大きな話題になった『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)の著者であり、ラブピースクラブでも人気のエッセイスト、中島さおりさんの最新作『哲学する子どもたち』(河出書房新社)は、中島さんと二人のお子さんの体験を通したリアルなフランスの教育事情が描かれています。外国の教育事情など自分には関係ない・・・と、思う方もいるかもしれませんが、これが・・・もう、ぜんぜんそんなことがないのです! 『パリの女は産んでいる』でも、国の政策や文化がこれほど子どもを育てる人生を違えるのか、女の人生を変えるのか! と衝撃の気付きがありましたが、『哲学する子どもたち』では、「教育」がどれほど私たちの人生を左右し、思考方法を変え、また思考する技術に影響を与えるのかを実感します。正に私たちの人生、生き方を根っこから見直すような読書体験になりました。ぜひ多くの方に手にとって読んでいただきたい一冊です。
今回のインタビューでは、「哲学する子どもたち」の中で紹介されていたこと、そしてまた本の中では紹介されていなかったラブピースならではのジェンダーや性の教育についても伺いました。
■フランスの教育現場で起きていること
北原みのり(以下北原) フランスの公共空間でイスラム教徒のスカーフを禁止する、学校でも禁止する、というニュースは日本で話題になっていました。自由を歌うフランスで何故? と不思議でした。でもその背景には、フランスの教育現場では宗教は教えない「ライシテ(非宗教性)」の原則がある。『哲学する子どもたち』を読み、教育の背景にどのような歴史と考え方があるのかがよく分かりました。宗教教育を排除する一方で、全ての高校生が哲学を学ぶというフランスの教育、非常に興味深かったです。
中島さおり(以下中島) フランスの公共空間でイスラムの女性のスカーフを禁止する、というニュースだけが日本で知られると、イスラム教徒を抑圧しているんだろうと思いますよね。そういう面がないわけではないけれど、背景となっているフランスの「ライシテ(非宗教性)」の原則は、日本ではあまり知られていないと思います。特にフランスの公教育は「ライシテ」と深い関わりがあるので、教育事情を書くためには避けて通れないと思い、少し詳しく紹介しました。
フランスでは学校教育に宗教を持ち込みません。学校だけではなく公共の場には宗教を持ち込みません。何故かというと、19世紀にフランスは、共和国とカトリックの権力が戦ったんですね。教育は教会がやるものだったのを、宗教と関係のないフランス共和国が奪い取って国民を作る装置とした長い闘いの歴史があるのです。その闘いの遺産として「ライシテ」があるんですね。学校におけるライシテ、つまり非宗教性原則というのは、本来は「あなたの宗教が何であっても、あなたはフランス人になれる。学校は、あなたの宗教が何であるかは問わず、フランス共和国の国民を育てる場である」ということだったのです。
ところが、イスラム教徒の生徒が多くなるにつれて、体育の授業中もスカーフを取らないとか、体育の授業自体を受けないとか、授業で神を否定するような内容を受け付けないというような問題が発生するようになりました。そこで、「学校においてはライシテ原則を守れ」という議論が起こったのがそもそもの発端で、1989年が始まりなのでかなり昔のことですが、学校が停学処分する事件が繰り返された後、2004年に「目に付く宗教的徴を学校で身につけてはならない」という法律ができたのです。フランスの言い分は、「ここはフランスなんだからフランスのルールを守って欲しい。あなたが内面でどんな宗教を信じていてもいいけれど、学校という公共の場所では宗教を誇示しないで欲しい」ということですね。この法律は、ユダヤ教のキッパなども対象になりますが、学校にキッパをつけて行くユダヤ教徒はいませんし、「目につかなければ良い」ので、十字架を首に架けていても問題にならなかったりするところを考えると、実質は「スカーフをやめろ」と言っていることになります。イスラムフォビアの側面があるというのは間違ってはいないとは思います。
また、フランス人たちがこと「スカーフ」にこだわる理由は、スカーフは女性の抑圧の象徴だっていう考え方があります。フランスでは本当に多くの人がそう思っているので、その点で、「女性を抑圧するものは共和国の理想に反する」と考えている、そういう面もあるんですよね。・・・もちろんそれはフランス人達の自己正当化で、裏にあるのはイスラムフォビアっていう面がないわけではない。でも「女性はスカーフで髪や顔を隠さなければ」という道徳がイスラム教の家父長的な性格に由来する面もたしかにあるのです。だから、女性自身が自由を抑圧されていると訴えている場合もあります・・・。一方で、「自分の自由意志で被っているんだから、国家が個人の服装をとやかくいうな」というイスラム女性たちもあるので、この問題は語るのが非常に難しいです。
北原 宗教は教えなくても、宗教の歴史や宗教戦争のことは教えるんですよね。イスラム教についてはどう教えるんですか?
