この時期になると気になるのが、関東エリアの痴漢撲滅キャンペーン。これまでは、毎年少しずつテイストの違う図柄のポスターが話題になっていた。さて、今年はどんなポスターがくるのか、と思っていたら。
なんと! 文字だけ。絵、ナシ! ある意味、新鮮である。
知らない人だけど、
知らないふりはしない。
「どうしました?」「大丈夫ですか?」
その一言で、その勇気で、救われる方がいます。
みんなの勇気と声で痴漢撲滅
駅や車内で痴漢被害にあわれた方は、駅係員、車掌、警備員または警察官までお知らせ下さい。
痴漢・盗撮は犯罪です。
痴漢撲滅には、周囲の協力が不可欠です。
隣の人の様子がおかしかったら、痴漢被害にあってるのかも、と思って、声をかけてあげてね。そうすれば、加害者は痴漢行為をやめるだろうし、被害者はその時点で被害から逃れられる。
言いたいことはわかる。わかるんだけど、なんだろ、このもやもや感。
この文言だけ見れば、電車の中で気分が悪くなって顔色が悪い女子高生に、「大丈夫?」「座る?」「次の駅で降りて救急車呼ぶ?」ってきいているみたいでもある。もちろん、そういうこともあるだろうし、そういう気づかいも大事だからいいといえばいいんだけど。
犯罪というよりは、ちょっと体調が悪くなったとか、何かトラブルがあったくらいの感じで、書かれている。
犯罪だと構えると、証拠だとか、現行犯逮捕になるのかだとかを、考えすぎて声をかけにくいかもしれない。目撃者として警察に行くことになったら、会社に遅れるとか考えて声をかけること自体をあきらめてしまうかもしれない。「冤罪ガー」の声も聞こえてきそうで、躊躇してしまう。
でもね、「大丈夫?」その一言でいいんですよ。気にかけてあげましょう、声をかけてあげましょう、そこから始めましょう、それでも十分なんですよ。
それで「救われる」人はいるのだろうし、そういう声のかけ方で、痴漢行為が止められたり、痴漢が逃げていけば、それはそれでOKだ。
なのに、なんだろ、すごくもやもやする。
……あの、加害者はどこにいますか?
昨年までの撲滅キャンペーンコピーも、「みんなの勇気と声で痴漢撲滅」だから、主旨は変わっていない。でも、昨年は、直接には描かれていないけれど、登場人物に「許さない」「通報した」と語らせて、加害者がそこにいることが暗示されていた。今年は違う。加害者の姿が見えない。暗示すらされていない。
最近の痴漢撲滅キャンペーンは、女子高生たちを集めて、彼女らに、「痴漢は犯罪です」「痴漢は許さない」と言わせるものが多い。今年もあちこちで、そういうキャンペーンが行われているのを、新聞やニュースサイトで見た。
被害者になり得る人たちに、なんで矢面に立たせるの? 許さないと言わせるの? ひどいものになると、顔がバッチリ写った制服姿の写真が掲載されていたり、フルネームや学校名、学年まで書かれているものもある。それ、個人情報、だよね。しかも未成年の。
守ってあげなきゃいけないのは、そういうところじゃないの。
「どうしました?」とか、言ってる場合じゃない。
痴漢という性暴力「加害」をやめさせるのに、その一番の対象になる少女たちを、街頭に立たせるなんて。
ここしばらく、日本のメディア、特に男性を対象にしたメディアが、痴漢をどんなふうに描いていたのかを調べていたからよくわかるのだけど、以前は、痴漢は通勤電車のお楽しみくらいに考えられていたんだよ。触られている女も楽しんでいるんだし、痴漢されなくなったら女として終わりでしょ、っていう言い方も普通にされていた。
有名人が痴漢体験を語ってもおとがめなしだったし(もちろん、痴漢する側のね)、女性アイドルに痴漢被害経験をねちねち聞くのはインタビューのお約束だった。
女子学生の乗客が多い路線が学校名入りで紹介されていたり(中には、女子高生にまみれてみた系のレポートもあった!)、痴漢をしてもどこまでだったら偶然を装えるのか、通報されないラインはどこかの調査があったり、痴漢常習者のテクニックを紹介するページがあったり。痴漢が多いと言われている電車に女性記者を乗車させて、痴漢被害レポートをさせる、なんていう企画も多かった。盗撮写真の投稿雑誌が売れ、男性たちは痴漢体験談をせっせと投稿していた。
痴漢冤罪が社会問題になるまで、男性メディアはそんな感じだったのだ。
女性が、それは性暴力だと訴えても、痴漢は犯罪だと言っても、男性たちは変わらなかった。
変わったのは、「痴漢冤罪被害」が問題にされてからだ。
男の問題になると、動く。「痴漢は犯罪です」のコピーが出始めた頃、意図されていたのは、被害者から加害者へ、すり替えられていた問題の責任を突き返す、ということだった。
ひるがえって、いまはどうだろう。
痴漢「加害」が問題にされているだろうか。