12月21日、当時12歳だった実子に姦淫(かんいん)をしたとして強姦罪に問われていた事件の控訴審判決があった。東京高裁は被告人に懲役7年の逆転有罪判決を言い渡した。2019年3月に性犯罪無罪判決が相次ぎ、その司法判断に対する疑問の声がフラワーデモとなって、今に続いている。この事件は、そのきっかけとなった一つだ。
この事件が他の無罪判決事件と違っているのは、被害事実、すなわち、姦淫行為があったのかどうかが問題になっていたこと。被害者が13歳未満のため、強姦罪の成立に暴行・脅迫の有無は問われない。
今回の高裁判決を受けて、地裁の無罪判決を読み直してみた。
判決文に書かれた被害者証言を読むと、それが詳細で具体的であることに驚かされる。そのこと自体は、判決の中でも評価されていた。なのになぜ、被害事実そのものが疑われたのか。被害があったという場所は自宅なのに、家族がそれに気づかなかったのはおかしいというのだ。判決には、こうある。
本件被害者は、約2年間にわたり週3回程度の頻度で自宅で姦淫被害に遭い、その都度「やめて」などと言って抵抗したなどと証言するところ、被告人が家族に気付かれずに長期間、多数回にわたり姦淫を繰り返すことができたとする点は以下のとおり甚だ不自然、不合理といわざるを得ない。
家で性虐待が行われているのに、同居の家族――そこには、加害者のパートナーも含まれるわけなのだが――が気づかないというケースはとても多い。わたしがこれまでにうかがった性虐待の被害者や家族の方々からのお話でも、そうだった。裁判官は、そうした性虐待の現実を知ったうえで、この判決を出したのだろうか。
加えて、供述に変遷があったことも、被害者供述を信用できない理由だという。
本件被害者は、B(引用者注:児童相談所スタッフ)に初めて姦淫被害を打ち明けた際、毎週金曜日に姦淫被害を受けており金曜日が来るから家に帰りたくない旨供述していたのに対し、証人尋問においては、週3回程度姦淫被害を受けていた、前は金曜日だったが、被告人に嫌だと言ったら叩かれて、その後は金曜日じゃなくなったなどと証言しており、証言内容のうちの重要な要素である被害の頻度や曜日について供述が変遷している。
性虐待は、長期間にわたって行われることが多い。この事件も、2年近くにわたって虐待行為が行われたとされている。そのようななかで、多少の曜日や頻度の語り間違いが、性虐待という事実そのものの認否を揺るがすほど重要なことなのだろうか。
判決には、児相スタッフに性虐待被害を訴えたときの様子や経緯なども示されているのだが、それでも、「実際には姦淫被害がなかったにもかかわらず、本件被害者が姦淫被害があるかのように振る舞った可能性を否定することができない」と主張され続けている。だが、肝心の虚偽の被害申告をした「可能性」とやらを支える根拠は、判決では示されていない。
本件被害者が性的な情報から完全に隔離されていたとはうかがわれず、タブレット端末、知人の話や自己の経験等を通じて性的知見に関する情報を得て、架空の性被害を訴える程度の性的知識を獲得していた可能性は否定できない。
ここに列挙されている「可能性」を支える事柄は、それが実際に被害者が触れた情報なのか具体的な言及もなく、判決を読む限り、裁判官の想像では? と読めてしまう。性的知識を獲得した可能性が否定できないからとかいう、ぼんやりとした理由にもならない説明で被害申告内容の信用性が打ち消されるなんて、なんと非論理的なことか。
だいたい、性的知識があることが、被害事実の申告につながるというのならわかるのだが、性的知識があることが、虚偽の被害申告の可能性の根拠となるというのはどういうことなのだろう。幼いころの性被害がずいぶんと後になってから語られるとき、被害を受けていたときには性的な知識がなかったから、自分のされていたことが性被害だとはわからなかったと、そのころを振り返る被害者は多い。
本件被害者に姦淫の被害があったとする証明があったとはいえず、本件公訴事実については犯罪の証明がないことになる
静岡地裁の判決には、被害者の身体に被害の痕跡があるかどうかの言及がない。被害の痕跡がなければ、姦淫されたという被害者の供述に強い疑いが持たれるから、そのことは、被害者の供述の信用性を左右する重要な事項だと思われる。それが、高裁判決からわかったことに、一審で被害者に性交経験をうかがわせる医学的所見が示されていたのに判決では言及されなかったのだという。被害者供述の信用性を支える身体所見が、地裁の無罪判決では、なぜか外されている。
被告人は、実子に対する性暴力事件だけでなく、児童ポルノをダウンロードして所持していたということでも起訴され、こちらは有罪判決が出ている。この児童ポルノの所持については、性虐待事件とは切り離して考えるべきだと、判決では述べられている。
仮に、検察官が主張するように被告人が低年齢の女児に性的興味を抱いていたとしても、そのことと実子である本件被害者を姦淫することとは性質を異にするものであるから、ただちに本件公訴事実を推認させる事情とはいえない
そのとおり、ポルノを持っていることは、姦淫行為の証拠にならない。証拠に基づかない推論で、被告人の行為をでっち上げて有罪を課すことは、冤罪という重大な人権侵害であり、あってはならないことだ。
弁護人は、本件公訴事実に関して、本件被害者に対する姦淫被害がなく、被告人は無罪であると主張し、被告人もこれに沿う供述をしている。
一審の主張のとおりであれば、姦淫行為自体がなく、被告人にとって高裁判決はとても受け入れられない冤罪のはずだ。やってもいないことで罰を受けることがあってはならない。わたしは、被告人や弁護人がこれからどうするのか、何を言うのか、とても気になっている。
*判決文は、D1-Law.com判例体系からの引用