昨年末12月23日、重度訪問介護が始まった。どんな夜になるのか心配だったけれど、私は眠れた。ヘルパーさんが一つ部屋の中にいるけれど視野に入らないし、何より体位を変えたい、痰が絡んだ、喉が乾いたと要求するとすぐさまきてくれるのだから、それは安心の何ものでもない。ありがたいなあ。一人で発作が起きた時どうやって納めようかと必死というかパニック状態になっていたことを思うと、それはもう有り難い。見守りがあるってこんなに安心なことか。
その晩は3回声をかけた。ヘルパーさんが8時間介護を済ませ6時に帰る前、トイレゆきのための5時に目覚ましが鳴った。
うわ、早い! 重度訪問介護の初日だった。
暮れの29日に膝下からくるぶしまでの間が異様にパンパンに浮腫んだのに私は多少の浮腫に慣れていたので意に介さず、初めて泊まる二人目のヘルパーさん対応に気を取られていた。
正月三が日も朝に夜にヘルパーさんは通ってきて、4日を迎えた。リハビリのOTさんが浮腫を見て「これはちょっと」と言いながら在宅診療医に電話をして症状を伝えた。すると医師はすぐに飛んできてくれて、採血をしながら「エコノミー症候群、深部静脈血栓症の疑いがあるので、循環器科に見てもらおう」と言った。と、事はトントンと進み、日赤で超音波検査、血栓がふくらはぎだけでなく太ももの方に過去にできたらしいものがあると結果が告げられた。心臓のエコーの画像も見たが、飛んで行っていなかった。思えば、毎日7時半に起床して夜の10時過ぎまで車椅子に座りきりだったのだ。動かない第二の心臓は血液をうまく運ばなくなるのも無理はない。すっかり私自身の想像力の乏しさに落胆した。血液サラサラにする薬を処方され、お陰さまで現在は浮腫が減少してきている。トイレに行くのを控えようと水分不足になっていたことも原因だった。
お正月からこんな調子で忙しい。血栓が出来てしまったことで日中の生活の見直しが一気に進んだ。昼間の2時間ぐらいはベットで休むことが必要ですね。トイレ介助も必要ですね。私は「昼間のトイレがひとりでは大変だ!その度に筋肉が奪われて行く! ベットにひとりで上がれない!」と何度も訴えたんだけど。介護保険では賄えないことが明白になり、そして重度訪問介護の120時間/月体制ではとても足りないことも認識された。「わーい、やっとだよ」「嬉しい!!」血栓の威力は大きい。「命を張ったんだ!」妙な喜び方ですよね、これって。
急遽、要介護5の認定をもらい、重度訪問介護の時間数を増やす、そのためのマネージメントが始まる!
内輪で認識を共有できたかと思ったのもつかの間、事はそうは簡単に動かなかった。夜間の介護は増やせても、私の必要とする昼間の時間帯(3時間ぐらい)やトイレ介助時間にという要望は難しいと市のケースワーカーが言う。要介護5になれば障害の方で「身体介護」が適応されるから、それらを使いつつ、長時間の重度訪問介護とを組み合わせるのがいいと言う。
「いま困っているのです」と言っても遠くにしか聞こえないらしい。「身体」がシステムに組み込まれている。
今回の連載が滞っていたのは、事態がどんどん変化して追いつかなかったからだ。その一番の原因は私の身体の変化が顕著だからだ。ますます出来ないことが増えて、気づけばかなりの生活動作を人に委ねている。なんとか一本指使いとはいえパソコンに打ち込むこととおしゃべりはOKだけれど、ファイルに紙を挟むとか、新聞を開くのが難しく、スプーンで食し、コーヒーカップは両手で持ち上げ、口をカップに運ぶことになっていたり、ベット上ではキャッチアップで起きたり横たわったりするため、あれだけ体操が好きだったのに自分で解すこともしなくなっている。
これではパフォーマンスに向かえない。もう一度身体に触れて、対話しなくてはいけない。4月12日に「LOOP展」広尾の工房チカで行うのに!
本当に動けなくなった時、痰を自分で吐けなくなった時、手がものを掴めなくなった時、声が出なくなった時のことを想像することはできない。だけれど、早めに準備をしたほうがいいと言われる。コミュニケーションツールが今いろいろあるから大丈夫だよともよく言われる。昨日、耳鼻咽頭科に行った。なぜなら、喉がひりついて呼吸が一時的にし難くなるので対処法がないか聞きたくて行った。3年前にもトラブルがあり通っていたクリニックだ。喉をカメラで撮影、3年前の画像と比べて少しだけ動きが緩慢になっていると説明した。見た目、困ったことが起きてはいない。
この先生は私がALSだとわかる以前に診てもらっていた訳なので知らなかった。ALSだと知ると、おそらく慌てたのだろう、呼吸器をつけるときのことを語り出した。大変な選択だから心構えを伝えたかったのだろう。私は今晩また、喉のトラブルで寝れないのはたまらないから、何か処方してほしくて出かけたのだ。先の話をして欲しいのではない。今晩のことだったのに。ただ、話の中で一つだけ響いた事柄があった。「ヘルパーさんに症状についてこのような時はこうしたいと話せるうちに言っておくことが大事だ」と言った。今できることをしとけ。私の体は他の人にはわからない、意思の疎通ができなくて苦しむのは私なのだと知らせてくれた。
そうか、私の重度訪問介護のヘルパーさんとの生活はそういうものなのかと思った。これから多くのヘルパーさんに出会って、その人たちにどのようにぶつかっていくのか、難病持ちの人間のあり方を察知させてもらった。
ピンポーンと鳴ると玄関の鍵が開き、ヘルパーさんが入ってくる。私と黒猫のグレは同じ方向を向いて出迎える。ヘルパーさんはこの時節、すぐに手を洗い、「こんばんは」と言う。
※グレ