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9月15日、映画館を後にした私は半泣きで家路についた。「悔しい」ただただその感情が込み上げて仕方がなかった。

『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著/斎藤真理子訳/筑摩書房刊/2018)の映画版を見た後だった。

予告編で主治医が女性に変更されていたときから嫌な予感はしていた。私にとってキム・ジヨンの最も大切なポイントはあの読後感である。それが消されてしまうのではないかという不安があったのだ。それが見事に的中してしまった。これから見る方のために詳しくは書かないが、映画の魅力は小説の半分にも及ばないであろう。

それでも、途中からもう涙が止まらない、といった様子の人が何人もいた。その人たちはきっと映画の中のジヨンに、ジヨンのオンマ(母親)に、あるいはその他の誰かに自分を重ねて涙を流したのだろう。

その様子を見て確信したことがある。私自身は映画の出来には不満だったが、それでもやはり、私も、あなたも、皆キム・ジヨンなのだ。「女の子なんだから」の苦しみは幼少期から既に始まる。

ジヨンは小学校で隣の席になった男の子から執拗にいじめられるが、担任には「ジヨンが好きなんだよ」で片づけられる。

私は幼稚園である男の子に熱烈に気に入られてしまい、いくら押しやってもくっつかれた。母の話だと、ある日先生が振り返ると、その子が私に馬乗りになっていたらしい。記憶にはないが、小柄な私にはなす術もなかっただろう。
皆さんにも「君のことが好きだからちょっかいを出すんだ」ですまされてしまった経験はないだろうか。私は社会人になってからも同様の言葉をかけられた。しかも、精神科の医師から。

あるバイト先のトップからセクハラを受けていたときだった。その職場での最重要事項はいかにその上司の機嫌を損ねないようにするかであり、先輩たち(皆、既婚女性だった)にセクハラを相談したときは「あなたが優しすぎるから」と言われ、やんわり拒否する練習を本気でしていた。今思えばなんと馬鹿馬鹿しいことだっただろう。事あるごとに体を触られ、下着の線のある部分に手を当てられ、限界を迎えた私は長年うつ病でお世話になっていた医師に相談した。そして帰ってきた言葉がこれである。

「あのね、どの職場にもひとりはいるんですよ。そういう弱い相手を見抜いて手を出す人が。でもね、セクハラなんて小学生が好きな子にちょっかいかけるようなもんだから。そんなに気にしないで」

そうして私は職場と信頼できる医師を一気に失った。今振り返ると呪いの言葉にあふれた職場だった。

「若くて綺麗なうちにウェディングドレス着なきゃ」
「生理痛なんて子ども産めば治るわよ」
「私たちが若いころなんて子育てはもっと大変だったのに最近の若い人は……」

そのまんまキム・ジヨンじゃないかと、タイピングをしながらあきれる始末である。心の傷とともに、その職場は生涯消えない罪悪感を私に残した。セクハラに対してその場で声を上げずに逃げるように辞めたことへの後悔である。大騒ぎして「訴えてやる」というなり、近くの交番に駆け込むなりすればよかった。あの上司をなんとかトップから引きずり下ろす努力をすればよかった。もしかしたら、今、私の代わりに誰かがセクハラを受けているかもしれない。友人の助けを借りて労基署には何とか訴えたものの、他にもできたことがあったかもしれない。まだあの男はトップの座にいる。私の後悔は消えないままだ。

キム・ジヨンの小説中にこんな一節がある。

“加害者が小さなものを一つでも失うことを恐れて戦々恐々としている間に、被害者は全てを失う覚悟をしなくてはならないのだ。” (p.150)

何とむなしく、悲しいことだろうか。しかし、これが現実だ。私たちが生きている社会の現実なのだ。それでも、あきらめてはいけないと、私の中の炎が言っている。ジヨンのオンマのように。

「いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?」(p.98)

そうなのだ。その通りなのだ。やっと私たちはここまでやってこられたのだ。何世代もの女性の苦しみの上に、キム・ジヨンのような小説が生まれ、大ヒットし、映画にまでなる時代がやってきたのだ。
私も、ジヨンもミレニアル世代である。ゆとりだ悟りだ夢がないなどと散々言われたきたが、そんなの、おっさんらが勝手に敷いたレールであり、勝手に名づけたものである。私は、ミレニアル世代の一人間として、女性として、フェミニストとして、より良い時代を作って次の世代にバトンを渡さなければならない。

原作を未読で映画を見た方は、原作にも手を伸ばしていただきたい。韓国文学の入り口としても素晴らしい一冊であり、この作品が社会現象になった理由がお分かりになるはずである。既読の方は映画を見て、ぜひもう一度原作を読んでいただきたい。初めとは違うものが見えるかもしれない。より深い悲しみや、怒りが見えるかもしれない。

私は、助産師であり性教育youtuberの大貫詩織さんことシオリーヌさんのTwitterで見たこの映像を思い出した。

【#ActiveBystander 行動する傍観者】

私はキム・ジヨンである。それと同時に、この傍観者の側であったかもしれない。友人がセクハラにあった私にしてくれたように、声をあげる手助けをしてあげられるように。手を差し伸べられるように。そばにいるよと言ってあげられるように。守れるように。そんなキム・ジヨンになりたいと切に願った夜であった。

それからもう一つ、身近に妊婦さんがいる人、子育て中のお母さんがいる人、私のようにうつ病やその他の理由で社会に出られない人がいる人。そんな人にはぜひこの映画をおすすめしたい。

ジヨンが切に求めた、社会との繋がり。一緒に見にいったパートナーは、「ジヨンがトモちゃんで、夫が私みたいだった」と言ってくれた。なぜそんなにあせってまで社会復帰を試みてはまたボロボロになるのか。私の幸せを願ってくれるパートナーはそんな私の痛々しい姿を見たくなかったそうだ。しかし、映画を見て、社会から取り残されていく恐怖、孤独、焦りが伝わってきて、私の気持ちがわかったという。うれしかった。

もし、あなたの側にキム・ジヨンがいたら、ぜひ映画館に足を運んでいただきたい。映像からはよりリアルなものが伝わってくることもある。……あれ、じゃあ映画版もよかったのではないのだろうか? 一度首を傾げてから、うんうんとうなずく私であった。

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行田トモ

行田トモ(ゆきた・とも)

エッセイスト・翻訳家
福岡県在住。立教大学文学部文学科文芸・思想専修卒。読んで書いて翻訳するフェミニスト。自身のセクシュアリティと、セクハラにあった経験からジェンダーやファミニズムについて考える日々が始まり今に至る。強めのガールズK-POPと韓国文学、北欧ミステリを愛でつつ、うつ病と共生中。30代でやりたいことは語学と水泳。

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