中島 例えば聖書は「神の言葉だ」として読むわけじゃなくて、その聖書という文献として学びます。それは、そのホメロスとか読んで、ギリシア神話を知っているのと同じようなレベルですね。 イスラム教についても同様な方法で学びます。私たち日本人が世界史などで学ぶのと同じです。だからニュートラルな教え方をしているはずですが、やっぱり先生も人間だから、自分の偏見の様な物が出ちゃうという事はあるんじゃないでしょうかね。私が個人的にうちの娘に聞いた話ですが、イスラム教について学校で習った時にネガティブな教え方をしていると思ったって言うんです。そのとき彼女はまだ12歳、日本だったら小学校6年生位だからまだ小さいわけで、イスラム教についてだってなんにも知らないわけですよ。その子どもが、「先生それはおかしいじゃないんですか、そんなにもしイスラム教が悪い宗教だとしたら世界宗教になっている筈が無いと思います」って言って来たと話していたので、あれ、先生どんな風に教えちゃったのかな、と思ったことがあります。
北原 先生が自分の政治的な主張や宗教のことを教室で語れるんですね。
中島 一応いけない事にはなっているらしいですよ、教室で語るのは。でも、気をつけていても、自分の本音を洩らしてしまうということはあるんですよ。個人的に政治的な主張を持つこと自体は当然のことだし。本にも書きましたが、日本と違って、教員にはストライキ権もありますから、授業を休んでデモに参加したりすれば、先生の主張は分かりますしね。
北原 シャルリー・エブド の時はどうだったんですか?
中島 シャルリー・エブドの時には、もうとにかく一斉に全国の学校でそれについて話をする時間を国の方針で設けたんですね。うちの子の学校でも、「シャルリー・エブド」が掲載した、イスラム教を批判する漫画を生徒に見せて、こういうものを載せたために新聞社が襲われ編集者等が殺された。彼らは「表現の自由」のために死んだのだが、しかし「表現の自由」は守らなければならない「共和国の価値」である、と教えられたそうです。なかには子供達に色々な話し合いをさせて、いろんな意見が出たところもあったみたいです。
■「哲学」が必修。「考える」ことを徹底的に考え、訓練する教育
北原 今回、改めて国と教育の関係を考えさせられました。共和国の理想の下に国民を作っていくというのが教育であるということが広く認識されているのがフランスであれば、日本の教育は何を理想としているのかな。あまり自分の頭で考えない子供を作ろうというのかなって思えてきちゃったんですよね。
中島 共和国の理想や原則自体は良いものでも、現実の中でどういう風に働いているかというと、移民に働く面があったりもするので、国家と教育の関係は理想化はできません。 けれど、フランス共和国の教育で、なるほどすごいなと思うものがあります。 フランスの中等教育の他の国にない特徴は、「哲学」が必修科目になっていることなんです。 大学入試にあたるバカロレアに「哲学」の試験が科されて、4時間かけて論文を書くというようなことをやります。 主題は、2016年の例で言えば「道徳的信条は、経験を基礎としているものか?」とか、「欲望は本来、際限のないものであるか?」とか。こういう哲学教育の伝統の背景には、「哲学を通じて自由にものを考える市民を養成する」という目的があったそうです。フランス革命に大きな影響を与えたモンテスキューが、共和制を支えるのは自分で考え判断する主体だと考えた、そういう思想が生きているものだとフランスの教育視学総監の方が書いているのですが、なるほどと思いました。
これには私は革命をやった国、近代民主主義を作っていった国の厚みを感じます。日本も一応、民主国家ということになっていますけれど、「自由にものを考える市民が国家の礎である」とは、なかなか考えていないのではないでしょうか・・・
