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伝説の「女による女の娘のための女のエロ本」はこんな風に出来た。インタビュー「おちゃっぴー」元編集長大川恵子さん。

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80年代に創刊した伝説の少女雑誌「おちゃっぴー」。覚えている方も多いと思います。
その後の女のセックスに大きな影響を与えたと言われている「おちゃっぴー」は、日本で初めての10代の女の子向けのセックス情報雑誌であり、女が作った女のためのエロを語れる場だったのではないでしょうか。元「おちゃっぴー」編集長の大川恵子さんに、当時のこと、今のこと、女と男のこと、そして、女のセックスとラブについて、ラブピースクラブだけに語って頂きました!

■80~90年代の女の子たちは何を求めていた? 

編集部:「おちゃっぴー」読んでいた読者は主に中学生?

そう。中学、高校生。
「14歳が危ない」って昔から、私、言ってるの(笑)。しょうがないよね、人間の本能だから興味持つよね。
そして、目覚めた時に、どんな受け皿があるかじゃない?
「おちゃっぴー」はまだメールも携帯もなかったから、ほんとに、女の子たちが「字を書いていた」時代。自分で字を書いて、自分の恋愛の悩み、妄想を語ってたんだよね。それが、投稿というかたちで編集部に一ヶ月で段ボール一箱くらい来るわけ。
で、読めば妄想か、本物かはわかるんだけど、なるべく掲載するのは本物を使うようにしていたの。

例えば、友達はこんな恋愛してる……とかの体験談とか、よくきた悩みは、「私はセックスの練習台なの?」という投稿。女の子と男の子の気持ちの差が出てるよね。14歳くらいの時、女の子はキスくらいは気持ちいいけど、セックスが気持ちいいって感じるのは、段階を踏んで、大人になってから。だけど男ってやっぱり違うじゃない?  その辺の悩みがね。「触られると痛い」とか「キスは気持ちいいけどセックスは……」とか。

編集部:段ボール一箱きたという女の子たちからの投稿。みんな、何を語りたかったんですか?

当時は、親はもちろん、当時は友達にも自分のセックスの悩みは話せなかった。誰にもしゃべれないから書いて、送ってくる。
AとかBとかCとかいう隠語でね。自分で「アソコ」をいじってる、やめられないとかとかの悩みも多かった。

みんな、自分のセックスを語ってたよね。
「いったことない」とか。私は、「子どもはいくわけないじゃん!」って言ってたけどね(笑)。
「イクこと」が憧れの一つ、っていう感覚があったんじゃない?
「イクなんて、ほんとにあるのは20代後半だよ」とか話してたけどね。
妊娠の話題もあったよね。カンパ集めるのとか流行ったよね、学校で、先生に知られないように。カンパで病院行きましたとかの手紙もたまに来てたね。

 

■女の子たちが語る「わたしのセックス」

編集部:女の子が性を語っていいんだ、自分の性を語ろうっていう場を作ったのは「おちゃっぴー」が日本で初めてだったのでは? 

ほんと、セックスについてもA、B、C とか言っていた時代だからね(笑)。
言っちゃいけない言葉、親にも言えない、友達とも話さない、という感覚が当時はあったよね。
「オナニー」なんか言うことすらとんでもなかったわけ。それが「おちゃっぴー」ができた28年くらい前のこと。

今の女の子たちは、「まんこ」とか「オナニー」って、普通に話してるよね。ここ(大川さんのお店 新宿ゴールデン街「ビックリバー」)でもそうだし、電車とかでも(笑)。
「おちゃっぴー」の時代は、「まんこ」は「アソコ」だったよね?  ほんと、昔は、女の子が「まんこ」って口にすることは禁句だったな。でも、「おちゃっぴー」後に、少しづつ、女のセックス表現が変わっていった感じはあるよね。時代の変わり目だった。

