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東京で自分らしく生きること そして韓流 第1回 KPOPに出会うまで

オガワフミ2019.03.14

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高校でいじめに遭った。80年代、同調圧力が強かった男子校で性自認が流動的な思春期を過ごしていたことで拍車がかかり、いじめの悪質性がエスカレートした。セクシュアル・ハラスメントという言葉も聞いたことがなかった。天真爛漫に過ごしていた最初の15年間の人生はその後二度と戻らなかった。不登校という言葉の無い時代「登校拒否児」になりかけた。出席が足りなくて皆と一緒には卒業させないと言われた。何とか卒業した後も集中して勉学するには神経が損なわれ過ぎてしまい、かと言って就労もできずブラブラしていた(くどいようだがニートという言葉もなかった)。遅かれ早かれ免疫不全症候群に罹患して死ぬのだと思っていた。

紆余曲折あって20代終わりにボストンに移住した。初日から元気が出て世界中からやって来た人たちとその日から切磋琢磨し自由競争に参加した。バンドでピアノを弾いたり自己実現して行った。気づくとそれまで自分を重く縛っていた同調圧力がないことに気づいた。自由とはこういう感覚なのかと思った。アメリカに骨を埋める気持ちで必死で働く中で、自分が男性同性愛者だということにも慣れていった。

やがて第二次湾岸戦争を受けて愛国関連法制が制定された後、外国籍の人間の居住制限が始まった。自分の永住許可証申請の根拠だった特殊技能労働者枠にも上限が設けられて、居住資格が失効した。インド人やフランス人の友人たちも散り散りに、カナダやシンガポールへと活動の場を移して行った。自分はと言うと90日ほど居住資格が無いまま出国できずにいた。最後は移民法弁護士のアドバイス通り、違法滞在の記録が残って将来合法的にアメリカに居住できなくなるのを避けたくて帰国した。渡米から15年が経っていた。パソコンが普及する前に渡米していたので阪神淡路大震災も地下鉄サリン事件もCNNで知った。KinKi Kidsも宇多田ヒカルも知らなかった。最後の5年は日本語も使わなかった。日本語全角変換キーのあるキーボードを見たことがなかった。

帰国したくなかったのは、自分を苦しめていた社会の同調圧力を恐れていたことが大きかった。その予感は当たった。エイズ治療の拠点病院に職を得たが、陸軍中野学校病院の後継組織で731部隊や薬害エイズとも縁のある部署だった。ボストンの職場で学んだ多様性のある患者ファーストのチーム作りではなく、男性医師ファーストのチームを女性師長以下コメディカル全員が歯車となってサポートする画一的な現場で、性的少数者当事者もいなかった。英語のものを見聞きすると、ボストンで幸せだった失われた日々が思い出されてつらいので極力避けた。ツラく苦しい日々だった。そんなある日TVからフランス語でバカボンのパパの歌が流れて来た。英語以外の語学もいいなと思い、ネイティブの先生に仏語を習った(6年続けた)。Eテレの語学番組もむさぼるように観た。

とある4月の運命の夜、Eテレ「テレビでハングル講座」にその若者たちが出ていた。まず講師のチャン・ウニョン先生が韓流ドラマを知悉し尽くしていてすごくて、ハングルを教えてくれるTOMOくんこと藤原倫己さんもカッコ良かったし、生徒役のコウケンテツさんのハングルの出来なさ加減も微笑ましく、また一視聴者として救われた。そしてその若者たちのコーナーになった。6人の若者たちは何というか…わちゃわちゃしていた。みんな真っ直ぐな瞳をしていて、真摯で健康的でのびのびとしていて楽しそうだった。ボストンで指導した高校のアジア系生徒の真っ直ぐな目を思い出した。後で検索すると何と同時期にボストンの高校に通っていたメンバーもいるではないか。観ていてドキドキした。

この6人の若者は2PMというKPOPグループで、調べると翌月に6日間の武道館コンサートがある。何でもチケットは売出し開始後1分で完売したそうだ。突き動かされるように、それまで知らなかったチケット交換サイトという仕組みに導かれて、人生初の武道館観戦デビューを果たした。各公演が6人のメンバーを1日ずつそれぞれフィーチャーした内容になっていた。ほぼ定価で手に入ったチケットの日は、カリフォルニア生まれでアメリカ人のママを持ち、タイ国籍のめちゃくちゃイケメンメンバー、ニックンがメインの日だった。しっかりとした大きな手でピアノを力強く弾き、海外からの観客にもアクセントのないストレートな英語で素直に正直に気持ちを伝えていた(対照的にボストンにいたメンバー、テギョンは聞き慣れたアイビーリーグの超秀才アジア系留学生達と同じアクセントをしていた)。

メンバーの素直な思いが真っ直ぐに伝わり、(ガイドトラックによる口パクでない生歌なのも臨場感があって)気づくと心からリラックスして公演を隅々まで体感していた。ダンスが身体的でアクロバティックなのも直截的で良かった。体の奥底から、この人たちと生きて行けたら、この人たちと生きて行けたら、この萎縮しがちな日本でも自分らしく生きて行けるかも、そう実感した。その日以来、リアルでは経験しなかった天真爛漫な高校時代を、遅ればせながらKPOPと共に追体験する日々を送っているのである(めでたしめでたし)。

今日のソフト: 2PM LIVE 2012 “Six Beautiful Days” in 武道館

RELEASE DATE : 2012/12/26

NUMBER : BVBL-86

LABEL : Ariola Japan

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オガワフミ

オガワフミ(おがわ・ふみ)

福祉職員。ゲイ。中年。杉並在住シングル。心身の健康とKPOPの相関について考える日々。ラブピースクラブがその辺で発掘。A型。天秤座。好きな言葉はアイスクリーム。推しカラーはパープル。好きな香りはグレープフルーツ。TOEICスコア990だが日本語少々不自由。夢は夜間中学保健教諭。ハイビスカスティーを常飲。最近パン作りにハマっている。

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