中絶再考 その4「なくそう、アボハラ」
2019.09.19
連載の初めに書いたように、そもそもわたしが中絶問題に取り組もうと考えたのは、自分自身が何年も中絶のトラウマに苦しんだ経験をしているからだ。
20代の半ばに差し掛かった頃のこと。まず原因不明の高熱に見舞われた。その後、長期にわたって低血圧に悩まされた。いくら検査をしても原因がまったく分からない。自律神経失調症と言われて心療内科に通い、ありとあらゆる種類の療法やカウンセリング、心理療法も試してみたが、症状は戻ってくる。
何年も体調がすぐれず、徐々に気力も失せて、結果的に仕事も転々としてしまったものだから、わたしは焦りをつのらせていった。じゅうぶんなキャリアを積んでから子どもを産み、子どもが3歳くらいになったら保育所に預けて仕事に復帰するつもりだった。ところが、あちこちでカウンセリングをした末にだんだん見えてきたのは、20代の初めに受けた中絶と、その後の流産が、わたしの心身に影響しているらしいことだった。
当時は気付いていなかったけれど、心の底に「妊娠すること(そして再び流産すること)」への強い恐怖があったのだと思う。その恐怖と子どもがほしいという願望とのあいだで、わたしは引き裂かれ、自分の理想――今でいうワーク・ライフ・バランスの取れた生き方――を達成できない自分に、つよい焦燥を感じていたのだ。
大学病院に紹介された精神療法家に、思ってもいなかったことを言われて衝撃を受け、激怒し、傷つけられ、治療を続けられなくなったとき、わたしはすっかり混乱していた。どうすれば「わたしらしく」生きることができるのか、わたしは答えを探して女性学やフェミニズムの本を読み漁るようになった。
本連載のテーマから外れるので詳細は置いておくが、端的に言えば、苦しんでいた頃のわたしは、「自分の中絶」には意味がなく、非生産的なできごとでしかないと思っていたし、自分の「選択」が正しかったとも思っていなかった。
転機になったのはフェミニスト・セラピーとの出合いだった。フェミニスト・セラピーを受けることで、わたしの苦しみはゆるゆると和らいでいった。思ってもみなかったほどの短い期間に、わたしは息がつけるようになっていった。あんなに苦しく、しつこかった症状も嘘のように遠のいていった。しかも、セラピストの勧めでCR(コンシャスネス・レイジング)のグループまで立ち上げ、1年もしないうちに、わたしは身をもってシスターフッドを体感することもできたのだ。
わたしはフェミニストであることを自覚し、自分のような苦しみを次の世代の女性たちに二度と味わわせたくないと思った。自分が中絶をしたときにしっかりしたカウンセリングを受けていれば、こんなに長く苦しむことはなかったはずだ。それが中絶問題を研究しようと思った発端だった。
だけど、わたしの心の中にまだ中絶のトラウマが残っていたことを2013年に痛感させられた。タイのバンコックで開かれた「安全でない中絶」の国際会議前のワークショップで自己紹介をする番が来たときに、わたしは「自分の中絶から30年間、ついにここまで来た……」との思いがあふれてきて、自分が中絶経験者であることを涙ながらに「告白」せずにはいられなかったのだ。
たぶん何かしらの「共感」や「理解」を求めていたのだと思う。ところが、参加者の誰もがぽかんとした目つきでわたしを見返してきた。「あなたは何のためにここに来てるの?」とでも言わんばかりの表情で。わたしはびっくりすると同時に、「ああ、そうか……」と自分の勘違いに気が付いた。
そのワークショップは、「中絶を支持するカトリック」の信者グループが開いたもので、従来の中絶に関する価値観を見直し、科学的事実を学び、現実に照らして対応を考え、理想的な中絶に関する法律を作ってみよう!という場だった。従来の「中絶のスティグマ」や「中絶に対する罪悪感」をまさに克服しようという人たちの集まりだったのだから、克服すべき感情にずぶずぶに染まっている参加者に驚きの目を向けたのも当然だ……と、後になってがてんがいった。そこまで理解していなかった自分を恥じるのと同時に、自分がどれほど「中絶のスティグマ」に染まっていたかに気づいて、ショックでもあった。
国際会議のセッションを重ねていくうちに、過去の中絶への感傷など参加者の誰も関心をもってはいないということをわたしは痛感させられた。それまでにも、「中絶の心理」について学術的にどのような結論が出されているかは知っているつもりだったが、それを改めて理解し直すことになった。たとえば次のような認識が世界では共有されている:
★中絶することを拒否された女性は、中絶を受けた女性よりも不安が高く、人生への満足度や自尊心が低い。
★望まない妊娠と個人間の暴力(DVや児童虐待)とは強い相関関係がある。
★女性がいつ子どもを産むかおよび子どもを持つかどうかを自己コントロールできることは、その女性の社会経済的立場や収入を得る力と大いに関連している。
★望まない妊娠を経験することは、後の人生におけるメンタルヘルスの悪化と強い相関関係がある。