漫画家がマンガでHな単語や体験を言い始めたりし出したのよ。「私のオナニーは初めは鉄棒から始まった」とかね(笑)。イラストでそういうシーンを明るく描いて頂きましたね。そのうち、なんかみんな、いいんだ、言っても楽しいかもってかんじですかね。ほんと、ここ10年くらい、自由に一般でも言い出したのは。ああ、「イク」は昔から同じだね、表現が。

■大川さんと「おちゃっぴー」

「おちゃっぴー」はサン出版というエロ雑誌をつくってる会社で作ってたの。その時代、女の人でエロ本作ってる人はまだいなかったな。「白夜書房」に一人いて、あと私。その頃、エロ本の中にサブカルもあったじゃない?で、サブカルの人達とも知り合って、今、有名になってる人いっぱいいるけどね。そういう人達を、好きなことして良いですよって引っ張ってきたり。その人たちにも引っ張られたしね、お互い良い影響を与え合ってた時代。

「おちゃっぴー」は私がナンパした女の子とハタチのバイトの子と私と三人で作ってた。ほんとに、好きなことしかやらなかったの。街で取材して、写真撮って。街にいる普通の女の子たちに話を聞いて作ってたからね。
だから田舎の子たちにとっては、ほんとリアルな、読む情報があったんじゃない?
ド素人三人で始めて、11年続いて。時代もエロ出版業界もバブル時代だったな。
今はもう何でもアリアリでエロは全てokじゃないですか。
当時はまだまだ隠されたの部分があって、タブーなエロをちっらと見せてあげる方式でエロ本会社が儲かっていって、会社はエロ本で儲かるってるから、おちゃっぴーのこてなんて見ていないの(笑)。だからあたしたちは好き勝手出来たんですわ。
編集部に女子高生が遊びに来て「絵が上手いの?じゃちょっと描いて描いて!」とか、その場で描かせてそのまま載せちゃのよ。お金かからんしね。
紙面は女の子たちの体験談ばっかだったし、ほんと、リアル。お金もそんなに使えないしね。だから投稿ですよね。

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編集部:「おちゃっぴー」は当時、ホントのリアルな女子高生の声が満載で、だからこそ少女たちからすごい支持を得ていました。読者からの反響の声にはどんなものが?

そうね、ブログもネットもない時代だから、ああゆう雑誌が楽しかったんじゃないかな。
あと、怒りが多かったよね。大人に対してとか学校に対して、自由じゃないとか、そういう声も届いたし、「うんこ自転車に乗せられた」とか(笑)、ほんと、くだらない話題とか。しみじみ、庶民派だったよね。

あとね、ずっと続けてたことがあって。勉強が嫌いな子でも、これくらいは知っておこうよって「こんにちはイングリッシュ」という英語講座の1ページと、山中伊知郎っていう友達がいて、その人に書いてもらった「山中伊知郎の常識講座」という政治の話。
このふたつは、毎号、スッゴク人気なかったの(笑)。でもやめなかった。ずっとやってたな。
今思えば、普通の会社だったらそんなのやめろとかいわれるんでしょうけど。あと広告がほとんど入ってなかったのが強かったね。だから自由にできたね。そういう意味では良い時代だったんでしょうね。

他には、「恋愛上級レッスン」ていうのがあって、これはセックスのテクニックの話なんだよね。「私と彼のHの相性は!」とか「名器ってなんですか」とか。あと、女の子の悩みにちゃんと答えてたよね。「クリトリスが大きいんですが?? いいじゃないの」とかね(笑)。そういう下半身の悩みはよくきてましたよね。