北原 歴史教育も全く違いますね。
中島 歴史は日本とは反対に近現代史に非常に力を入れています。中学最終学年のカリキュラムは20世紀。20世紀しかやらない。高校もたしか革命から19世紀、20世紀です。小中学校のころには、古代とか中世を学ぶ年もありました。どの学年でどの時代を学ぶって決まっているんですよ。で、かなり詳しく、一年間それを学ぶ。
歴史の教科書が、20世紀だけでこんなに厚いんですよ(親指と人差しで示した厚み約3センチ!)。その中には、歴史の記述だけではなくて、やたらと資料がいっぱいあるの。当時書かれた文章とか、写真とか、統計とか。そういうものがいっぱいあって、で、それをどう理解するかみたいな、設問がある。だからなんかこう一つの歴史がずらずら書かれているわけではなくてね。一つの文章で書かれている日本の教科書とは違いますよね。
ムスメが今やっている歴史の宿題は、「どのような理由で、ベルリンは冷戦の終りの地であるのか」という題で作文を書くこと。「教科書の何ページから何ページを見て書きなさい」とあるので、日本的に言えば「カンニングOK」ですが、丸写ししたのではダメで、このタイトルに論理的に答えるように、議論を展開させなければなりません。高校生になると、宿題でも試験でも、知識そのものを問うと言うより、知識をどういう風に関連づけるかを併せて問うようになるんです。
日本も小学校、中学校レベルの教育水準は決して低くない(PISAの点数などフランスより高い)ですが、中学・高校を通じた教育内容を見ると、「正解と言われているものを早く出す」こと、「知識を覚え込むこと」に力点がおかれていて、「自分で考えること」、「知識をどう使うか」がおろそかにされているように思います。
北原 フランスは、歴史だけでなく、基本的に「考える」ことをトレーニングする教育ですね。試験は選択式で正解を出すのではなく、全て記述式。しかも、その記述も論理的な文章を求められる。さらに作文は三人称で書くことを訓練したり、抽象概念を論理的に他者に伝える時の技術など・・・本当にこれ、中高生が学ぶのか! 驚くことがたくさんありました。
中島 フランスの教育は、高等教育の準備としてはとても良いと私は思います。ただ、すべての高校生にやらせるのは、ちょっと難しくないのかな、という気がしないこともありません。まあ、一般バカロレア受験をする(つまり普通高校で学ぶ)のは同年齢人口の半分弱くらいではありますが…
どうしてこんなにフランスの中等教育は日本の中等教育と違うんだろうと考えてみたんですけれども、そのひとつの理由としては、フランスの中等教育っていうのはやっぱりちょっと古い教育が残っていて、大学など上級学校に進む人の数が限られていて中等教育が少数のエリートを育てる教育だったころから基本的に変わっていないんだと思います。だから、難しすぎてエリートを育てる教育から落ちこぼれてしまう、そういう人達をどう救うかって事があんまり上手くいっていない。それはフランスの教育の問題だろうと思うんですよ。
だけど日本は逆に中等教育が凄く大衆化した。戦争が終わった時に、旧制高等学校とか旧制中学を全部潰して新制中学と新制高校というのを作って、凄くドラスティックな改革をする訳ですよね。だからそういう意味では中等教育の民主化っていうのは日本の方がフランスよりずっと進んでいるんですよ。ただその進んだ時に、エリート教育というのがなくなっちゃったんじゃないかな、という気が私はするんですよね。エリート教育と私がここでいうのは、高等教育を受けるベースの様なものを教える中等教育のことなのですが。それを与えていない感じがするんですよ。
北原 エリートの定義、フランスではなんですか?
