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 日本で合法的に中絶を行えるのは、各都道府県の医師会に母体保護法指定医師として指定された産婦人科医師だけである。その指定医師の職業団体である公益社団法人日本産婦人科医会(医会と略す)は、会員のために『会員必携No.1 指定医師必携』を発行している。
 冒頭に寄せられた医会会長による「現代社会における母体保護法の意義」によれば、この『必携』は「母体保護法を分かりやすく解説したもの」で、「指定医師が……中絶を安全に法に基づいて施行する指針を定めたもの」だという。要は指定医師用の中絶マニュアルということだ。

 『必携』はそもそも1964年に『日母会員必携No.1』(日母とは、医会の母体で1949年に発足した日本母性保護医協会のこと)として刊行された。現在の最新版は平成31年3月改訂版とけっこう新しい。
 上述の新版冒頭で医会会長は、優生保護法に障害者に対して差別的な「優生思想に基づく条文」があったことを反省した上で、「時代の変遷とともに、国民の意識も変わり」、「現代社会にあっては人権尊重の思想が当然」との認識を示し、「この指定医師必携をいつも手元に置いて必要なことを再確認し、安全確実な人工妊娠中絶を施行することにより、女性の健康を守れるよう支援してください。母体保護法指定医師である産婦人科医師に対する国民の信頼と期待に応えていただきたくお願いいたします」と結んでいる。
 ところが、残念なことに『必携』の本文には、女性の健康や人権を尊重した文言は見当たらない。むしろ、それを否定しているような内容があちこちに見られる。今回はそれを一緒に見ていこう。

 『必携』によれば、母体保護法の目的は「母性の健康を保護すること」である。ここで気づくべきなのは、「女性の健康」ではなく「母性の健康」となっていることだ。
 広辞苑によれば「母性」とは「母として持つ性質。また、母たるもの」。「母として持つ性質」は人ではないので、「母性の健康」とは「母たるもの(妊娠している女性?)の健康」ということになるだろうか。
 しかし、当然ながら、中絶を望む女性は「母たるもの」でなくなろうとしているわけで、そうなると、中絶を受けようとする女性、中絶を受けている最中の女性、中絶を受けた後の女性の健康を守ることは、この法の目的から外れるような気がしてしまう。ここはやはり「女性の健康」とすべきだし、せめて「妊婦(これもひっかかるが)の健康」としてほしいものだ。

 また『必携』には、中絶を自己決定する権利や安全な中絶医療を受けられる権利を保障するために国際社会が根本理念としている「生殖に関する権利と健康(リプロダクティブ・ヘルス&ライツ、略RH&R)」という国際規範への言及がまったくない。RH&Rの重要な2つの要素は、「性や生殖に関する健康への権利」と「性や生殖に関する女性の自己決定権」だが、『必携』はそれにも言及していないし、次のように女性の自己決定権を全否定する文言まで見られる。

人工妊娠中絶は患者の求めに応じ行うものではなく、中絶の適応があると指定医師が判定した場合のみ行うべきもので、この点が他の医療との大きな差異である。

 このように、妊娠早期については海外で広く導入されている「オンデマンド(要求あり次第)」の中絶は完全に否定されていて、医師の裁量権の方が優先されている。さらに、中絶以外の医療については「正当な理由がなければこれを拒んではならない」と医師法で定められているのに対し、「絶の場合は指定医師が母体保護法に規定された適応が無いと判断した場合は、これを拒むことができる」といった解説が続く。
 つまり、女性は自分のことを自分で決められないけど、医師が代わりに決めるから。場合によってはダメだと言うこともあるからね……というわけだ。まさに「パターナリズム(温情主義、夫権主義)」だ。患者中心主義が主流の現代の医療のありかたにも反している。

 一方、「指定医師の倫理」の項では、母体保護法についてなぜか自慢げに説明している。

近年人工妊娠中絶に対する各国の考え方が変化しつつあって、それに関する法律も改められている。かかる際わが国の母体保護法が注目され、各国から大いに参考とされている。

 ちょっと待って!? いったいどの国の法律が母体保護法を参考にしているというのだろう。もしかして、韓国で堕胎罪によって処罰されない例外事由を規定した母子保健法のことを言っているのだろうか。仮にそうだとすれば、韓国の堕胎罪規定は1953年、母子保健法は1973年に公布されているので、参考にしたとすれば母体保護法じゃなくて優生保護法ではないの?
 実際、韓国の母子保健法は、優生学的/遺伝学的な障がいや疾患、伝染病疾患、強姦による妊娠や婚姻不能な血族間の妊娠の場合、医学的による母体の健康を著しく害する場合などの中絶を合法としていて、日本の優生保護法によく似ている。韓国の母子保健法には、日本で最もよく使われている「経済的理由」が含まれていないところは違うけど。
 それ以外に日本の母体保護法を参照して作った中絶法があるものか? 寡聞にして知らない。