■当時の少女雑誌文化

編集部:「おちゃっぴー」はバリエーションの少なかった少女雑誌の裾野も開きましたよね。

そうですね。当時、「おちゃっぴー」以外にも「ギャルズライフ」「エルティーン」「ポップティーン」というのがあったけどね。それが「読む雑誌」だったの。
おしゃれな「見る雑誌」は「olive」とか「mcシスター」とか、「セブンティーン」だよね。
途中から「セブンティーン」も恋愛のエロネタも始めたり、「プチセブン」とかはかなり後からHな話題も増えてきましたよね。
そういう中では、「おちゃっぴー」は読者が書いて、読んで・・・という典型的な「読む雑誌」だったんだよね。
「ポップティーン」も昔は読ませたんですよ。覚えてるのでは女子刑務所の取材ね。そんなのもやってたの。
「おちゃっぴー」も、エロもやったけど「女の職業や将来のこと」、OLさんのお給料はこのくらいとか、保母さん、当時流行ってたんだけど、スタイリストはこんなに束縛されてるのにこんなしかもらえないとか。そうそう、ネットもない時代だから丁寧に取材してたの、ほんとにやってる人を探してきてね。
今から思うとすごいですよね。こう言う企画わざわざ取り上げるって何?っていうか(笑)。
「プロに聞く」ってコーナーでヤクザのオジサンにも取材したりね(笑)。
それも高校生が聞きに行くから「入れ墨で一番痛い色は何ですか?」とか、今じゃ考えられないほど、バカ!(笑)。

■なぜ「おちゃっぴー」は終わってしまったのか?

「おちゃっぴー」は11年続いたんだけど、90年代に入って、プリクラ、ポケベル、ケータイとか「自分を見せる」手段、簡単に人と「繋がれる」手段が流行り出すでしょう。それと同時に「egg」が出てきたんだよね。ギャルの写真をいっぱい載せた雑誌。
「egg」を皮切りに、ポラロイド、チェキ、プリクラ、ポケベルが流行って、プリクラの写真に文字を書いたり、女の子のメッセージをそのままで掲載するわけよね。それと同時に、渋谷の109ができて女子高生のファッションブーム、メイクブームに突入していくんですよね。

その時、「ポップティーン」がばさーっとファッション雑誌、「見る雑誌」に変わった。「おちゃっぴー」はそれについて行けなかった。ファッション雑誌になったら、作るのにもお金がかかる。そんな予算はなかった。「見る雑誌」を作りながら「読む雑誌」も、できたはず。 時代に、負けたんですね。 それで、廃刊になっていくんです。それが、「おちゃっぴー」の歴史。

97年が最終号なの。
最後の方はそうですね、社会的にも女子高生の援交ということが出てきた。
「おちゃっぴー」の時はまだ「パンツ売れた?」とか、ブルセラ世代。まだちょっとかわいらしかった世代。そもそも、「おちゃっぴー」は援交より、恋愛を応援してたから、なんか、愛とは言わなかったけど、恋愛しよう!そればっか言ってたよね。

■ブルセラ・援交少女たちと「おちゃっぴー」

ブルセラ、「パンツ売ってきた?」とかは「おちゃっぴー」の女の子たちの間でも流行ってた。罪悪感無くやってたんじゃなかな。「イトー◯ーカ堂のとこでパンツぬいだ」とか。しかも3千円。「友達がエンコーしてます」とかいう子は最後の方に来てたけど、本当に援交してる子は雑誌なんか読まないじゃん。言わなかったのかも知れないけど。「おちゃっぴー」には来ていなかった。 

編集部:ブルセラの子たちは何を求めてた?

ただのお金じゃない? 電車賃とか。「こんな私のパンツが売れるんだ」とか自分の女子高生っていう価値を感じてやってた子もいたかもね。ちょっとだけ穿いて売って、って感じだったみたい。生々しくずっと穿いてたものじゃなくてね。女の子たちも、考えてやってたよ。女の子たち側の感覚はオヤジを利用してただけ。買うオヤジをバカじゃない?気持ち悪? ってバカにしてたんだと思うよ。

■「おちゃっぴー」卒業生の女たちの世界

「おちゃっぴー」もエッチの話も結構したけど、今ほど激しくなかったというか。もっと可愛らしかったかなあ。今の女の子のエッチの話聞いてると生々しいから逆に。まあ、いいんだけどね。今、お客さんで来る40代の人とか、語るよね?  みんな、自分の性を。そうか、これ、「おちゃっぴー」世代か。「おちゃっぴー」のせいだよね!(笑)