中島 フランスでは、エリートっていうのは、高等教育を受けた人、長い間、勉強をした人達です。ローラン・ファビウスの例を(本書で)挙げたけども、彼はエコールノルマルという高等師範学校と、パリ政治学院と、それからENA(国立行政学院)と、超エリート校を三つも出ているんですね。ENAというのは政治家と高級官僚を作る学校で、オランドも出てるし、セゴレーヌ・ロワイヤル・・・オランダの昔のパートナーだった人、あの人達はENAで同級生なんですよね。まあ総理大臣とかも一杯いるんです。シラクもそこの卒業生です。・・・あっサルコジは出ていません。
北原 エリートを育てる教育から落ちこぼれてしまう子もいますよね。
中島 ENAなんて行く人はそれこそ一握りですよ。一般にはバカロレアを通過した後、それぞれの能力に見合った学校に行って、取得した免状に応じて職業に就くのです。
バカロレア自体も、一般バカロレアの他に職業バカロレアや技術バカロレアがあり、勉強がどの位出来るかで、進路指導も違ってくるので、勉強が苦手な子は、高校に入る段階や高校2年に上がる段階で、普通高校でなく職業高校や技術高校に進学して、抽象的な勉強ではなく、もう少し実践的なことを勉強します。全員が高等教育を受ける能力が必要なわけじゃないですから。
ただ、やっぱり卒業証書が物を言う社会なので、学校をちゃんとやってないと、職業高校なら職業高校なりにちゃんと卒業してないと、仕事がもらえないって事になって失業してしまう。だからドロップアウトはやっぱり怖い事なんです。やはり郊外の移民とか多い所などは進学率が低いし、高校とか行ってもドロップアウトしてしまう子とかが多くて…という問題はあるんですよね。
北原 中学卒業テスト、「芸術史」の口頭諮問とかありますが、凄く難しい・・・。
中島 でも芸術史は得点源なので割と良い点が貰えるんですよ。そんなに難しくないです。うちの娘も芸術史で儲けました。数学とか出来なくて多分合格点取ってないですよ(笑)
北原 そうなんですか! ヨーロッパに行くと美術館に子供達が一杯いますよね。学校の教育の中で美術館に行くのが組み込まれてるんだなぁって関心するんです。
中島 日本ではやらないんですか?