 なお、日本の優生保護法が世界から注目されたこと自体は事実である。ただし、注目された理由は、同法の優生学的な内容が時代錯誤的で、差別的だと見られたためであって褒められた話ではない。
 そのように海外から注目され、批判を浴びた結果、優生保護法は優生学的な部分を全削除して1996年に「母体保護法」へと改正された。仮に近年「各国から多いに参考とされ」た例があるのなら、それはきっと反面教師として用いられたということだろう。
 ただし韓国では昨年4月に、刑法の堕胎罪規定は妊婦の権利を過度に侵害しているとして違憲判決が下された。その結果、同国の中絶関連法は今年の末までに全面的に見直される予定である(改訂が間に合わなければ、刑法堕胎罪の規定は2021年1月1日よりすべて廃棄される)。堕胎罪が否定されれば、合法的中絶の範囲を示す必要もなくなるはずで、日本こそ韓国の例から学べるものが多くありそうだ。

 『必携』に話を戻そう。母体保護法を自慢しているのと同時に、指定医師制度そのものについても、「母体保護法において特筆すべき」もので、「世界に類例をみないわが国独特のもの」だと褒めたたえている。
 その理由としては、「指定医師は、医師特に産婦人科医の中から人格、技能、設備等について厳重な医師会の審査を受けて指定される」ためであり、指定の基準として「高い見識と職業倫理」「職業の尊厳と責任を自覚し絶えず学術面での向上を目指すなど自らを律する」「医療を受ける人びとを尊重することが求められている」などと列挙されている。
 さて、この最後の「医療を受ける人びとを尊重」というところで、ああやっと中絶医療を受ける女性に対する尊重が出てきたのか……と思った矢先、その期待は次の文ですぐに裏切られる。

また胎児を取り扱う視点からも、胎児の尊厳に留意し、胎児の持つ個々の多様性と独自性を尊重する姿勢で臨むことは……社会的および倫理的にも留意すべき重要なことである。

 ちょ、ちょっと待って~! 「胎児」については、医学的にまだ「胎嚢」「胎芽」と言われる時期まですべてひっくるめて「人間」として扱い、その「尊厳」に留意するばかりか、「個々の多様性と独自性を尊重」されるべき存在として扱っている。その一方で、女性たちの尊厳や多様性や独自性は完全に無視……。
 おまけに、中絶実施には「すべての場合に本人の同意と配偶者の同意を得なければならない」し、同意なしに中絶を行えば、「堕胎罪により刑事処分を受けるおそれがあるだけでなく、夫権の侵害等を理由に民事上の損害賠償請求の原因となる」ことがあるという。「夫権」はあるが、女性の権利は全く語られない。

 このように、『必携』の中で、中絶に関して女性は「医師、胎児、配偶者」という3者に従属させられる存在として描かれているわけだ。これではRH&Rの発想など出てくるわけもない。
 『必携』に示されている中絶観も驚きで、人工妊娠中絶は「生命ある胎児を含む妊娠を人工的に中絶する手術である」とか、「胎児生命を否定する処置である」と説明されている。あくまでも「胎児生命」にばかり注目していて、医師の目の前にいる個別の人生を生きている女性の存在が忘れ去られているのである。

 最後に、指定医師としての基準に上げられている「高い見識と職業倫理」「職業の尊厳と責任を自覚し絶えず学術面での向上を目指すなど自らを律する」というのも、現状とはかけ離れている。この連載でもすでに再三述べて来たとおり、日本では未だにソウハ(搔爬)と呼ばれる子宮内を掻き出す古い中絶手術が使われ続けている。『必携』で語られる「中絶」も、ソウハを前提としていることがあちこちで顔を覗かせている。
 そもそも『必携』において、中絶は一貫として「手術」として説明されており、「子宮損傷(子宮頚管裂傷、子宮穿孔)、出血、感染等の防止に努める」よう注意が呼び掛けられている。「術中ゾンデにより子宮腔長・方向等を再度確かめる」という注意は、より安全な施術のために超音波モニター下で施術してなく、ブラインドで(盲目的に)手術が行われている実態を示唆している。
 同様に、「子宮壁に対する挿入器具の抵抗を鋭敏に感知するため、器具をあまり強く把持しない」という注意もキュレットのことだし、多量出血の予防として、「子宮壁を過度に搔爬しない」とか、「搔爬による子宮損傷を避けるために吸引法を考慮する」といった注意もソウハだからこそ。吸引法の方が安全だという認識があるのなら、なぜ最初から吸引法を使わないのだろうか。

 こう見ていくと、「高い見識」にも首をひねらざるをえないし、「絶えず学術面での向上を目指す」だなんて、全くもって嘘だと叫びたくなる。1970年代以来、世界では中絶観を一変させるような技術改革が行われてきたのに、日本の指定医師たちはほとんど何も新しいことを学んでこなかったのだから。

こんなものを『必携』にしている医会の見識を疑うべきだろう。

 

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塚原久美

塚原久美(つかはら・くみ)

中絶問題研究者、中絶ケアカウンセラー、臨床心理士、公認心理師

20代で中絶、流産を経験してメンタル・ブレークダウン。何年も心療内科やカウンセリングを渡り歩いた末に、CRに出合ってようやく回復。女性学やフェミニズムを学んで問題の根幹を知り、当事者の視点から日本の中絶問題を研究・発信している。著書に『日本の中絶』(筑摩書房)、『中絶のスティグマをへらす本』(Amazon Kindle)、『中絶問題とリプロダクティヴ・ライツ フェミニスト倫理の視点から』(勁草書房)、翻訳書に『中絶がわかる本』(R・ステーブンソン著/アジュマブックス)などがある。

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