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自分の中身は、ひとりじゃない〜一年間女装をしてみた男性の話〜

行田トモ2021.02.24

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皆さまご無沙汰しております。行田トモです。2021年もあっという間に2カ月が過ぎようとしていますね。連載が少しスローペースになりますが、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
ところで皆さま、新年には何か目標を立てたでしょうか? わたしは「今年こそスケジュール帳を使いこなす!」と決めていましたが、すでに本棚に眠っております。来年からはスマホで予定管理をします……。
なぜ目標の話を持ち出したかと申しますと、今回ご紹介する本がひとりの男性の一年間の「チャレンジ」に関するものだからです。彼の名はクリスチャン・ザイデル。
ドイツに暮らし、ジャーナリズムや広告業界、そしてモデルのアドバイザーとして名声を得ていた彼が挑戦したのは「女装して一年間暮らすこと」だったのです。

『女装して、一年間暮らしてみました。』(クリスチャン・ザイデル著、 長谷川圭訳、 サンマーク出版、 2015)

タイトルからしてインパクトたっぷりですが、帯にはさらにこう書かれています。

”もう、「男らしさ」の檻の中で生きるのはやめた。”

著者のクリスチャンは、昔から自分は”男らしさ”というものにあまり執着はなかったものの、この壮大な実験を始める際にはそんなことは考えていませんでした。
彼は単に風邪をひきやすかったのです。
ズボン下を履けば暑すぎて、履かなければ足元から入ってくる風にやられて風邪をひいて必ず気管支炎まで悪化してしまう。これに長年悩まされていた彼は、ある日ふと思いつくのです。防寒用にストッキングを履いてはどうだろうかと。

そして、デパートの女性フロアに足を踏み入れた彼の人生は大きく変わることになります。そこには、彼にとっての「楽園」が広がっていたのです。
しばらく女性フロアを歩く彼は葛藤します。本当にこの世界に足を踏み入れて良いものか。
(彼は実験を止めようとするマスキュリンな声を”ジャマ声”と名づけます)
しかし彼はついにストッキングを履きます。そして、そこから彼の探求が始まるのです。

“男とはこうあらねばならない、女はこう振る舞うものだ、などといった堅苦しい偏見に抵抗するための手段として、僕は女性に変身することを思いついた。性別という壁に対する個人的な抵抗運動だ……(中略)「女性の解放」という言葉をよく聞くが、男性の解放はどうなっているんだ? そして何より、男が古くさい役割を自ら捨てたとき、それはいったい女性にどんな影響を与えるのだろうか?”(本書p.28-29)

そこから彼の試行錯誤の日々が続いていきます。洋服、胸、ウィッグに化粧。解放感を感じるとともに、女性になったからこその苦労も味わいます。
すぐに破れてしまうストッキング、最低限の化粧が必要な外出、電車での男性の密着、視線、妻の困惑。
それでも彼女(クリスチャン=クリスチアーネ)は挑戦をやめませんでした。女装をすればするほど、性別に関する疑問が浮かび上がってきたからです。クリスチアーネは男友達に語ります。

“女装を始めて以来、(自分自身を含む)男に対して、いい感情をもったことはほとんどない。いやな目にあってばかりだ。男は世界を、地球を脅かしている。でも男には感受性がないのか、自分たちが世界の脅威になっていることに気づきすらしない。
「それなのに、世界のほとんどが男に率いられているのよ」僕はアンバーに言った。「企業や団体の重役もほとんどが男。宗教の指導者も男。思いやり、共感、そんな言葉をいくら口にしたところで、男には意味がわかっていない。理屈ばかりこねて、その結果、良識や直感を蔑ろにする。もう少し心の声に耳を傾ければ、違う生き方ができるでしょうに。……(中略)でも男はそうしない。そんなことしたら、男の威厳が傷ついてしまうと恐れてるの」”(本書p.148-149)

彼女がここまで言うのには理由がありました。モデルのアドバイザーまでしていた彼は、自分は女性のことを十分に理解していると思っていたのです。ところが、女装を始めてから、それが幻想や偏見だらけだったと気づかされたのです。
さらに宣言します。「わたしはわたし」と。

“「男でもあり、女でもある。そんな区別、もうしたくない!」”(本書p.149)

と。
クリスチャン、そしてクリスチアーネ(女性のときの名前)の試みはいよいよ本格化していきます。あけすけに性について話す女子会への参加、オーガズムについての議論、婦人科検診。
そして、ある事件が彼女を襲います。それをきっかけに3日間、女装を中止します。それでもクリスチアーネはめげませんでした。そしてとうとう、心の中にあった疑問の核にたどり着くのです。
性「別」なんて馬鹿げていると。
純粋な性=セクシュアリティにたどり着いた彼は、男である自分の理性がいかに性「別」にこだわっていたかに気づくのです。
最初から壁を破る必要はありませんでした。殻を破る必要もありませんでした。ただ、自分の中にある女性的な側面を自然と受け入れることで、クリスチャンは自分を取り戻したのです。
わたしは常々考えていました。フェミニズムのこれからを考えるにあたって欠かせないのは、「男女双方」がジェンダーバイアスから解放されることだと。

本書の”性=セクシュアリティ”という訳はわたしの感覚とは完全にマッチしてはいませんが、クリスチャンの言いたいことはよくわかります。社会が押しつける「女らしさ」に苦しんでいる人がいるならば、「男らしさ」にフィットせず苦しんでいる人も必ずいるはずです。むしろそういった人のほうが多いのではないでしょうか? 女性が男性の領域とされるものに踏み込むと○○女子と揶揄されるように、男性が女性的なことをすると○○王子と呼ばれることもあります。

以前のエッセイで紹介したNetflixのテイラー・スウィフトのドキュメンタリー『ミス・アメリカーナ』の中で、彼女は自身をミソジニー(女性憎悪・嫌悪)の洗脳から解く努力をしていると語っています。わたしたちは幼い頃からジェンダーバイアスにどっぷり浸かって育ってきました。その中でいつの間にか異性に対してだけでなく、自身の性に対しての偏った、否定的な目線も持つようになってしまっているのかもしれません。
クリスチャンの言う”自分を取り戻した”とは、そうしたものから解放され、自分の男性性、女性性、それ以外の部分を愛せるようになったということなのではないでしょうか。
わたしは願ってやみません。
ひとりでも多くの人が様々なバイアスから解き放たれ、「あ、もうわたしはその次元にいないので」といえることを。
性「別」にとらわれず、様々な人がフェミニズムやジェンダーについて自由に語れる社会になることを。
すべての人が、クリスチャンにとってのストッキングに出会えることを。

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行田トモ

行田トモ(ゆきた・とも)

エッセイスト・翻訳家
福岡県在住。立教大学文学部文学科文芸・思想専修卒。読んで書いて翻訳するフェミニスト。自身のセクシュアリティと、セクハラにあった経験からジェンダーやファミニズムについて考える日々が始まり今に至る。強めのガールズK-POPと韓国文学、北欧ミステリを愛でつつ、うつ病と共生中。30代でやりたいことは語学と水泳。

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