北原 どうなんでしょう。少なくとも日本の美術館に日常的に子どもたちがいる、という風景に私は馴染みがないです。
中島 ちょっと思いついたんですが、一般教養を、フランスは凄く重要視するんですね。そのことと美術館に連れて行くのともしかしたら関連があるかもしれませんね。さっき言った学校格差というか、学歴の格差みたいなものでもですね、要するに、どうして郊外の移民の子とかが不利になってしまうのかっていうのは、親が勉強を手伝えないということの他、家庭にあまり西洋的な文化がなくて、それこそ家庭で美術館に連れて行ったりクラシック音楽を聴いたりしないっていう事もあるんですよね。そういう事が試験に響いちゃうんですよ。だから日本みたいな試験だと、それはある意味平等というかあんまり響かないんだけど、家庭に文化があるかないかが成績に響いちゃうんです。
そういうところで微妙にセレクションが行われてしまうっていう事をブルデューが「文化資本」と呼んだんですけど。だからフランスではシアンスポ(パリ政治学院)っていうエリート校、政治・経済分野のエリート校があって、その学校は随分前から一種のアファーマティブアクションみたいな、変わった入学のさせ方をするんですね。
そこでは普通の試験もやるんだけど、普通の試験と別枠でZEP(教育優先地域)と呼ばれる恵まれない地域にある学校の成績優秀者を、普通の試験をやったら落っこちてしまう様な成績でも入れるんです。そういう子達を入れて、チューターを付けて育てるんです。その育て方って言うのが面白くて、美術館に行かせるとかオペラを聞かせるとか。つまり、彼らの家庭環境で補われてこなかった教養とか文化とかそういうものを強化して、その子達に身に着けさせるっていうカリキュラムを作るんです。
だから要するにフランスの教育っていうのは、理解力がどうとかそういう事もあるけども、やっぱり文化教養ってところが大きいんです。作文を書く時でも、フランス語の作文でも哲学の作文でも、どれだけその人が持っているものがあるか、本をどれだけ読んでるかとか響いちゃうじゃないですか。だから家がそういう環境だった子とそうでない子で頭の良し悪し同じでも文化が無かった子が損になっちゃう。そういう国なんですよね。
北原 なるほど・・・教養がなくても「エリート」になれますもんね、日本は。
中島 そこがね、フランスと違うんじゃないかって思います。
■ジェンダー教育
北原 『哲学する子どもたち』では触れられていませんでしたが、フランスの性教育はどのように行われているのでしょう。
中島 性教育はね、やっぱり生殖関係に焦点があたっちゃうんじゃないんでしょうか、日本と同じで。でも避妊教育はやりますね。性感染症予防を兼ねて、コンドームの使用が勧められていますし、モーニングアフターピルも学校の保健室でもらえます。1999年以来だから、もう20年近く前からですね。日本では、モーニングアフターピルを手に入れるのに、薬屋さんで買うこともできず、わざわざ医者に行って処方箋を書いてもらわなければならないそうですが、一刻を争うときに無駄なプロセスだと思います。
その点、フランスは、避妊に関しては割とちゃんとやるんですよね。うちの娘が言っていたけど、あのね、彼女の高校では、トイレに行くと、コンドームの自動販売機があるんだって。彼女にしてみれば、ハッキリ言って、トイレに行って欲しいのは生理用ナプキンなんだって。。だからどうしてトイレにコンドームを置くんだよ、生理用ナプキンのほうを置いてほしいよ、って言っていました。
北原 中絶に関してはどうですか?
中島 中絶はできるんですよ。だけど、割と厳しいんですよね。12週までかな。
北原 フランスではピル飲んで人口流産するのが一般的ですね。
中島 そうですよ。妊娠7週目までの初期であれば、薬でできます。いつからか正確には知りませんが、1980年代の終りにはすでに使われていましたね。日本は未だに薬は使わないんですよね?
北原 薬じゃないどころか、吸引ですらない。搔爬です。
中島 その方法では体も傷つけるんですよね。本当に理解できない。
北原 今の時代でも、中高生がトイレで子供を産んで仕方なく殺してしまったことがニュースで報道されます。彼女たちは逮捕されます。保護してケアするべきところ逮捕ですよ。日本、地獄かよ、と思っちゃう。
中島 フランスでもね、時々あります。
北原 逮捕されます?
中島 警察の取り調べの対象にはなります。
北原 ジェンダー教育はどうですか?