★中絶を受けたアメリカの女性のあいだに、何らかの精神的な問題が広く見られることを示す証拠はまったくない。ただし、そうした女性たちのなかに、悲しみ、嘆き、喪失の感覚を抱く人々もいるし、鬱や不安症などの精神症を患う人々もいるのは確かだ。
★女性たちの中絶の経験は、彼女たちに身近な社会の宗教的、スピリチャルな、道徳的に抱いている信念がどう働くかによって変わりうる。たとえば、信仰上の理由で中絶に反対する宗教グループに属する女性は、中絶をすることでより葛藤を抱きやすくなる。
そうした認識に照らして、わたし自身はどうなのか。100年以上も堕胎罪が存在する国で、合法的な中絶でさえもタブー視され、劣悪な中絶ケアが横行し、中絶を選んだ女性の苦しみは自業自得とされている社会で、わたしは自責と自己否定にずっと向き合ってきた。そして問題の根に気づきつつある……なのに、ここにきてなぜ海外の人々の共感や理解や同情を必要としているのか……。
ほかの参加者と、「中絶は当たり前のこと、必要なもの」という認識を共有できていなかった自分に気が付いた。それが日本社会の現実なのだと、改めて突きつけられた気がした。
社会や文化のありかたが、中絶を受けた女性に多大なスティグマを負わせているのだと、改めて思った。わたし自身を含み、スティグマにまみれた中絶のイメージが社会にあふれている日本の女性たちは、あまりにも不当に「中絶の苦しみ」を味わわされている。今もどこかで苦しんでいる人がいる。どうにかしなければならない……バンコックでのショック以来、そんな思いをずっと抱え続けてきた。
この週末、ようやく第3回目を迎えた避妊と中絶ケアに関する勉強会の後で残った人たちと話しているときに、ライターのまつばらけいさんが「日本は“中絶ハラスメント”というべき状況があるね」と言った。それを受けて、「アボハラだね」とだれかが言った。ああ、まさにそれだと、わたしも思った。
日本には「アボハラ」が満ちあふれている。そもそも中絶を受けたくてもためらわれてしまうのは、中絶が罪悪視され、あたりまえのものでなくされているためである。勇気を振り絞って中絶を受けようとしても、医療者にしばしばぞんざいに扱われ、インフォームド・コンセントなんてみじんもなく、なんの相談もなく一方的に期日や方式を決められ、言いなりの高い料金を必死の思いでようやく自費で払ったというのに、「中絶患者なんて、この程度の扱いでいい」と言わんばかりのひどい扱いを受け、痛い思いをし、痛くても不快でも文句を言えず、ときに手術日をずっと先に設定されて何日も何日も苦しみながら泣き暮らし、誰にも相談できず、体験を共有できる場もなく、「経験者」と知られないようにひっそりと息をひそめて暮し、罪悪感を覚え、後悔と自責と自己否定の日々を送り、こころもからだも傷つけられた女性たち――は、まさにアボハラの被害者である。そして、アボハラを生き抜いた女性たちは、サバイバーなのだ!
わたしは怒っている。こんなことが続いていいわけはない。まず、中絶を必要とするような性的関係を予防する取り組みが不可欠だし、あやういセックスがあったら早めに対処できる手立てが必要だし、もし中絶が必要になったら、ためらうことなく速やかにアクセスできるような環境が必要だ。
産む産まない、いつ産むかを決めるのは、女性自身であるべきだ。だって、妊娠・出産は彼女の人生に莫大な影響を及ぼすのだから。他のだれかが勝手に決めて、責任を押し付ける構造はなくすべきである。
日本社会のアボハラの根は深く、いくつもの問題がこんがらがっていて、どこから手をつけていいのか分からない状態だ。
それでも、地道にひとつひとつ、問題をときほぐしていかなければならないと思う。孕む性には、自分の孕みをどうするのかの選択肢を与えなければならない。そうでなければ、孕む性は自分が生まれた性の呪縛から逃れられず、「人間」にはなれないだろう。
【イベントのお知らせ】
国際セーフアボーションデー記念トークイベント
なくそう、アボハラ #なんでないのアボーションピル#なんであるの堕胎罪
9月28日は国際セーフアボーションデイ。中絶した女性への偏見やスティグマを過去のものにし、人権としての安全な中絶を求める日です。この前日の27日に、セーフアボーションデーへの連帯と、日本での安全な中絶を求め、堕胎罪撤廃を目指す声を表明します。
またビデオメッセージとして、オーストリアの「避妊と中絶博物館」のSusanne Krejsa MacManus氏、「なんでないのプロジェクト」福田和子さん(スウェーデン留学中)が参加します。からのビデオメッセージがあります。避妊と中絶の歴史は、人類の歴史、女性の身体を巡る歴史です。この博物館の目的などを皆さんでシェアしましょう。
作家・女性のラブグッズストア「ラブピースクラブ」代表の北原みのりが司会を務めます。
9月28日の国際的な日にあわせ(イベント自体は前日ですが)日本でも何かしたいという急遽決まった会です。イベント開催まで一週間しかありませんが、ぜひお集まり下さい。
twitter@abohara0928