溝口:1970年代のアメリカ社会では、ポルノに対しての偏見はなかったのですか?
アニー:もちろん、ありました。わたしが気にしなかっただけ。わたしは自分の仕事に誇りを持っていたので、偏見や 批判は無視しました。だって、ポルノについて世の中の人が思っていることって、なかには当たっていることもあるけれど、的はずれなことも多いから。
溝口:どうしたら無視できるのですか?
アニー:ポルノの仕事をしている自分が好きだったし、毎日、充実していたから。もちろん、いやなことがあってうんざりする日もあったけれど、おおむね、楽しく過ごしていたわ。
とにかく、20代のころのわたしは、いかに多くの男を自分の映画でその気にさせら れるか、それだけを目標にしていたし、全身全霊で打ち込んでいたの。ポルノの観客の男達に愛されるために、彼らといい関係をつくるために、日夜努力していたから、偏見を気にするどころじゃなかった。
もちろん昔のことだから、今のわたしは、当時のいいことばかり覚えていていやなことは忘れて、美化している傾向はあるとは思うけれど……とにかくエロの追求、それしかなかったのは事実。
その後、アート活動をするようになってから、観客をその気にさせるということは、わたしにとってあまり重要ではなくなりました。30歳になったころかな。もちろん、相変わらず性的に直接的な表現をとっていたし、好きだったけれど、単に観客の下半身を直撃するというよりも、より知性や精神性やユーモアや、あるいは人間性や男性や女性について批評になっているような、そんな表現をこころがけるようになったし、より実験的にもなっていきました。
溝口:当時、ポルノ映画の観客の反応は、どのようにして知ることができたのですか?
アニー:1970年代はビデオのない時代だから、みんな映画館に来たの。そして、ポル
ノ映画館ではプレミア上映会やオープニング・イベントをやるところが多かったので、観客と直接、接する機会はたくさんありました。それだけじゃなく、街角でもね。
たとえばNYの42nd ストリートを歩いていると、マッサージ・パーラーや売春婦の客引き(pimp)が客を物色しているわけだけど、彼らがわた しが歩いているのを見つけると、「アニー・スプリンクルだ! あんたの映画は見てるよ!」って声かけてきたりとか(笑)。ストリートのバッド・ガイた ちが、わたしに敬意を払ってくれた。
わたし自身は、高校まではいいコちゃんだったの。そして、バッド・ガールになり
たかった。それが実現したっていう感じだった。
|
●ポルノ論争が残したもの |
|
溝口:あなたのアーティストとしての初めてのプロジェクトはどんなものでしたか?
アニー:ちょっとしたパフォーマンス作品はたくさんやっていましたが、大規模なプロジェクトとしては、1990年から1995年まで展開していた『Post-Porn Modernist(ポスト・ポルノ・モダニスト)』が最初です。
ちょうど、さっき話したポルノ論争がまだ盛んな時期だったので、各地のギャラリーや劇場に招聘されて、高い評価を得ることができました。タイミングがよかったのね。そして、その後のわたしの活動におおきな影響を与えた作品になりました。
Q: 『Post-Porn Modernist(ポスト・ポルノ・モダニスト)』はどんな作品ですか?
アニー:わたしがアニー・スプリンクルになる以前の、シャイなエレン・スタインバーグのころから、ポルノ・スターやニュー・エイジのセックス巫女のペルソナなど、わたしの変遷とさまざまな顔を演じていく一種のひとり芝居なのだけど、なかでも話題になったのは観客に舞台にあがってもらってスペキュラムでわたしの子宮頸部を見せるパートと、「セックス・マジック・マスターベーション儀式」のパートね。
Q:子宮頸部を見せるパフォーマンスについては、アメリカの大学院にいた時に教授も言ってました。
アニー:でしょう?(笑)
ポルノ論争に話を戻すと、この論争では、両陣営ともに学び、成長したということだと思う。基本的にはアンチ・ポルノのフェミニストたちは今ではより寛容になっているし、ポルノ肯定派の私たちも、反対派の論理のなかからもっともな要素については学んだわ。もちろん、まだまだすべてが解決したわけじゃないけど。
溝口:あなた自身がポルノ論争から学んだことって何ですか?