中島 ラブピースクラブの連載の記念すべき第一回に書きましたが、男女のステレオタイプを再生産させないように、「平等のABCD」というジェンダー教育をやったりしています。ただ、「教育しなくちゃ」と思うくらいだから、男女格差はフランスにもやっぱりありますよね。給与格差だって、日本に比べたらそれは少ないけど、女性のほうが給与格差があって低いし。それから進路を選ぶ時に、ここにも書いたけれど、文系ってちょっと馬鹿にされてしまっているんですけど、文系にいくのはほとんど女の子なんですね。女の子は全員が文系っていうわけじゃないですよ、理系に行く女の子もいるし、社会経済系にいく子も多いんだけれど、逆に男子はほとんど文系に行かないんですね。私の娘は文系クラスに行っているんですけれども男の子は3人しかいないんです。20人のクラスで男の子は3人だけ。そして、文系を出るとあんまり仕事が良くないって言われているわけじゃないですか。100%そうなわけじゃないですよ。だけどそういう風に女の子は男の子より給料が低い仕事に就くように進路指導され易いです。それは日本よりは程度はずっと低いけど、全く平等な国とは全然言えないです。
よくヨーロッパで比較すると北欧の国とかドイツとかの方が男女平等っていう感じですよね。やっぱりプロテスタント系の国の方がカトリック系の国より男女平等度が高いんですよね。フランスはやっぱりなんていうのかな、伝統的にフェミニンである事がプラスに評価される点があるので、バッサリ平等を目指しにくいのでしょうね。女として得をしているところを捨てきれない。でもチヤホヤしているようでいて対等に扱ってはいなかったりするんです。
北原 性的な存在であっても貶められず、そして女性への眼差しに敬意が含まれているだけで、日本よりもいいな~って思います。笙野頼子さんの「ひょうすべの国」が衝撃的な作品なんですが、女の子が二次元整形して、だけど胸だけど胸だけは超三次元みたいな。そういう整形をする女の子たちが出てくるんです。そういうのが日本にいると「リアル」に感じられる。それが女性差別か、というと女の自由意志ですから、というような切り返しされちゃう現実なので (笑)
中島 笙野頼子さん、すごいですね。
北原 すごいですよね。そういう日本の女の子たちの生きにくさ、フランスのティーンエイジャーにどのくらい共有できるのかなぁ・・・できないだろうなぁ。例えば中高生のアイドルグループ、います? AKBみたいな。
中島 ああいうのはないですよ。
北原 10代で売っておかなきゃ損だよ、みたいな空気はないですよね?(笑)
中島 ないです。
北原 高校生はどんなアルバイトをしているんですか?
中島 ベビーシッターです。
北原 大人の耳ほじりとか、オジサンと散歩とかしないですよね?
中島 一番やってるのはベビーシッターで、次は家庭教師かな。
北原 女子校生を食い物にするような、そういうお商売は無いわけですよね?
中島 だって未成年でしょ?
北原 日本は未成年でも、ガールズバーで働けちゃうんです。
■グローバリゼーションの影響は?
北原 中島さんの原稿読んだりとかしていると、やっぱり全然新しい風が吹いてくるのでなんか全然日本違いすぎて(笑)
中島 私が書くものは何時もそう言われて、なんか参考にならないみたいな(笑)
北原 そんなことないです! 参考にしたいし、希望になります。
中島 「パリの女は生んでいる」の時はなんかね、家の母のお友達とかにね。あんたの娘のさおりさんの本を読んでると子供がフランスに行きたがっちゃってねえ、困るのよ。みたいな(笑)
北原 いいじゃないですか(笑) やっぱり比較することでしか分からない事もあります。子供はフランスで教育をさせたいって思います。というか私自身がフランスで生き直したい。
中島 そう?(笑) 必ずしもそんなにフランスが素晴らしい訳ではないですけどね。
北原 どの国にもそれぞれの問題があるとは思いますが、トランプ観てると、アメリカが理想としていた「自由」というものが行きついた先がこういう世界だったのだなぁと思うんです。新自由主義的上等、俺はきれい事は言わない本音でしゃべる、差別?それがどうした、被害者ぶらず自分で勝ち上がって来いや! みたいな。でもそのような空気は、もうずっと前から日本では馴染みのあるものです。そういう新自由主義の波は、フランスはどうだったんですか?
