30代の自分が見てもこの映画から放たれる原初的なエネルギーにはしびれたが、それならなおのこと、できれば主人公たちと同じティーンのときに出会っていたかった……!
そう思わずにいられない、NYのガールズスケーターのリアルを色鮮やかに切り取った「スケート・キッチン」。
日本の青春ムービーといえば学校を舞台にしたものがほとんどだが、こちらはNYのストリートが舞台。ティーンの世界は決して学校だけに限定されたものではなく、その外にも、無限に広がっている。
ストーリーは、内気なカミーユがInstagramを通じて「スケート・キッチン」と呼ばれるガールズスケートクルーと出会い、スケートパークやストリートに集まって共に技を磨き、友情を経験していく群像劇。
彼女たちがスラング混じりに織りなす多感で開けっぴろげな会話や、個性を彩るファッション、刺激的で気だるい日常、スケートに向き合う姿がクールでたまらない。
ニューヨークの街中で、大人たちや男たちから眉をひそめられることなど意にも介さず、我が物顔で所狭しと駆け巡る。
ガールズパワー炸裂、誰も彼女たちを止めることなどできないという勢いなのである。
街を走るトラックにつかまって滑り、時には同じスケートパークに集う少年たちとケンカをし、警備員に叱らても逃げ足早く、仲間の部屋でマリファナを回す。
一般には悪ガキと言われるような彼女たちだが、映画で不良少女を描く際にありがちな退廃や感傷がなく、カラッと湿度軽めでポジティブなのもいい。
大人たちの敷くルールや既成観念に収まりきらず、どうしたってはみ出てしまう10代特有の溢れるパワーと連帯に満ちている。
「女の友情はハムより薄い」なんて言われたりするが、彼女たちのように根本的に信頼を置いて助け合うような友情に男女の差がないわけで、いやむしろ、彼女たちのようにアツく誠実な女の友情の方が多くの女性の実体験に近いところだと叫びたくなる。
そう、映画ではスケートを通じて、成長期を迎えそれぞれ揺らぎながら培われていく友情がしっかり描かれている。
登場するのは、ニューヨークに実在する少女だけのスケータークルー「スケート・キッチン」のメンバー本人。
実在するクルーのメンバーであり、実際に友人同士の彼女たちが、自分に近いキャラクターをそれぞれ演じるノンフィクションの要素も多分に含んだ作品だ。
クルー名「スケート・キッチン」の由来は、カミーユを演じるレイチェルがネット上に投稿したスケート動画に「女は台所で料理でもしてろ」という、男子スケーターから多く寄せられた誹謗を逆手に取ったもの。
カウンターカルチャーのスピリットを持つスケートボードの世界においても、ジェンダーについては非常に保守的でマッチョであり、そこに共に集まり声を上げた彼女たちに賞賛が集まった、ということらしい。
自分も、ヒップホップ、パンク、ハードコア、そして、スケートボードとカウンターカルチャーには惹かれるのだが、「女はわかってない」と見下げられる居心地の悪さは少なからず経験したことがある。
私のようなチョロっと見るだけ聞くだけの受け手であってもそうなのだから、これがプレイヤーなら一層のことだろうと想像に難くない。
そんな逆風の中でもスケートボードに情熱を燃やし、奮闘する彼女たちのアティチュードにはよくぞやった! Bigup!
映画を観て、私も高校生だった頃、学校の中庭にランプ(スケボーの技を決めるための曲線の台)を陣取り楽しげに遊ぶ同年代の男子高生スケーターたちを見てうらやましくも、そこに突っ込んでいって挑戦する勇気を持てなかったことを思い出した。
どうやらその時のくすぶりが数年に一度の周期でぶり返すようで、大人になってからも何度かスケボーにトライしては、挫折する、をくり返している。
映画を見終わり「20年前にこの映画に出会っていれば……」とアナザーストーリーを夢想したが、そういえばつい最近地元で、両手いっぱいスーパーの白い買い物袋ぶら下げたシニア世代の女性が街をスケボーで乗りこなす姿を目撃し、えらくブチ上がったことがあった。
そうだ、何かをはじめるのに遅過ぎるなんてことはないはず。
アスファルトを滑るウィールの音、手足の無数の傷やアザ、他人目を気にせず自分の好きなものに夢中になる姿、瞬間瞬間全てのシーンがみずみずしい「スケート・キッチン」。
きっと彼女たちはいくつになっても、どこにいても、これが私のやり方だと自分の道を滑り続けるのだろう。
映画「スケート・キッチン」オフィシャルサイトはこちら。
http://skatekitchen.jp/
映画「スケート・キッチン」上映劇場情報はこちら。
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=jftqi0VP