アニー:わたしが出ていたころのポルノ映画のお約束に、レイプ、乱交パーティ、レズビアンのシーンがあること、というのがありました。
もっとも、レズビアン・シーンは「本当のセックスじゃないから」ということでギャラは上乗せされなかったけど。で、映画1本のなかでセックス・シーンは必ず6回。こういったお約束は決まった定型だったから、レイプ・シーンの意味なんて、わたしは考えもせずに演じていた。単にファンタジーでしょ? と思っていたから。
でも、アンチ・ポルノ派のフェミニストたちが、現実にレイプされる女性もいるというのにポルノでレイプを演じるのはいけない、とつきつけてきたことで、はじめてわたしはレイプ・シーンの意味を考えるようになったの。
そして、家父長制度がいかに女性を利用しているか、というようなことについても考えるようになった。というのも、ポルノ映画は男性のために作られていたものだから。だから、女性自身はあまりセックスは好きでないのに、男によってセックスをするようにしむけられる、というプロットがほとんどだった。ポルノに女性監督が登場してからは、かなり変わったけれど。
ポルノグラフィは、社会の記録だと思う。ポルノを見れば、その社会のその時代の男と女の関係やセックスの位置づけが見えてくる。ポルノグラフィは文化を反映している。だから、常に、毎年、変化している。面白いのは、ポルノグラフィはセックスについて議論する出発点になるということ。好きでも、嫌いでも。
あのね、今、流通しているポルノグラフィは、わたしにとっては全然、面白くない、退屈なものがほとんどなの。面白いのはほんの少ししかないわ(笑)。でも、その事実が対話のきっかけになるのも確かね。
|
●アカデミズムの世界へ |
|
溝口:セクソロジーで博士号をとって、最近では大学での講演会などのお仕事が増えているそうですが、なぜ博士号をとることにしたのですか? そして、よりアカデミックな聴衆に向けてターゲットをシフトしたのですか?
アニー:わたしの場合、セックスという技をポルノ映画で実践し、アート作品としても扱い、さらに、タントラを学んだりとスピリチュアルな面でも修行をつみ、フェミニストとして政治問題としても取り組み、セックスについてまだ知らないアプローチといったらアカデミックなことだけ、という状態になっていました。
で、次のステップに進むためには新たなインスピレーションと知識が必要、という状態になっていて、じゃあ、これまでやったことのないアカデミックなことをしよう、と思ったのです。そこで、セクシュアリティ研究で博士号がとれるユニークな学校に行きました。
大学院は、面白かった。無事に学位をとりました。最近はアカデミックなリサーチよりも、アートと、パートナーとの関係性に興味があります。永続的なパートナーとのセックス、っていうことにね。だから、ベスがわたしの最近の研究のモルモット(笑)。
それと、今、ビデオ作品を作っていて、編集段階です。いろんな女性にオーガズムについて語ってもらったドキュメンタリーで、『Annie Sprinkle’s Orgasms: The Documentary(アニー・スプリンクルのオーガズム:ザ・ドキュメンタリー)』(この作品はその後、完成し、サンフランシスコのレズビアン&ゲイ映画祭をはじめ、各地で上映されている)というタイトルよ。
溝口:話は変わりますが、『Sluts and Goddesses』が、あなたのビデオ作品のなかで、わたしが初めて見たものなのですが、これはあなたの初のレズビアン作品なのですよね?
アニー:とくに「レズビアン作品」と銘打っているわけではないけれど、そうともいえますね。出演者は全員、女性で。バイセクシャルの女性が多かったと思います。わたし自身はちょうどレズビアンになりつつあるころだったので、『Annie Sprinkle's Herstory of Porn(アニー・スプリンクルのポルノ史)』という自叙伝的な映像作品のなかでは、こういうジョークを言っています。「この映画を作ったのは、レズ ビアンたちとの出会いのきっかけになればと思ったから」って。
溝口:あ、あれはジョークだったのですか?
アニー:まあ、本気半分、ね(笑)。当時はわたしは、レズビアンになりたて、だったから。
|
●レズビアンになる、ということ |
|
溝口:あのー、すごくバカな質問かもしれないんですが……
ベス:この世にバカな質問なんてありえないわよ!
溝口:ありがとう、先生(笑)。えっと、アニー、あなたがどうして、い
つ、レズビアンになったのかすごく興味があるんですけど。
っていうのは、わたし自身はおそらく生まれたときからレズビアンかな、って思うんですよ。もちろん、そう気がついて認められるようになるまではなんとなく漠然と自分はヘテロセクシャルだと思っていたわけですが。
で、きわめてセックスにアクティヴな人が、ありとあらゆることを試してみる一環で女同士のセックスもする、という例はいろいろ知っているのですが、でもあなたの場合は、「レズビアンになった」わけですよね?