中島 やっぱりフランスはアメリカに対してはいつも距離があるし、批判力とかがあるし、違うっていうところがあるので、そんなに日本のように追随はしないし、真似もしないですよね。そうは思います。ただ、やっぱりグローバル化の影響を受けて、全体的な傾向としては、やっぱりネオリベラルの方向へいっているわけですよね。今左翼政権であるにも関わらず、引きずられているということはあると思います。
フランスってかなり社会保障が発達しているんですね、ドイツも発達しているけど、ドイツとはまた違った別な形で、とても社会保障が発達していて、10年前くらいには、やっぱり大陸的な社会保障をっていうのをすごくプライドを持って言っていたんですよね。
でも最近本当に言わなくなっちゃったんで、それはなんていうか、負けていく? フランスがどんどんアメリカみたいになっていく、そういう流れなのかもしれませんね。
ただ、それだけ、培ってきたものがあるわけじゃないですか。フランスの社会保障とか、フランスの労働法、労働を守る法律とか・・・。本当に何て言うか、日本では考えられないようなものなので、それがどんどん減らされて、削られていっても、日本から見るとまだまだまだ守られてる。社会保障なんて、この本でも一番最初のところに書いたけど、離婚して、シングルマザーになっちゃって、そしたら移民で良い職につけなくても、フランスにとどまって、何かしら職について頑張った方が日本に帰ってくるよりも子供は育てやすいんじゃないかと思うわけですよ。それだけ、それこそ自国民だけではなくて、移民、外国人も含めて社会保障が発達していますよね、フランスは。教育も無償だから、学校に出すのにもお金はかからないし。だからそういうのを見ていると、だんだんそういう権利が侵食されていっていても、雇用も本当に不安定になってきているし、でもそうであっても日本よりもマシなんじゃないかなと思う。
北原 やはり、フランスに住みたくなってしまいますね・・・
中島 フランスの教育にはそれなりの問題があります。ただ、知性を育てることが疎外されているような日本の中等教育に対して示唆するものは多くあると思います。また経済格差があっても、教育の「機会均等」への努力を怠らないフランスの姿勢は見習った方がいいと思います。この本が、みなさんの参考になればと思います。
<インタビューを終えて> 日本滞在のお忙しい中、ラブピースクラブに寄ってお話して下さいました。中島さおりさん、本当にありがとうございました。インタビューはついつい私の関心のあるジェンダーや性教育、そして今日本の10代の子どもたちが置かれている過酷な環境とフランスの事情を比べたりなどして、色々と飛んでしまいましたが、とにかく中島さんに「教えて下さい! なぜなぜなぜ日本の教育はこうも・・・こうも・・・どうかしちゃってるんでしょう!!!」みたいなことを訴えるように聞きたくなってしまったのです。 というのも、「哲学する子どもたち」、あまりに衝撃的な本だったから。 フランスの「バカロレア」のことやブルデュー「文化資本」のことなど、うっすらと知っているつもりであっても、実際に現場を体験してきた中島さんの目を通した世界には、ページをめくりながら一々唸り考えさせられました。中島さんが仰るようにフランスの教育が「完璧」なわけではない。それでも、フランスがどこに向かおうとしているのか、民主主義とは何か、知性を育て教養を深めるために必要な教育とは、、、といったことを教育現場にいる人たち、また社会全体が、諦めることなく「より良い方向」に向かうために働きかけているのが伝わってくるのです。 翻って・・・「考えないよう」に「批判精神が育たないよう」に・・・そして歴史教育も不十分な日本の中等教育について考えさせられます。10代の女の子たちの「性的魅力」を過剰に評価するような日本社会にいるとなおさら、この社会が「子どもたち」をどのような存在と捉えているのか問われなければいけないのではないかと考えさせられました。 まさに多くの示唆がある、素晴らしい本を世に出してくださった中島さん、ありがとうございます。この本が多くの方の手に届くように! (北原)
【プロフィール】エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了。パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人。
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga