強要したい人たちは手も貸してくれなかっただろう。約20年間の間、私は長い階段の上ったり降りたりを少なくともニ千回以上はやり続けたが、面と向かって感謝を強要されたことはなかった。

ある日父親と生涯に1度だけ階段の上り下りをしたことがあった。私が周りの人に声をかけるとあまりにみんなが瞬く間に集まってくれるので、父親は嬉しくなったのだろう。階段を上り終わった後に揉み手をしながら一人一人に丁寧に「ありがとうございます」と頭を下げた。私はにこっとするだけで足早に立ち去ろうとする人たちをかえって引き止めてしまうようで、申し訳ないとさえ彼の馬鹿丁寧な感謝に思ってしまった。

私はいつも階段の上り下りで一方的な感謝の思いを持っていたわけではない。何人もの力を借りて上り下りをすることが、彼らの想像力を広げることになると信じていた。一方で、国土交通省や各鉄道会社、自治体にも交渉をし続けたので、それらが遂には政治を動かすだろうと命懸けの行動をし続けたのだ。

通行人しか手伝ってくれなかった10年以上を経て、駅員も積極的に手伝ってくれる時代が来た。ところがそうなると駅員から文句を言われる回数も増えた。「ご飯を食ってたのに来てもらっちゃ困る」とか「俺たちの腰の問題はどうしてくれる」とか、彼らはそれが仕事だと言われることで「過重労働を強いられている」と私に言ってきたのだった。私はチャンスが来たとばかりに「エレベーターがあればみんなが助かるんですよ。そのために私たちと一緒に声をあげて会社や地方自治体にエレベーターが必要だという声を共にあげてください。私たちは個人的な行為を通して社会全体を良くする行動ができるんですよ」と感謝とともに励まし続けた。

ところでエレベーター設置運動は女性差別を色々な点で見せてくれた。今#KuTooの運動が大きく広がってきたが、私も車椅子で階段の上り下りをするようになった40年以上前から、一人#KuTooをしていたようなものだった。ハイヒールやパンプスに非常に問題を感じてきた。ハイヒールやパンプスの始まりは女性が望んだことではない。男性の、可愛らしく制御しやすい女であってほしいという願いの反映が女性自身にも内面化されたものだ。

ハイヒールやパンプスは不安定で女性の体にはもちろんよくない。それと同時に車椅子で階段を上り降りしようとする私たちにもそれはあまりに危険な靴だ。女性の側もそれを自覚しているだろうから、なかなかハイヒールやパンプスの人が手を貸してくれることはなかった。しかし稀に、親切に「手を貸しましょう」と言ってくれる人もいた。そんな時私は「その靴では危険ですから今回は大丈夫です。ヒールのない靴のときにお願いしますね」と断った。

また、階段では断るだけで済んだが、飛行場の女性の地上係員のヒールやパンプスにも困ったものだと思い、なるべく「この靴で車椅子を押したくないと上司や会社に訴えてほしい」と頼み続けた。ハイヒールを履いていると、車椅子を押しながらも、無意識の緊張や注意力が自分の足元にいっているのを感じたから。もちろんそうしなければ、エレベーターの溝にヒールが落ちかねない。

車椅子で歩くというだけで、エレベーターがないことが社会全体の人にとっても、どんなに不利益であるかをよくよく可視化してきたと誇りに思う。今では、お年寄りから乳母車の人、重い荷物を下げた人まで、みんなエレベーターを使っている。

今、話題になっている無人駅の乗降の問題も、たくさんの工夫によって、連絡や事前予約に縛られない解決がなされるよう、一人一人が望み、声をあげていこう。年をとったら、約90%の人が障害をもって死を迎えるという。そして、生まれた時は、全ての人が最重度障害者なのだ。車椅子を使っている人の、行きたいところに行く権利を保障することは、全ての人の移動の権利を保障することに完全につながることなのだから。

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安積遊歩

安積遊歩(あさか・ゆうほ)

1956年2月福島市生まれ
20代から障害者運動の最前線にいて、1996年、旧優生保護法から母体保護法への改訂に尽力。同年、骨の脆い体の遺伝的特徴を持つ娘を出産。
2011年の原発爆発により、娘・友人とともにニュージーランドに避難。
2014年から札幌市在住。現在、子供・障害・女性への様々な暴力の廃絶に取り組んでいる。

この連載では、女性が優生思想をどれほど内面化しているかを明らかにし、そこから自由になることの可能性を追求していきたい。 男と女の間には深くて暗い川があるという歌があった。しかし実のところ、女と女の間にも障害のある無しに始まり年齢、容姿、経済、結婚している・していない、子供を持っている・持っていないなど、悲しい分断が凄まじい。 それを様々な観点から見ていき、そこにある深い溝に、少しでも橋をかけていきたいと思う。

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