アニー:極端ないいかたをすれば、人って2種類に分かれると思うの。一生、職業も同じで住む場所も同じがいいという人と、さまざまな仕事を経験していろんな場所に住まないと気が済まない人がいるように。
セックスの面でも、どちらがいいということではなくて、決まった一人の相手と一生、同じ体位のセックスを繰り返すことで幸せな人もいれば、常に変化していく人もいる。変化の単位も、1年だったり10年だったり、人それぞれ。
でも、とにかく常に変化のプロセスにいる人というのが確かにいて、わたしはそっちなのね。変化の「メタモルフォーシス」と「セクシャル」をあわせて、「メタモルフォセクシャル」とわたしは呼んでいるのだけど。
わたしの場合、最初は完全にヘテロセクシャルだった。映画のなかでも、プライベートでも、女性とのセックスも経験はしていたけど、全然ぴんとこなかった。「くわえるモノがないじゃない!」って思ってたわ(笑)。
当時の相手の女性たちはレズビアンじゃなかったから、それもあったと思うけど。とにかく、わたしはずっと男性とのセックスが大好きだった……のだけど、ちょうど3,500本とやったところで、ある日、「もう、いらない」って思ったのよ。
溝口:3,500本って、実際に数えたのですか?
アニー:もちろん! 週に平均して何本か、っていう数字に、年数をかけてちゃんと出した数字よ。
とにかく3,500本こなした時点で、もう男はいらない、変わりたい、と思ったわけなの。それ以来、男とはやってないわ。一番最後の男性は、FtMトランスセクシャルのレスというステキな人だったわ。
溝口:あ、ビデオ作品のですね。
アニー:そう。それで、男はもういい、っていう状態になってから、ある日突然、女性に恋をしたの。リンダ・モンタノというアーティストに。
リンダはわたしが最も尊敬するアーティストなんだけど、一緒に仕事をすることがあって、とにかく突然、彼女のことが大好きになって、同時に、性的にもひかれている自分に気づいたのよ。自分でもどうしようもないくらいに強烈な欲求だった。で、残念なことにリンダとつきあうことは不可能だったので、他の女性とセックスをしたの。とってもキュートなレズビアンと。それが、わたしがレズビアンとした初めてのセックスだったんだけど、素晴らしかった!
それまでも女性とセックスしたことはあったけど全然、よくなかったのは、やり方が間違ってたんだってことがわかったわ。本当のレズビアン・セックスはなんてイイんでしょう、って開眼したってわけ。そうこうしているうちに、わたしはもうすっかり女性だけを性的な対象として見ている自分になっていることに気づいたの。
|
●ベスに恋して |
|
溝口:えっと、男が嫌いになったから女に走った、っていうわけではないんですか?
アニー:それとこれとは別。「男はもういいや」って思ったのは、売春の仕事でも映画の仕事でも、あまりにもたくさんの男を相手にしすぎて、「もう、ちんぽは見たくない!」状態になったのよ。でも、だからすぐに女性に行ったわけじゃなくて、リンダに恋したことがきっかけだったの。
溝口:今でも「男嫌い」ですか?
アニー:完全に男がイヤになっていたのは3年間くらいだったかな。その期間はそれこそ、父親以外の男とはほとんど接点をもたないくらいだったけど、男嫌いの彼女とつきあっていたからそれでも問題なかったし。最近は、そうでもなくて、男性でもキュートだな、と思うこともあるわ。たとえばね、わたしとベスは子供を作ろうと思っているんだけど、ベスに精子を提供してくれている男性のこと、すごく魅力的だと思うし大好きよ。
ベス:そうそう、アニーが気に入ったから彼に決めたのよね。
溝口:子供をつくって、2人の子供として育てていこう、っていうことですか?
