今回も韓流ではあるのだが邦画二本である。どちらの作品もミニシアター、シネマート新宿・シネマート心斎橋で封切り公開されるような低予算作品である。筆者は日本で劇場映画が企画制作される仕組みは知らない。東宝や松竹、電通や博報堂・民法キーTV局が手掛ける高予算企画は制度としてまだ想像に難くない。だが完全独立プロダクション自主制作アートフィルムでもなく、娯楽映画でかつ中小制作会社というのは素人にはもう想像不能だ。
子ども時代を過ごしたバブル期は邦画も多産だった。税対策かあらゆる企業が文化事業に出資し、粗製乱造の中に稀に佳作も生まれた環境を覚えている。例えば文学賞を受賞した新人小説家が自らメガホンを取る企画に、タイアップCMや主題歌ビジネス等、過剰なまでの話題作りに事欠かない時代だった。現在の堅実な若手作家たちもきっと、定年間際の編集者から出版界のバブル体験を聴くたびに別の業種のように感じているかもしれない。
翻っていざなみ景気超え、未曾有の大企業内部留保とは机上で報道されるだけで、クリエイティブコンテンツ恐慌久しい現在である。大手映画会社では画一的に、高校生恋愛ものの企画が圧倒的に強いと聴く。じゃあ今回の二作品のような個人的に楽しかった小品は、一体どういった経緯で誰が誰に企画発案して撮影から配給まで実現するのか。確実に困難があったとは察するが、実際のところは全く想像できないのが多少歯がゆい。きっと舞台裏で尽力に走り回った大人がいるはずだ。自分としてはただ有り難く、劇場の快適なシートから出来上がった作品の一瞬一瞬を味わうだけだ。
一方で韓国映画がますます元気なのは、もう韓流ファンのレベルを超えた一般常識だろう。「タクシー運転手」「新感染」「弁護人」と娯楽性・社会性・作品性三拍子揃った頼もしい快作群が今も次々と観客動員数記録を塗り替えている。「天国と地獄」のような黒澤映画が製作されていた時代は似た雰囲気だっただろうか。
そうした大作規模の作品ではもちろんないが、目下多様な作品が生まれにくい構造下の邦画界で、TSUTAYAでレンタルも待たずに、外国と比較したら法外に高額なチケットを自腹で買って、結果忘れ難い鑑賞体験となった目立たない劇場映画もこのコラムで伝えていきたい。
「薔薇とチューリップ(2019)」は思いがけず楽しかった。韓国映画と違って、低予算邦画は登場人物も少ない室内シーンが中心となる。なのでいくら製作陣・キャストが有能でも、地味でそれほど楽しく仕上がらない作品も、多数存在する。今回はどこが違ったのか。それは(当たり前のようだがやはり)新奇性と普遍性兼ね備えたキャラクターとプロットの強さのお蔭だった。
ネタバレしない程度に紹介すると、男性キャラクターに「チューリップ」と「薔薇」が効果的に刻まれていて、物語の経過と共に観客の目が開かされて行く。コメディーであると同時に観客にとっての成長物語になっているところに感心した。ロケ地の熱海も曇天気味でリアルな情緒をたたえて、パッと見是枝映画のように大スクリーンでの鑑賞に彩りを添えていた。
他方で原案の東村アキコという人の直近のインタビューでのアウトさ加減に驚かされた点も伝えておきたい。言葉尻を捕らえるつもりは無いが、「女の子だけで赤提灯行くから男女平等」は賃金格差を無視しているし、「(#MeToo運動は)もう少し緩んでいい」は自分の娘が同じ目に遭って、他国と比較して突きつけられたらどう感じるだろうか。「男性に対して少し攻撃的になりすぎている」も全くお門違いで、少なくとも自分の攻撃対象は性差別に対してだ。
大成功を収めた漫画家に再教育の余地はあるのだろうか。映画自体が、「海月姫」や「タラレバ娘」のような東村ワールドを感じさせるストーリーでなかったのがせめてもの救いだった。(その上で個人的には、原作では主人公の二人が似て見えないのも大問題だと思った。)
さて対照的に「忘れ雪(2015)」は現在鑑賞不可能ではないだろうか。薬物所持違反で有罪となった高知東生が出演していたからである。原作は実は宝塚歌劇団で舞台化されたこともある、男性作家によるヒット商業小説である。主人公で高知東生の息子役を、筆者が韓流に目覚めて以来一途に推してきた推しメン、2PMのチャンソンが演じている。邦画だが監督のハン・サンヒは韓国で活動する映画監督だ。
この企画の制作経緯もまた謎だが、極端に少ない撮影日数の早撮りに関わらず、大変きめ細やかに作り込まれていたのが印象深かった。悲しみの感情のトーンが中心となるストーリー展開だが一本調子にならず、画面上の感情表現のグラデーションが陰影とともに伝わりやすく胸を打った。原作通りの悲劇的な結末は、なぜか画面の上では唐突に感じられて予算規模の限界を思い出させた。しかし紋切り型の物語が気にならないくらい、ラストに至るまでの演出の機微に満足感があって、得心して劇場を出た感覚を今も思い出す。
ジュノもチャンソンも本国では「演技ドル」として(ドラマや映画でも活躍するアイドル歌手のこと)、俳優としての受賞経験も複数あり、年上の2PM同僚メンバー兵役中にもっと痛快で楽しみやすい作品に多数出演済みだ。その二人が、決して恵まれたシステム下にない邦画制作の現場をいろいろな運命に恵まれて与えられ、邦画としては小品ながら佳作を生み出すのに貢献していたこと自体に価値を感じている。
ハン・サンヒ監督だけでなく邦画「ゲノムハザード」のキム・ソンス監督等、日本でメガホンを取った韓国人監督は数は少ないが存在する。また「哭声/コクソン」の國村隼のように、見る側としては両国スタッフ・キャストの相互乗り入れがもっともっと増えてくれると益々楽しい。今回取り上げた二作品は、同時期にレイシスト・ヘイターたちで賑わったメディアとは無関係に、韓日両国の優れた職人たちが製作レベルでは黙々とより良い作品づくりのために熱くコラボした、そのプロセスが残されている嬉しい邦画でもあるのだから。
今日のミニシアター: シネマート新宿