中学生ぐらいの時に安楽死という言葉を初めて聞いた。“安楽”と“死”いう言葉のミスマッチ に、「安楽な死があり得るのか」とブラックユーモアを聞いたような不快を覚えた。
日本安楽死協会というのがまずでき、1983年に日本尊厳死協会へと名前が変わった。その前 後、心臓の臓器移植を進めるためにも脳死状態の人の心臓が必要というようなニュースが流れた。
だから私の中では、安楽死と脳死と臓器移植、尊厳死は、それぞれが1本の糸ではあるが、それ が合わさって強靭な優生思想となっていると感じている。
“脳死”という概念が始まったのは1960年代、臓器移植の中でも心臓移植を試みたい人たちが現れて、脳死が医学の中で必要とされるように なった。 所謂、意識が回復しないという「植物人間」という状態になったことで、意識の回復が見込ま れない時に脳死という“脳”の“死”が確定した。
しかし脳死の前には心臓死しかなくて、心臓死を死としていたのでは臓器移植はできないということ。それで心臓は動いているけど、意識がなくなったら臓器移植に適任の体として認知しようということになったのだ。
脳死が一般化すればするほど、心臓移植以外の腎臓や肝臓の移植も容易になっていった。脳死という概念と、臓器移植の広がりは並行して社会を席巻してきた。生きたいという人々の切実な思いと、医療の実験・向学欲と、臓器移植は儲かるという消費至上主義の欲望とが合わさって、尊厳死の立法化が求められてきた。
ところで、「脳死状態の意識のない」といわれる体から臓器を取り出そうとする時には全身麻酔が必要になる、と聞いたことがある。意識がないのに全身麻酔が必要になるとはどういうことなのだろうか。痛みや苦痛、絶望感などをしっかりと感じ、聞こえているからこそ、「意識のない体」は暴れる。暴れるのを抑えないと臓器が取り出せないということで、全身麻酔をするのだそうだ。
脳死の概念が一般化する前は、人工呼吸器によって呼吸がサポートされることで心臓が動く、人工呼吸器をつけなければ心臓が止まるのが早まる。その心臓を動かす手段として、人工呼吸器があるわけだ。このコロナ禍の中でも呼吸困難に陥っても人工呼吸器をつけることで、重症化した人たちが助かってきたし、人工呼吸器は、いわば私たちから見れば生きることを助ける補助具、メガネや車椅子と同じようなものと言っても過言ではない。
しかし尊厳死を推進しようとする人たちは、脳死判定を死の基準とする。脳死した体に人工呼吸器をつけることは、生産性のない人間を生かし続けることになり、あまりに無駄な行為というわけだ。また言葉無く、様々な機械に繋がれて生きる人を診るのは、深く関わりのあった人でなければ、辛く難しいことではある。或いは深く愛していればいるほど、早く楽になってほしいとも願い、尊厳死を容認したくなるかもしれない。
しかし尊厳死を容認するために、その身体に意識があるか無いかを判定することは、これはある意味、人間の技を超えることなのだと、私は思う。先にも述べたように脳死と宣告されても、尚、臓器を取ろうとしたら暴れる体。
私の母は常々、「ポックリ逝きたい」と言って、少しでも長生きしてほしいと思う私と妹を悲しませていた。母は非常に愛情深かったので、私たちの願いや要求をほとんど叶え続けてくれた人にも関わらず、このポックリ死信仰だけは翻させることができなかった。
母がくも膜下出血で倒れたとき、「頭の中が血の海だが、人工呼吸器をつければ幾分かは生き るかもしれない」と言われ、私と妹はなんの躊躇も無く、「人工呼吸器をつけてください」と 医師に懇願した。 ところが彼女は私たちの懇願をまるで聞こえていたのか、「私はポックリ逝きたいのよ」と言 うようにすぐに心拍数が下がり、倒れてから6時間後には還らぬ人となった。
人に迷惑をかけてはならない、という抑圧は凄まじい。実に障害を持つ人の命を迷惑と考える、優生思想である。しかしそこにもまたよく見れば、女性差別が厳然とある。女性は命を世話し支える側に回らされているので、人工呼吸器の装着率は女性は男性よりも低い。女性は人に迷惑をかけてはならないという優生思想を男性よりも、深く内面化させられているのだ。言ってみれば、安楽死、尊厳死という言葉も男性の発想だと、しみじみ思う。死を潔くとか〇〇のためにとか美化し、残酷な戦争を戦い続け、愚の骨頂であるそれを終わらせることのできない男社会。
優生思想がコインの表なら、裏には自ら尊厳を持って死を求めるべきという優死思想が密かに 登場している...。
この連載では、女性が優生思想をどれほど内面化しているかを明らかにし、そこから自由になることの可能性を追求していきたい。 男と女の間には深くて暗い川があるという歌があった。しかし実のところ、女と女の間にも障害のある無しに始まり年齢、容姿、経済、結婚している・していない、子供を持っている・持っていないなど、悲しい分断が凄まじい。 それを様々な観点から見ていき、そこにある深い溝に、少しでも橋をかけていきたいと思う。