モテの連載も2回目。私は早くも迷っていた。
というのも、モテと言ってしまうと、他人の承認なしでは自分を評価できない人のようであるし、だからと言って、「私は充足しているので一人でいていいんです!」と言い切ってしまうのにも抵抗がある。
この数カ月にも私は同年代のシングルたちのコラムを複数読んで研究を進めたが、やれ休日にはネットフリックスを見ていれば十分だとか、やれ自虐の陳列(でも可愛いでしょ? という尾ひれがつく)だとか、私の求めているモテの探求はそこにはなかった。
つまり、モテとは私の永遠の課題である。
いかに、他者を経由する自己肯定を避けつつも、自らだけの偏狭な価値観に陥らないか。自ら溢れ出る美があって、それが他の人にとっても心地よいものであったら、どれほど良いだろうか。それを目指したい。
プラトン『饗宴』の中で、登場人物の一人は、愛の神(エロース)は、実は見た目は美しくない。彼女は自分にないものだから美を欲するのだ、と語る。私も、自分にないものだから、それを純粋に知りたいと思っている。
「実践」を謳っているのは、頭でっかちではなくて、実際の関係性の中でそれを考えたいからだ。
1回目のコラムを読み返し、私は、懸命な自立の試みが、ともすれば「女子力」という言葉に絡めとられかねないことに気づき愕然とした。自ら掴み取ったと思えた価値観はしかし、他から与えられたものだったかもしれないからだ。
そこで今回は、私は自分が書くことに抵抗のあることを記して、次なる「モテ」への教訓としたいと思う。
* * *
話は留学中にさかのぼる。私は「ニューヨークに行けばモテる」と常につぶやいているが、それは、異国でモテた経験があるからである。
私の、間違ったドイツ語でともかく話し続ける姿勢や、周囲の真面目な日本人学生と異なりクラブイベントに繰り出し、おじけなくフロアで踊り狂う様子は、屈折した「オリエント」への視線も相まって、周囲に強烈な印象を残したらしく、あらゆる瞬間にあらゆる男性から誘われた。
さらに当時の私はビールやワインの美味しさにも目覚めたばかりだったので(日本にいた頃は、ビールまずいなあ、と今では思い出せない感覚を抱いていた)、ほろ酔いでいる時間が長かったことも影響したと思う。
しかし、当時は性的な関係に対して、何となく抵抗があった。
就職もせずに来てしまった遠い国で、堅い職業の親に対して申し訳ない気持ちもあったのだと思う。さらに日本にいた時も、一人暮らしの部屋の床にクラスメイトの男子学生が転がっていても、何も起こることはなかった。女性であるという意識も薄く、自分は「そのような人間だ」と思っていた。私は当時のことを考えると、見目が美しくないと(言われ、かつ思い込んでいる)いう点で、文化的に去勢されていたのかもしれない、とさえ思う。
留学中の話に戻ると、一方で、周囲のドイツ人や他国の留学生たちは、私が育つ過程で読み、ある種洗脳されてきた日本の少女漫画のセオリーとは全く別の方法で、関係性を築き上げていった。
つまり、パーティーなどで出会った相手とまず性的に関係し、それから、もし話が合うようであれば、何度か会い、関係性を発展させていく、という方法だ。そうやって結婚した友人も何
人もいるが、しかしもちろん、その場かぎりということも当然にある。
それを間近に見ていたが、私はそのことに対する意識が低いというか、自分に性器があることすら知らず(生理の時期だけナプキンを敷いて)、男性も、リカちゃんのパパのように股間がつるりとしていたって全く驚かない存在であったのだから、自分とは関わりのない話だと思っていた。
ある日、同じ寮のメンバー複数人で、大学のパーティーへ行くことになった。
大学の生協を会場にしているが、ライトがきらめき、職業DJが会場を盛り上げる、一般的なクラブやディスコにも負けないイベントだ。さらにバーでは、ビールはもちろん、紙製の傘が突き刺さっているようなオシャレで度数の強いカクテルが提供される。
同じ階に住む美人なフラットメイトたちと、夕方にキャッキャと選んで互いに数万回も褒めあった服装で、私たちは小さな輪をくっついたり離れたりして、時に会場の別の箇所にいる知り合いに会いに行ったり、トイレに行き、飲み物を補充し、友達に「もう来てる?」なんてSMSを送り合ったりしながら、とっくに日付が変わっても踊り続けていた。
そのうち、下の階に住む、アメリカ人とのハーフで、経済学の論文を何本も書いている少し年上のS(顔はジェームズ・フランコに似ており、長身で巻き毛だった)が、不自然に私のほうへ近寄ってきたことに気づいた。
Sは、顔を合わせると穏やかな会話をできる(不自然にテンションを上げる必要のない)数少ない相手で、かつ、私が一人で掃除をしているときに、パッとやってきて手伝ってくれるような優しい人であったけれど、同じ階に住むドイツ人の女子学生が彼のことをあからさまに好きだったことにも気づいていたので、特に親しいわけではなかった。
その彼が、背後から抱きしめんがばかりに寄ってきているのだ。
これは、どうしよう――。
迷った挙句、私はサラリと彼の近くを離れ、途中で合流していた女友達と場所を入れ替わるようになった。そして、その夜、彼はその女友達と消えたのである。
翌朝、その女友達は普通に我々とコーヒーを飲んで、そして、その後も別にSに会っている様子もなかったのだから、その場限りの関係だったのだろう。「その場限りの関係」という言葉すら浮かばないぐらい、ふーん、というような、感想にもならない感想で、私もその日のことはつい先日まで忘れていた。
そうだ、忘れていたのだ。それが、「モテ」について考えるうちに、私はこの夜のことを思い出さずにいられなかったのである。
私はあの日、どうしよう、と思いながら、むしろ「どうしよう」と迷ってしまうほどに、Sには以前から(積極的な「好き」ではなくても)好感を抱いていたし、応えること、あるいは部屋に消えなくても、二人で耳がキーンとなるような爆音の空間を抜けて、オレンジの街頭に照らされた夜道で語り合ったり、文化遺産の町並みを、ひたすらに石畳を進んでいったりこともできたかもしれない。
そんなことは現実に無理で、寮に直行し、その場限りの関係性に傷ついたりその後数ヶ月間にわたって気まずさを味わったりする可能性も高かったけれど、他の人がしていたような方法で、そこから始まるかもしれない可能性やストーリーに踏み出せなかったのも事実なのだ。
そしてその原因は、私が、自分の性に対して決定権があるとは、知らなかった、わからなかったことなのだ。
私は自分の性について、自分で選択できることを知らなかった。
それを享受してもよいということを理解しておらず、性は自分に属したものではなかった。
それで傷つくことがあっても、そこから学ぶことがあるということに挑む勇気がなかった。
そんな努力をしなくてもよかったかもしれないし、結論はわからないのだけれども、それでも私は、そこに「失われたモテ」を見る。
今年に入って、朝起きると知人の家で、知人の腕を枕に寝ていたことがあり、それでも私は平気に出社して働いていたりする。
自身の性を平然と受け止めることができるようになった分、私は少し大人になったが、「失われたモテ」は帰ってこない。
これは、ただ単に、性的関係に対して寛容になれ、という戒めなどでは決してなく、自分には性器があり、性的な行為が可能で、性的な決定権があり、選択をすることができる、という学びについてのレポートである。
そして、私は、その学びを真に自分が受け止めることができたのなら、きっと本当の、人に恥じることのない「モテ」がやってくるのではないか、その先に穏やかな人間関係が築けるのではないかと、期待している。