編集部:結果的に、ある意味、大川さんが目指していた世界というか? 女たちも自分の性を語れるようになった。

そうだよね、よくやった! って私も自分でもよく言ってる(笑)。北原さんも「おちゃっぴー」読んでたって聞いてびっくりした。

50年経ったら、もう生きてないと思うけど、50年、100年後に、ほんと、女の人たち、どうなってるんだろうって見てみたい。私が育った時はまだ「女のくせに」とか「女は本読まなくて良い」とか残ってた。それから比べると今は、まだまだだけど、少しマシになったよね。その前は選挙権も無かったわけだからさ。でも、ほんと、あと100年くらいかかるんじゃないのって思うけどね。

■女が作る女のエロへのバッシング

変な事件が起きると、「この子、おちゃっぴー読んでないだろうな」とかドキドキもしてましたね。ちょっと悪いことを教えてるんじゃないかって気持ちも若干あったから。編集部に、保護者から電話あったり、学校からも怒られてたしね。「どうしてこんなものが世の中にあるんですか!!」とか言われたりね。でも、強烈な嫌がらせはなかったですよ。今ほど人がギスギスはしてなかったと思いますね。今は、互いに目を光らしてる感じがするけど、もっと大らかだったきがしますね大人もね。

北原さんも書いてるけど、「anan」がセックスの話し始める前だったからね、おちゃっぴーは。「anan」とかがセックス特集を始めてから、面白くなくなったていうか。ワタシ的にはねセックスに統計とかあんまり関心なかったからね、みんなの自分のストーリーがあるしね。
今は、「読む雑誌」が無くなった。読んで想像するということ自体がないよね。

■女のセックス、何歳まで?

この前ラブピに行った時、すっごいおしゃれな70代ぐらいの老夫婦が買い物に来ていて。男性も紳士で。いやーあの二人ベットで何してるんだろう、羨ましいなって(笑)。そういう人もいるわけだから、そんな風に年をとれば楽しいじゃないですか。私もこの間、61の時にね、昔の男がやってきて、すごい久しぶりに盛り上がって、やったんですよ。61なんだけどちゃんと濡れたし、全然OKでした(^^)。なんだ、私、全然良いじゃんと思って。むこうは勃たかなかったけど「全然入らないよ」とか言ってましたね(笑)。でも、入らなくても全然気持ちいいの。男も、勃なくても良いのよ。女が喘いでるのみてるだけで気持ちいいんじゃない?半勃ちくらいじゃない?

私は、やりたいって思った時は必ず触るようにしてるんだけど、そろそろオナニーでもするかって感じで、だんだん頻度が少なくなってきてたの。ホルモンの関係か、そんなに頻繁にしなくてもよくなってきた。でも(やりたいって思う日が)来た日は必ずやるようにしてきて、「やろうやろう」ムードを高めたりしてて。でも、すぐ終わる。でも、やると気持ちいいから、ああ、よかったなって。やるとデトックスじゃないけど体から何か出ていく気がするよね。精神的にも良いし。

セックスはこの前のは、何時間もやってられたし、ああ良いなあって再実感したね。でもオチは、男の人が彼氏ヅラしてその後すぐやってきたから、すぐ嫌いになって(笑)! 一年に一回でよかったのにって。この話を友達の男の子にしたら、「男は彼氏面したいのよ、させてあげて!」だって(笑)。私はクールな男が好きなの。基本的に、男に尽くすセックスは好きじゃないから。あたしは男で忙しくて、レズビアンとの出会いはなかったんだけど、ほんと気持ちいいからといわれるけどね。損したかしら?

■日本の男とエロ本

編集部:日本の男、どうですか?

