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8月、人生初の訪朝の機会があった。日朝の女性たち、市民どうしの友好を願う女性訪朝団に参加したのだ(故清水澄子議員が提唱し、両国の女性による友好関係を長年にわたり築いてきた。今回、清水先生の遺志を継いだジャーナリストの坂本洋子さん等が企画して下さった)。平壌、開城、板門店を巡りながら女性労働者や戦争被害者と語り合う機会にも恵まれた。
平壌でお会いした被爆者二世の女性のお話を記しておきたい。彼女の父親は1944年9月26日に徴用され、長崎で被爆した。

父親が徴用される前日遅くに、その土地の班長のような立ち場の人から「明日は外に出かけないように」と連絡があった。徴用されるのだということは分かった。早朝、母(父親にとっての)が朝食を用意していると、日本人が玄関に立っていた。せめて息子にご飯を食べさせてくれ、と懇願しても男たちは息子をひきずるように連れて行った。あわてて葉っぱにご飯を包み息子を追いかけたが、息子は既にトラックの荷台に乗せられていた。荷台にいる息子にご飯を手渡そうとしたら日本人にはらわれて、ご飯が地面にべしゃっと落ちた。

その後、父親は日本の水力発電で強制労働させられていたが、あまりの過酷な環境に友人たちと逃げ出し、逃げた先の長崎で被爆した。解体作業現場で原爆の光を受け、無我夢中で山に逃げた。気がついたら服は全て燃えていて裸だったという。そのとき、被爆した人の回復に林檎が良いと配られていたが、朝鮮人の彼には誰も林檎を渡さなかったという。父を救ったのは同じ朝鮮人の知人だった。一緒に逃げた友人たちは、皆死んだ。

敗戦後、父親は故郷に帰ってきたが52才で肺がんで亡くなるまで生涯、口内の吹き出物に悩まされつづけた。娘である女性は、今でも林檎をみると、父親が味わった壮絶な苦しみと、そして朝鮮人への差別を思い苦しくなると言って泣いた。

父親が徴用された1944年9月26日は、朝鮮人に対して国民徴用令が既に敷かれていた後だ。それは合法的な徴用だったと政府は言っている。そしてそれ以前の朝鮮人の労働は、企業の募集に応じた自由意志によるものだったということを安倍総理は言っている。

被爆二世の女性の話でもわかるように徴用令以降も残酷な強制連行であり、過酷な強制労働だった。そしてもうその時期には、何年にもわたる「募集」という名の強制連行や、死と隣り合わせの過酷な労働の話は、十分朝鮮半島に広まっていた。連れて行かれたら最後、もう会えないかもしれない。そのような恐怖と絶望の中、お母さんはおにぎりを抱えて走ったのだろう。“日本人と同じ”徴用令など敷かずとも、圧倒的な支配力で動員できる状態が日本の植民地支配だった。

朝鮮民主主義人民共和国とは国交回復もしていない。賠償の話などできる状況にもない。人生を破壊された人たちの傷みの記憶は癒えないまま、日本に届かないまま、そこに生き続けている。この事実に、私たちはどのように向き合うべきなんだろう。韓国政府をバカにして、韓国国民の感情を踏みにじり、日本の侵略戦争で犠牲になった人々の言葉を無視し、過去に全く向き合わない私たちは、いったいどこへ向かおうとしているのか。

徴用工問題は終わっていない。どころか、正式に始まったのだと思う。韓国の民主主義の蜂起によって、国民主権の強い民主主義を自らの力で築いた国によって。
よく言われていることだが、日本政府自身が個人の請求権は消滅していない立ち場を取っている。そして何より、植民地支配そのものが、当時の国際法上でいっても人道に対する罪、不法性が強いものであった。にもかかわらず、植民地支配は当時は合法なのだしー、あれは対等な「併合」なのだしー、という立ち場を貫いてきた日本政府は、そもそも韓国に「賠償」をしたことなど一度もない。

9月1日、希望のたね基金主催の学習会で一橋大学の加藤圭木さんが、日本の近現代史からみる徴用工問題について丁寧に講義をして下さった。この問題は1930年代にはじまったものではなく、そもそも日清戦争は朝鮮半島を舞台とする朝鮮侵略戦争でもあったことを忘れてはいけないという指摘は重要だった。その時代から日本は朝鮮人を強制徴発し、監視下で働かせてきた。日本の近代の発展の背後に、朝鮮半島への徹底的な収奪がある。
日清戦争、日露戦争。戦争の名前から「朝鮮」が消えていることも含めて、私たちが学校で学べなかった朝鮮半島における日本の近代史を丁寧に紐解き、向き合うことでしか、徴用工問題は理解できないだろう。

これは被害者がいる問題であること。
人生を壊され、痛みつけられた、無数の人々の声の問題。
そのことが見えなくなってしまっている日本の空気の問題。
落ちるのはあっという間だった。時間をかけて取り戻さなければいけないものがきっとたくさんあるのだと思う。

平壌は空が高かった。東京のような湿度はないけれど強い日射しで、毎日30度を超える夏だった。多くの女性が色とりどりの刺繍が施された日傘をさして歩いていた。
私たちが忘れてきた過去が、ここでどのように「育ってきている」のか、「生きている」のか。そのようなことを考えながら、分断されたこの国の人々と出会いたい。

川沿いの柳が雄大で美しかった!  休みの日は引退したオジサンたちが川辺で釣りを楽しんでいた。(@平壌2019.8)

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北原みのり

北原みのり

ラブピースクラブ代表
1996年、日本で初めてフェミニストが経営する女性向けのプレジャートイショップ「ラブピースクラブ」を始める。2021年シスターフッド出版社アジュマブックス設立。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社)・「メロスのようには走らない」(KKベストセラーズ)・「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)・「毒婦」(朝日新聞出版)・佐藤優氏との対談「性と国家」(河出書房新社)・香山リカ氏との対談「フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか」(イーストプレス社)など。

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