都知事選候補者ポスターの前を通るのが怖い。この世の邪悪で猥雑を集結させた二次元の数平米・・・というかなんというか。直視できないし、深夜の道であの面々に出会うと、ギャー!だよ、ギャー! と心の中で抑揚ない叫び越えをあげ足早に通り過ぎる。我ながら、これがどういう感情なのか分からないが、たぶん、今の東京・日本の「現実」を「現実」と思いたくない防衛本能が働いているのかもしれない。
ヘイトスピーチを容認するような候補者の笑顔が耐えがたい。光のない目をした現都知事の顔も怖い。なにより「低容量ピルで働き方改革」を提唱する堀江氏の写真や提言をポスターにいれているホリエモン新党の気味悪さは、身体が辛くなるほどのレベルで耐えがたい。
堀江氏は、「低容量ピルで働き方改革」によせられている自身への批判を「脊髄反射で批判されてる」とYouTubeで語っている。どうやら堀江氏が見えている自分への「批判」は、低容量ピルの副作用などを問題にする低容量ピル自体への批判らしいが、そんな批判をしている人はどのくらいいるのだろう。フェミニストが女性の人権の視点から、「低容量ピルで働き方改革を」の気持ち悪さに怒っているのは、それが「男性管理者」の発想だからだ。堀江氏は、女性の態度が「すぐ変わる」のがPMSのせいだとか、生理があると一定の感情・体調で仕事ができないと決めつけている。そのために低容量ピルを女性が飲めば、身体のリズムにより変化せず一定に、「男と同じように」管理できるという考えだ。余計なお世話というものだろう。
この社会で女性が働きにくさを感じているのは、女性が働く環境が整っていないから。でしかない。セクハラの定義が分からない組織。性の話を潤滑なコミュニケーションの手段のように捉えている職場。男性と女性の給与格差がある会社。女性の管理職がいない組織。だらだらと残業を強いる上司。テレワークできるのにさせず満員電車で通わせる古い体質。家事・育児を女性にばかり押しつける悪習。低容量ピルで、解決できますか。まず、お前が変われよ。そう言いたくもなるだろう。低容量ピルを飲むも飲まないのも、女性がプライベート空間で自分で決めることで、会社や社会が推奨・強要することじゃない。女性の身体への介入を全く何の違和感もなく行おうとしていることに、私たちは怒っている。
ちなみに、低容量ピルを公費で得られるのは良い政策だよ!これを機にピルの知識を身につけて! などと堀江氏を擁護する人もいるけれど、”男性管理者”にピルを押しつけられて怒る女性をなだめるのは本当に止めて。
堀江氏の(そして低容量ピルで働き方改革に違和感を持たない人々の)ナチュラルな「女性の身体介入」、その気持ち悪さがビジュアルで表現されたのが、北区の都議補選の候補者ポスターなのかもしれない。ホリエモン新党(って本当に実態がよく分かりませんが)の新藤加菜氏が、アベノマスクらしきものをブラジャーにしたて胸をよせて上目遣いの“定型ポーズ”で選挙ポスターに登場していることが話題になっている。
これまで何億回も繰り返し繰り返し繰り返し再生産されてきたポルノ画像の一枚のような選挙ポスター。女性の身体に対する考え方がストレートに出ている表現物だ。そこに彼女の性的な自由や自己決定は求められていない。胸を強調し、媚びた表情の、日本ポルノの「定型」を再生産させることで彼女の個は容易に消えるだろう。女性に「個」も「言葉」も不要で、求められるのは男性に消費されるための性的サービスだけ。女性の身体を”支配している””管理している”側からの発想だ。
あのポスター一枚が伝えるのは、そんなこと。その表現が与える破壊力、攻撃力はじわじわと私たちを蝕むよ。すり減らされる。
北区の補選は全員女性候補者ということで話題になっている。男性が大多数を占める日本の政治の現場で、どのような女性が求められるのか、候補者に「してもらえるのか」がよく見える、まさに日本の女性が置かれている現実が浮き彫りになっているボードだ。都知事選ポスターと並べると、絶望感深まる日本の現実。
この国の民主主義はまだまだ遠く、フェミが安心して呼吸できるにはもっともっと力が必要。とはいっても希望は捨てずに、諦めず、黙らずに、声を出し続けるしかないのよね。ポスターの前を足早に通り過ぎながら、安心な世界を生きたいと心から思う。こわいけど!