コロナウィルスのために、世界中の中絶のありかたはすっかりさま変わりした。このパンデミックが収束しても、おそらく前と同じには戻らないだろう。改めてパンデミック宣言以後の中絶関連ニュースを振り返ってみると、わずか1か月足らずのあいだに劇的な変化の波紋が広まっていったことがわかる。だけど日本にはそうした変化の波は到達していないし、たとえ届いたとしても、日本の中絶のありようが変わるのはまだまだ先になりそうだ。それがなぜかを語る前に、まずは3月半ばから始まった世界の変化について見て行こう。
国連世界保健機関(WHO)が今回の新型コロナウィルスについてパンデミックとみなしうると宣言したのは、日本政府のオリンピック延期の発表より2週間も前の3月11日のことだった。それから1か月足らずのあいだに、世界では猛スピードで「避妊と中絶」へのアクセスを保障するための体制が整えられ、常識が塗り替えられていった。
3月17日に、エビデンス重視のリプロダクティブ・ヘルス&ライツ関連情報を毎日提供しているニュースサイト「リワイヤ・ニュース」は、すでに中絶規制が広まりつつあるアメリカで、コロナウィルス・パンデミック下でのリプロダクティブ・ヘルスはどうなるのか、読者の疑問に答えるインタビュー記事を掲載した。インタビューを受けた医師は、コロナウィルスが中絶に多大な影響を及ぼすことを懸念し、感染リスクを減らすために「テレヘルス/テレメディシン(遠隔医療)」が有効になるだと述べていた。
3月18日、アメリカの産科・婦人科医の団体ACOGは関連団体と共に、「COVID-19アウトブレイク中の中絶へのアクセスと題した共同声明を出した。
「中絶は包括的な健康管理に欠かせないものである。数週間、場合によっては数日間遅れただけでも、リスクが増したり、中絶を受けられなくなったりする可能性のある一刻を争うサービスでもある。中絶を受けられないことがもたらす結果は、当事者の人生、健康、そして幸福に甚大な影響を及ぼす。私たちは中絶をキャンセルしたり遅延させたりするようなコロナ対策を支持しない。地域や病院の医療従事者は、アウトブレイク中も女性たちの中絶へのアクセスを絶やさないように協力を検討すべきである。」
3月20日、全国中絶連盟カナダなどの団体が、COVID-19危機のさなかでも中絶医療を提供し続けるよう政府に求める合同キャンペーンを開始した。他の国々や国際NGOなどでも、女性運動のアクティビストたちによって、同様のキャンペーンが相次いで展開されていった。
3月21日、イギリスの産科・婦人科医の団体RCOGは、専門家向けの医療マニュアル『コロナウィルス(COVID-19)感染と中絶ケア』を発行した。このマニュアルには、遠隔医療を活用することで、医療従事者と中絶を求める女性の接触を最小限にしながら、中絶薬を女性たちに届けるプロトコルが示されていた。さらにRCOGはこの専門家用マニュアルを元に、コロナ禍において一般女性が抱きそうな産科・婦人科医療に関する詳細なQ&Aも作成してインターネットで公開し、順次情報更新している。
3月23日、イギリスの保健社会福祉省は、オンラインの動画や電話で医師の診察を受けて中絶薬を処方された女性が、ミフェプリストンとミソプロストールの両方の薬を自宅で合法的に自己投与することが承認されたと政府のウェブサイトで発表した。
インディペンデント紙はすぐさま、「とりわけ今のようなパンデミックのさなかには、自宅で自己管理中絶ができるようにしたのは歓迎すべき必要な措置」であり、「両方の薬(中絶薬は2種類の薬を時間差で用いる)の自宅服用を許可することで、女性たちは安全に妊娠を終わらせるための尊厳と空間を与えられるため、永続的な医療オプションにすべき」だと報じた。
ところが、イギリス政府のこの発表はわずか数時間後にウェブサイトから削除され、代わりにこの承認発表は「間違いだった」との声明が出された。この異例の事態に、驚きと失望の声が世界中に広まった。
3月24日、RCOGと助産師団体RCMは、「COVID-19感染爆発中の妊娠初期の薬剤中絶の管理に関する共同声明」を出した。この共同声明は、イギリス政府が中絶薬の自宅服用を認めなかったことを批判し、「中絶サービスは女性を守るものであり、これがないと女性たちを違法の中絶に追いやることになる」と政府に再考を促した。
中絶薬のオンライン処方と自宅服用の是非を巡る議論は、イギリスのみならず世界中に波紋を及ぼした。そのさなかの3月27日、アイルランドがイギリスの先を越してテレメディシン(遠隔医療)を用いて自宅で中絶薬を服用することを許可した。するとイギリス政府も、承認撤回騒ぎから1週間後の3月30日に、2年間またはコロナ危機が収束するまでの期間限定で、妊娠10週目までに限って中絶薬を自宅服用することを正式に承認した。これにより、中絶を望む女性が電話またはオンラインで医師の遠隔医療を受けた後、早期中絶に必要な2種類の薬を郵送で受け取り、自分で服用することが可能になったのである。この措置は世界中のアクティビストたちの称賛と羨望を受けることになった。
一方、トランプ政権下にあるアメリカでは、ここ数年間、中絶クリニックに対してさまざまな圧力がかけられてきたが、COVID-19の蔓延のために攻防戦がいっそう激しさを増していた。
3月23日のリワイヤ・ニュースは、アメリカの複数の州で、テレメディシンが禁止されているばかりか、強制的な待機期間や中絶への保険適用の禁止、中絶提供者を医師に限定したり、未成年の中絶に親の同意や親への通知を義務付けたりすることを定めた州法など、様々な制限がかけられていることを大きく報じた。同ニュースサイトは、医学的には不必要な制限のために中絶医療が大混乱に陥っているとして、「今こそ規制を外すべき」と主張した。
タイム誌の3月24日号は、中絶反対派はコロナ危機を利用して、米国中の中絶クリニックを一つでも多く閉鎖に追い込もうとしているとして、そのような行為はウィルス騒ぎが終結した後に「別の医療システムの危機」をもたらすと批判した。感染拡大を口実にした中絶クリニックの閉鎖は女性の健康に危機にさらすため、テレメディシンは許可すべきであると同誌は論じた。
パブリックラジオ局のエヌピーアールは、3月24日の放送で、「選択的中絶」は優先度が低く「ほかの選択肢があるのだから停止すべき」とする中絶反対派の主張を紹介した。「ほかの選択肢」とは妊娠を継続して産むことに他ならないため、女性運動のアクティビストたちは、「中絶は必須で一刻を争う医療だ」と応戦した。さらに、州自治が選択的中絶禁止令を出したオハイオ州やテキサス州では、家族計画連盟の関係者などが「中絶は必要不可欠な健康サービスだ」と反論しており、中絶反対派は「パンデミックを政治利用している」といった非難の声も上がっていると報じられた。
3月26日のニューヨークタイムズ紙の社説は、ここ数日間のテキサス、オハイオ、ルイジアナ各州で、「中絶はノンエッセンシャルな(不可欠でない)医療」と位置付けて中絶クリニックの閉鎖を命じるなどの厳しい規制がかけられたことを批判して、米食品医薬品局は規制を緩和してテレメディシンを許可し、中絶を郵送できるようにすべきだと厳しく非難した。
こうした議論の高まりに、国際的な動きも見られるようになった。3月27日の金曜日、国際産婦人科連盟(FIGO)が行った「COVID-19:セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツにどんな意味をもつか?」と題したウェビナーには、世界中からzoomを通じて1300人以上が参加し、Facebookライブを通じて3500人以上が視聴した。このウェビナーでは、世界レベルの専門家たちによって様々な問題が提起され、方針が確認され、解決法が共有されることになった。その結果、週明けの3月30日、FIGOは次のような宣言を出したのである。
「テレメディシン(遠隔医療)は、クリニックに足を運ぶことなく、妊娠初期に中絶を行うための安全でプライバシーの守られた方法であり、自宅隔離をしている人や、遠隔地に暮らす女性、育児のために自宅を離れられない人などにとって有効な手段である。COVID-19のパンデミックが続くあいだ、テレメディシンは女性を守り、女性の重要な医療ニーズを満たす手段になる。安全で効果的な中絶サービスを行うために、医療者と対面する必要がないことは、すでに立証されている。WHOも、女性たちが中絶のプロセスのどこかで適切な情報や医療を必要としたり、望んだりする場合にそれらにアクセスできるようにしている限り、自己管理で中絶薬を用いた中絶を安全に行うことは可能だとして、この方法を推奨している。」
4月11日、世界で最も権威の高い医学雑誌ランセットにも、「世界的なCOVID-19への対応において性と生殖の健康と正義を集中させる」という記事が載り、「遠隔医療は、薬による中絶、避妊等にアクセスするための手段となりうる」と明記された。
このように、パンデミック宣言を機に「中絶はエッセンシャル(不可欠)な医療かどうか」を巡ってにわかに激しい議論が闘わされ、メディアも盛んにこの話題を取り上げた結果、国際社会では、「中絶はエッセンシャルな医療」であることと、医療が逼迫しているパンデミック下においては「中絶薬のオンライン処方が非常に有効」であることが、ほぼ1か月のあいだに共通認識になったのである。この共通認識は、「中絶再考その12」ですでに紹介した通り、中絶薬が非常に安全で有効な薬であることが、国際社会ではすでに確認されているという共通理解に支えられている。とはいえ、医学的な安全性が保障されても、政治的、法的な位置づけはにわかには変わらないこともある。