もちろん、いい人も悪い人もキモい人もいるけど(笑)
エロ本作ってた人達は紳士な人ばっかりだったな。エロ本っていろんな意味で教養がないと作れないのよね。エロって誰でもするものだけど、全部言えば良いってもんじゃないでしょ。そのまま語ったり表現しちゃうと露骨もいいところ、お下品、お破廉恥。そのあたりの際どさを面白くエッチに表現するには何かがないとできないんだよね。写真でも文章でも。編集感覚がいるんですよね。

私も年取ってきて、男が汚く思えるというか、ルール、マナーね守ってるのは女の方なんじゃか?とか思うこともある。男から出てくる加齢臭?もそうだし、人前で「げーっ」「ぺー」とかやったりさ。汚いよね。男の崩れ方が激しいというか。電車の中の風景見てても絶対汚いことやってるは男の方。そう、緊張感が無いね男って。しかも、女を馬鹿にしてるやつに限って、緊張感無いね。男の世界だと思ってるんだろうね、世の中を。

オヤジになっていい人もいるけど、飲み屋の仕事して見えてきたのは、ただ、威張ってるだけの男がいっぱいいるんだなって。引退してるのに、お前もう違うんだよって言ってあげたいよね。上目線のおやじさんにはね。北原さんほど男嫌いじゃけどね?(笑)。

 

■今の女の子たちを見て 

編集部:当時の女の子たちは、私を語る、等身大の自己表現を受け止めてくれた場所だから、みんな「おちゃっぴー」に魅了されて、集まってきたんですよね。

「おちゃっぴー」の時は、ネイルとかも無かった。素朴だったよね。メガネかけてるだけで昔はいじめられるみたいな(笑)。今はおしゃれでメガネかけたりできる。夏なのに冬の服着たり、自由。昔は一人一人、そんなこと出来なかったからね。
今は一人一人、おしゃれで自己表現できるよね。

今の女の子たちは、雑誌なら、どこに行ってるんでしょうね。今の少女雑誌、エロ、自分を語ろうってないもんね。今は価値観が、自己表現が細分化されてるから。おしゃれが一人一人全部違う。これをまとめられる雑誌があったらお見事だよね。昔は流行ると、松田聖子、ハマカジだとか80%の人がそこに行ったじゃない。今はまとまらないと思う。価値観が一個一個違う。

そう、一人一人が編集者、編集長、みたいなもんでしょう。ネットで自分で好きなの見て、書いて。カメラもみんな持ってるし「あそのこのが美味しい」とか食べたのも書くしね。

でも、ネット見てると、変な男も多いし。今の女の子たちは変な事件も多いから小学生くらいから気をつけないといけないし、大変。
本当に自由に安全に女が語れる場、無いよね?
やっぱり、ラブピなんじゃないの?(笑)。

■今、大川さんが作りたいエロ本

ネット社会にうんざりしちゃってる。
基本的にあたし、誰かと喋ってたり触れてるのが好き。だから今、飲み屋やってるのかも知れないね。

ただ、50,60代のリアルな面白いエロ本作りたいのはあるよね。おしゃれとセックスの本、無いじゃない。
でも、60くらいになると自分の価値観しか信じない人が多いし、好奇心も衰えてるしね。
セックスの相手もいないし、性欲も衰えてあきらめの境地になるんじゃないの? 日本で60代でセックスしてる人、あんまりいないんじゃないかな。外国だとどうでしょうね。膣鍛えてまでやってそうだけど。偉いよね、ほんと。

編集部:「おちゃっぴー」世代の今の40代は「死ぬまでセックス」いけそうな感じしません?

そうだね、するね(笑)。
ただ、こんな時代が来ると思わなかったくらい、雑誌、ダメじゃないですか、今。紙媒体、買わないよね。ネットで情報がタダで手に入るから。
地道に儲け無しに作ってる人がいれば偉いなと思うよね。編集は一人では出来ないのよね。団体クリエイティブ。ラブピ、面白いよ。北原さんにいつも期待してますよ(笑)

最後に、今日の私の話をまとめると、女はいつまでもできるって話と時代の話(笑)。
ラブピはもっと、もっと、セックスとラブの話してね。あたしが読みたいから!

