二次会が終わり、式場スタッフに見送られてタクシーに乗り込んだ時には夜11時を回っていた。
そんなことをするような人たちには見えなかったのだけれど、今日一日共に過ごしたスタッフたちは一列に並び、万歳三唱で私と山田仕郎を送り出した。
西麻布の路地裏に響く「ばんざーい」の声からは、「何事も起こらずにすんでよかった、ばんざーい」「新郎新婦が喧嘩にならずにすんでよかった、ばんざーい」という幻聴が聞こえた。けれど、会場の明かりに顔の左半分を照らされたスタッフさんたちの表情は晴れやかで、本当に祝福しているようにも見えた。
結婚式はひとつの経済活動で、確かに私が商品代金の約半分を出して購入したパッケージ商品で、でも、確かに今日一日一緒に頑張りましたよねぇ、私たち。そう思いながらタクシーの中からスタッフさんたちに手を振った。血液型A型と判明したプランナーさんは涙を流していて、そりゃ涙も出るよな、と思った。
結婚式における山田仕郎は、へっぽこだった。5段階評価で1・5くらいのポンコツだった。
まず、誓いのキスができなかった。
それから、皆の注目が集まった状態でマイクを向けられると、単語でしか喋れない呪いにかかっていた。
文章を構築する能力が一切失われてしまったみたいだった。
そんな様子だったので、披露宴の最後の新郎のスピーチさえも、要約すると「こんにちは、ありがとう」程度の内容で、ゲスト全員に戸惑いが広がったのが隣で見ていてよくわかった。
誓いのキスに関しては二次会で挽回のチャンスが与えられたのだけれど、それでも駄目だった。
「では、披露宴に参加できなかったゲストの皆さんのために、誓いのキスだけでももう一度お願いしましょうか!」
と振ってくれた司会の発言が聞こえなかったかのように、山田仕郎は微動だにせず、私は山田仕郎のマイクを奪って、「新郎はシャイなので、モザイクかけま~す!」と直前に渡された大きな花束で山田仕郎の顔を隠した。
私がススッと頬を寄せれば、頬に何の感触もないがキスシーンOKである。
なお、司会は本来の予定では山田仕郎の友人が担当するはずだったが、当日連絡がつかず、会場にも現れず、二次会の計画を立ててくれた私の友人がやってくれた。
この件に関しては、まぁ山田仕郎に直接の非があるわけではなかったが、代打の私の友人の前で「わ、私は何も悪くないです! 何ですか? 私は悪くないです!」とキレ出したのは、正直いただけない。
取り乱す山田仕郎をプランナーさんが連れ出し、私は困惑した笑顔を浮かべる友人に「新郎は取り乱しておりまして」と見たままの説明をした。
「マジな話、どうしようか? 進行は頭に入ってるから、私が司会やろうか?」
わりと真剣な提案だったが、友人は笑って「お前ならできそうだけど、いいよ、こっちでやるから」と言ってくれた。
いっさいにおいて、新郎は役に立たないのであった。
5段階中評価1・5の内訳は、「自分の分のお金は出したところ」で1ポイント、「帰らなかったから」で0・5ポイントだ。
ただしこの点数は加点方式の場合であって、減点方式だったらマイナス億満点である。
港区のキラキラとした夜をタクシーの窓から眺めながら、隣に座ったまま沈黙しているマイナス億満点の山田仕郎と今から一泊するんだな、と思うといったいどうなっちゃうんだろう、というところまでしか頭が回らず、その先は何も考えられなかった。
でも、私も山田仕郎もしらふではない。適度にお酒が入っている。
さらに、会場で最後にすませた披露宴の精算で数百万円のカードを切っていたので、気分が高揚していた。
大きな買い物をした後は気分がいい。
チェックインをすませて部屋に入った瞬間も、何もなかった。
「スイートルームだ!」と続き部屋ではしゃいでみても、山田仕郎は黙々と荷物を解体し、パンツとパジャマとお風呂セットを取り出していた。
「お風呂がガラスだよ! 一緒に入ろうか」と笑顔で誘ってみても「風呂はリラックスする場所なので」と言われ、一人で浴室に消えて行った。
ダブルベッドに一人で座っていると、室内が静かすぎて空調の音しか聞こえなかった。そのままじっとしていると、バスルームのほうから山田仕郎が何かを大理石の床に落とした音が聞こえ、「ガアアアッ」という汚らしいうがい音の後、不規則にシャワー音が聞こえたり止まったりした。たぶんお湯の温度が上手く調整できないのだろう。
「お風呂のお湯、ためるね!」という誘い方もできたな、と一瞬思ったが、今となってはあとの祭りだったし、それが成功したかどうかも怪しいものだった。
後に何度もこの時のことを思い出し、自分を殴り飛ばしたくなるのだけれど、その瞬間の自分は、「今晩は絶対に山田仕郎とのセックスがある」と信じていたのだった。
パジャマの上着をズボンにしっかりとインした状態でベッドルームに現れた山田仕郎は、ダブルベッドの端に座った私のほうには近寄ろうとしなかった。
ハイウエストの着こなしで室内をウロウロと歩き回る山田仕郎をしばらく眺めた後、私もバスルームに移動し、粛々とお風呂に入り、全身念入りに洗った。そうして身支度を整えて、ホテルのバスローブでベッドルームに戻った。
山田仕郎はダブルベッドの右側に入って枕を尻で押し潰して座り、テレビを見ていた。CMは斎場の宣伝で、少なくとも今この瞬間の山田仕郎にはそこまで重要な情報でもなさそうだったが、株価チャートを眺めるデイトレーダーのような真剣な表情でテレビを見つめていた。寝室に現れた私、という情報を遮断しようとしているようにも見えた。