雑誌ミズは4月1日付の「自己管理中絶は医学的に安全。でも法的には?」という記事で、アメリカの大半の州では自分の妊娠を終わらせるために中絶薬を服用することは罪にはならないとしながら、「妊娠早期に自宅に薬を送ってもらって服用し、誰も胎児を目にしなければトラブルになることは少ない」「もしうまくいかなくても、病院で中絶薬をのんだと言う必要はない。ふつうの流産と何も変わらないし、見分けるための検査もない」と一種の逃げ道をアドバイスしている。
中絶薬のオンライン処方に関する新たな共通認識は、他の国々にも影響を広めつつある。
4月3日、フランスで発表された保健大臣と男女共同参画担当国務長官の共同声明で、中絶のために電話やインターネットで遠隔医療を受け、問題がない場合には自宅で中絶薬を服用できることを示した新しいガイドラインが発表された。さらにフランス政府は、オンリクエストの(女性の要求次第の)中絶を合法的に行える妊娠週数を一時的に妊娠9週まで延長するなどの緊急措置により、パンデミック中の中絶ケアへのアクセスを確保しようと努めている。
4月9日には、マルタ、モナコ、ポーランドなど中絶へのアクセスが著しく困難なヨーロッパの6か国を対象として、コロナ禍に際して安全でタイムリーな中絶を求める100以上もの団体による請願が行われた。
他にも、ドイツでは中絶を受ける女性が法的に義務付けられているカウンセリングをオンラインで行えるようになったし、コロナ禍以前から中絶薬の送付が行われてきたオーストラリアでは、すべての中絶について健康保険を使えるように制度変更するなど、それぞれの国が実情に合わせて、パンデミック中でも女性たちの中絶へのアクセスを少しでも改善するための努力が重ねられている。
翻って、日本である。世界の国々が女性のリプロダクティブ・ヘルス&ライツ、とりわけ「中絶へのアクセス」を守ろうと必死の努力を積み重ねていた頃、日本では国のトップが唐突で無責任な「休校宣言」をした。そのために、ティーンエージャーは学校という居場所を失い、長い時間を二人で閉じこもるカップルも増え、その直接的な結果として、中高校生の妊娠相談が急激に増加したと言われている。健康と権利を守るどころか、日本の少女たちは通常以上にリスクの多い状態に放り出されてしまったのだ。
被害の実態はまだ見えてきていないが、非常時には最も弱い人々が最も大きな被害を受ける。それにACOGの言う通り、「中絶を受けられないことがもたらす結果は、当事者の人生、健康、そして幸福に重大な影響を及ぼす」。本来であれば、早急に実態調査をして対策を練るべきだ。
日本の状況は、情けないほど世界とは違いすぎる。普通の避妊薬や緊急避妊薬でさえ、この国では産婦人科を受診して、医師に処方箋を書いてもらい、高い値段で購入するしかない。どちらも、海外では気軽に薬局で買える値段なのに。無料で配布している国もあるというのに。ましてや、中絶薬のオンライン処方による自宅中絶/自己管理中絶は、日本人女性にはいくつもの山を越えていかねばならない遠い遠い先にある。世界では1980年代の末に流通が始まった中絶薬がいまだに日本では認可されていないし、たとえ認可されても、日本には今でも刑法堕胎罪があるので、女性が自分の妊娠を終わらせるために自分で中絶薬をのむことは「犯罪」になってしまう。そうなると、女性は医師の監視下でなければ中絶薬をのめないことになりかねない。自宅中絶の最大の長所のひとつは、中絶の全プロセスをリラックスできる慣れ親しんだ自宅で経験できることだといわれている。いったいこの国は、どこまで女の心とからだを縛るのか。堕胎罪な・く・そ!
医療も法も、おそらくは背景にある女性差別的な文化まで変えていなければ、自宅中絶は実現しないだろう。道は遠い。それでも幸いなことに方向性は見えている。世界では、女性差別を撤廃するために、刑法堕胎罪(自己堕胎罪)の廃止は必須だとされている。中絶を含むあらゆるリプロダクティブ・ヘルスに関して、最新で最高の医療を適正価格で受けられることも、人権として保障されるべきなのだ。国際的な基準に照らせば、中絶薬は当然導入すべきだし、アクセスしやすくするためには手に入れやすい価格にしなければならない。避妊薬も、緊急避妊薬も、もっと手軽に誰でも使えるようにすべきなのだ。それが世界の常識だ。
海外の人権事情、リプロ事情にもっと目を向けていこう。日本の常識がいかに世界の非常識であるかを知ってほしい。正しい知識をもつ人が増えていけば、きっと社会は変わっていく。女たちの怒りをパワーにしていこう。