5月18日、韓国では光州事件から40周年を迎えました。
日本では光州事件と呼ばれますが、こちらでは「5.18民主化運動」と呼ばれています。
1979年に軍事独裁政権をしいた朴正熙(パク・チョンヒ=朴槿恵前大統領の父)が暗殺され、民主化への機運が高まっていた韓国・光州市で翌1980年に起きた軍による無差別弾圧事件です。韓国民主化の原動力となったと言われていますが、1987年の民主化宣言まで、闇に葬られてきました。当時、軍によって封鎖されていた光州市に潜入し、世界に事実を伝えたドイツ人記者と取材を助けたタクシー運転手の実話をもとに描いた映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」は日本でも大ヒットしたので、知っている人も多いかもしれません。私はこの映画、映画館で3回見ました。
日本ではあまり大きく報じられることのないこの日が、今の韓国社会にとってどんな意味を持っているのか。留学前から知りたいと思っていたことのひとつでした。
18日、光州市の5・18民主広場(旧全羅南道庁前)で開かれた記念式典はもちろん、数日前からテレビや新聞では生存者による犠牲者の遺族による証言が大きく報じられていました。事件では、軍による武力行使で300人以上もの学生や市民が亡くなったり、行方不明になったりしたと言われていますが(もっと多いという説も)、いったい誰が市民への攻撃を指示したのか。また軍による女性への性的暴力があったという証言や、軍が行方不明者を埋めたという証言も出ていますが、当時の徹底的な情報統制とその後の政権交代の激しさ(だって文在寅大統領の前の大統領は軍事政権を率いた朴正熙の娘です)から、光州で何が起きていたのか、犠牲者の規模も含め、40年たった今もわからないことが多く残されています。
テレビで、抜けるような快晴の空の下、映画「タクシー運転手」にも出てきた、学生や市民が拠点とし、抗争の現場となった旧全羅南道庁の建物を前に、多くの政府関係者や遺族が頭を垂れる姿を見ながら、いま韓国でこの様子を見られて良かった、そう強く感じました。なぜ朴槿恵弾劾を求めるキャンドルデモが起きたのか。なぜ4月の国会議員選挙の投票率が7割弱にも上ったのか。わかる気がしました。
式典に出席した文在寅大統領も民主化運動に身を投じた一人。テレビ局のインタビューで、1980年5月17日に戒厳令違反で拘束され、警察署のなかで18日を迎えたと言っています。※インタビューの要約はこちら。(http://japan.hani.co.kr/arti/politics/36652.html)
先日、日本に留学経験があり、日本の政治にも関心の高い知人とご飯を食べる機会があったのですが、彼は「文在寅だけでなく、政権内にも周辺にも民主化運動に関わって拘束された経験のある人は少なくないんですよ」と言っていました。「事件は過去の話ではないんです」と。当事者が大統領であり、政権幹部であり、国民の多くが民主主義を文字どおり自分や家族や友人が命をかけて勝ち取った経験を共有している。だからこそ、多くの人が投票し、声を上げ、闘い続けなければ、同じことが起きるという危機感が生々しい感覚としてあるんじゃないか。真相解明を求め、声を上げ続けなければ、葬りさられてしまうという危機感も感じます。
実際、1987年6月29日に民主化宣言をするまで、韓国でこの事件はないものとされていたし、つい先日も、1980年当時、クーデターで軍を掌握し、事件を隠蔽、歪曲した張本人である全斗煥(チョン・ドファン)元大統領が、今も裁判所で名誉毀損の罪に問われ、争っているというニュースを読んだばかり。全斗煥、まだ生きていたのか……。事件はただの歴史的事実ではなく、まさに今も現在進行形で続いているんだな。全被告は、光州事件で「軍がヘリコプターから市民にむけて射撃したのを見た」という神父の証言を自身の回顧録でまっこうから否定し、「破廉恥なうそつき」と中傷しているそうです。しかも法廷で居眠りを繰り返し、遺族から怒号を浴びたとか。
前述した知人によれば、保守系を支持する人たちのなかには、今も「光州事件は北朝鮮の扇動による暴動だ!」というようなデマ(というか妄想)を本気で信じている人たちもいるそうで、ネトウヨってどの国でも妄想のバリエーションがあまり多くないんですね。
文大統領は記念式典でのスピーチで、事件で犠牲となった人たちの思いを「5月の精神」と表現し、繰り返し引用しました。「5月の精神は平凡な人々の平凡な希望が他人の苦痛に応えることで作られたもの」で、真相究明は「処罰のためでなく、歴史を正しく記録するためだ」と。
日本でも5月、検察幹部の定年を延長できるようにする内容が含まれた検察庁法改正案について、SNS上で「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグが拡散され、法案の採決が見送りになりました。ささやかな、あまりにもささやかな一歩ではあるけれど、私たちがこの国の主権者なのだ。声を上げること。連帯して闘い続ければ変えることができるのだ。私も韓国で見たこと、そして「5月の精神」を忘れたくありません。
※光州のタクシー運転手たちが今年も、80年5月のデモと同じようにタクシーを連ねる犠牲者を悼んだ、というニュースです。
※ホンデの遊歩道を散歩する人たち