インタビュー・構成:金涼子

 

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【大川恵子(オオカワ・ケイコ)さんプロフィール】

80年代に創刊した伝説の少女雑誌「おちゃっぴー」元編集長。現在、新宿ゴールデン街で「ビッグリバー」を営む。









【北原ノート】

このそっけないプロフィールを読んでいただければ分かるように、大川さんは、非常に照れやでそっけなく、自分を全く大きく見せようとしない、偉ぶらない、、、で、大きく見せようとし偉ぶる人間への軽蔑や憎しみを隠さない、めっちゃくちゃ面白くてカッコイイ人です。

大川さんと初めてお会いしたのは、大川さんが「アムール」というレディコミの編集をしていた時のこと。何かの話の流れで大川さんが「おちゃっぴー」を創刊した編集長だったと知り、私、ふわーっ! とひっくり返りそうになりました。

人間、長く生きてれば、「あの人がいなければ、今私、ここにいなかったかもしれない」という大切な存在がわかってきますが、正に大川恵子さんは私にとって、そんな人です。

80年代は、AVビデオが家庭で当たり前に見られるようになった時代の始まりでした。共学に通っていた私は、男子のそんなエロ話が小耳に入ってくるような環境でありながら、楽しいエロ話をする仲間は皆無でした。

なにせ80年代、女の子のエロ本が国会で問題になり、「けしからん!」なんてことが言われ、廃刊に追いやられるような事件が起きていた時代です。男のエロは問答無用に解放され、女(の子)のエロは潰され、一方で大人たちは「エイズがやってくる」とパニックになり、セックスワーカーを目の敵にするような言説が溢れてて、いったい私のエロはどこにあるの!!!??? と10代の私が悶々としてた時代。おちゃっぴーが「降りてきた」んでした。「私はここにいるよ~、仲間いるよ~、女のセックス、語りましょう~!」と。

手にするのに、あれほど勇気がいった本は、それまでありませんでした。だって、「おちゃっぴー」・・・ですから。写真で見ておわかりのように、一目で「いかがわしい」です。友だちと回し読みして憧れるように読みふけっていた「OLIVE」とは対極の世界。でも、読みたい、「おちゃっぴー」読みたい・・・だって、そこには「本当のこと」、私が今「必要としている」ことが書いてあるように思ったから。

当時の「おちゃっぴー」を手に汗握りながら、罪悪感にまみれながら、でも読まずにはいられなかった自分を思い出します。当時、私が大川さんに出会えていたら、そして高校生として「おちゃっぴー」に関われるくらい「自由」でいられたら、その10年後に私はラブピースクラブを創っていなかったかもしれない。そしてまた、当時、「おちゃっぴー」に出会った時に喜びを知らなかったら、私はラブピースクラブを創ってなかったかもしれない。「おちゃっぴー」は、私がいかに仲間を求めているか、いかにこの世が女の子の性に寛容でないか、いかに女の子は自由になるべきか、を教えてくれた大切な雑誌でした。

大川さんが「おちゃっぴー」創ってなかったら、ラブピースクラブなかったのだと、私はハッキリと思います。

今、新宿のゴールデン街で「ビッグリバー」(大きい川ですから!)のカウンターの中で、わはは! と大きな声で笑い、客を沸かせる大川さんは、とても照れ屋で、そっけない方。だから、こんな風に持ち上げるのを嫌がると思うんですけれど、大川さんの 「性の話って、楽しいでしょ。自由でしょ。で、そういう話ができなくなるような真面目さって恐いでしょ!」っていう姿に、私はたくさん学んでます。これからも、一緒に、面白いこと、していきたいな。

※このインタビューは2014年に大川恵子さんのバー「ビッグリバー」で行いました。

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