アニー:そう。自分でもびっくりしているんだけど、ベスとの関係は永遠に続けばいいなあと思っているの。
今、2年目だけど、こんなに長く続いたのは初めてだし、永遠に続けばいいなんて思うのも生まれて初めてで自分でも驚いているわ。以前も、特定の相手と真剣なおつきあいをしたことはあるんだけど、私はいつも6ヶ月単位でしか約束はしなかった。自分の気持ちが変わることがわかっていたから。
溝口:ベスのどこがこれまでの人たちと、そんなに違うのですか?(笑)
アニー:うーん、とにかくうまくいってるの(笑)。
ベス:わたしも、こんなに相性のいい人はアニーが初めて。過去のガールフレンドたちとは、どうしても、お互いを非難したり、相手を支配しようとするような問題がもちあがっていたんだけど、アニーとだと全然、そんなことなくて。
アニー:それと、ベスはわたしのワイルドな過去を問題なく、完全に受け入れてくれているの。これはすごく重要よ。わたしの過去の経験を批判的に考えるでもなく、逆にひけめを感じるでもなく。ごく自然に受け入れてくれている。こういう人はめったいないわ。それに……セックスもすごく上手いの!(笑)
溝口:なるほど〜! じゃあ、二人のなれそめを教えてください。
アニー:知り合ったのは12年前。ベスは当時、美術系の大学院修士課程の学生で、修士プロジェクト作品のモデルをたのまれたのがきっかけ。でも、ずっと知り合いではあったけど、恋人になったのは2年前なのよ。
溝口:つきあうことになったきっかけは?
ベス:アニーからデートのお誘いの電話がきたのよ。その当時、わたしは恋人とひどい別れ方をしたばかりで、もう女はコリゴリ! ヘテロセクシャルになってやる〜って思って、家の修理に来た業者の男性と会ったその日にフォークリフトの上でセックスしたりなんかして、それがけっこう楽しかったものだから「よし、大丈夫。もうこれでわたしはヘテロセクシャルになれる」「女とはもう一生、つきあうもんか」なんて思ってたんだけど……
溝口:でもアニーとのデートには出かけていった、んだ?
ベス:だってそりゃ、他ならぬアニーからのお誘いだもの(笑)。で、まあ、その最初のデート以来、2年間ほとんどずっと一緒にいるって感じ。
アニー:1回目のデートはわたしのアパートに来てもらったの。で、タロット占いをしてあげて、ベスの人生についてすべての情報をきいて……
ベス:そんなに自分をさらけ出すなんて思ってなかったから、もう耐えられない! か思って、とりあえずアニーをだまらせようとしてキスしたら……
アニー:3日後もまだ、ベスはわたしの指の上に座っていた、ってことなの(笑)。
ベス:アニーのルームメイトが、「オーガズムのときの声をもっと小さくして! 楽器の練習ができないから」っていうメモを差し込んできたり……(笑)。
アニー:2度目のデートも、1日だけの予定だったのに3日になっちゃって、3度目のデートは5日がかりになっちゃって(笑)。結局、半年後に一緒に住むことにしたの。友達はみんな反対したけど、それ以後来もラブラブよ(笑)。
ベス:同居したときに、ドメスティック・パートナーになったのよ。わたしはカリフォルニア州立大学サンタ・クルーズ校で彫刻を教えているんだけど、カリフォルニア州立大学はドメスティック・パートナーの健康保険をカバーしてくれるから。図書館なんかの学内の施設も使えるしね。
溝口:日本には国民健康保険制度があるけど、アメリカの保険は全部、民間だから、それって大きいですよね。
|
●若いモンのセックスは・・・ |
|
溝口:日本では近年、セックス体験の若年化が進んでいるといわれています。これは、女性は結婚するまで貞操を守らなくてはいけないが男性は性体験豊富でもいい、っていう昔のダブル・スタンダードと比べると、一見、若い女性が好きなように自由にセックスしていい、いいことのようにも思えますが、どうも実態は、「早くセックス体験をしないといけない」っていうプレッシャーがひどくて、全然自由じゃない、逆に不自由な状態の女の子も多いみたいなんです。「もう16歳なのに初体験もまだなんて、友達にバカにされる、どうしよう、どうしても17になる前にしなくちゃ」ってマジメに相談に来たコがいたりとか、ってきくと。
アニー:わたしが16歳のころは、セックスが怖くてしかたなかった。セックスしなくちゃいけない、にせよ、してはいけない、にせよ、どちらの方向にしても、セックスに過剰な意味をもたせるのは、残念ながらアメリカ文化でも同じことだと思うわ。それに、フェミニズムの功績は大きかったとはいっても、今でも、みじめな初体験をする女性のほうが、楽しい初体験をする女性よりもずっと多いという事実もある。
ベス:それでも、今の19、ハタチくらいの若い女の子たちは、フェミニズムなんてもう古い、必要ない、って言ってはばからないコが増えているのよね。それと、これはレズビアンやゲイについてだけど、今の若い子たちが、いまだに、わたしが若いころと同じように、孤立して悩みをかかえているコが多いというのも、驚くけれど、事実。若者にとってセクシャリティの問題は常に重大な問題で、大人になれば笑い飛ばせるようなことでも命にかかわることもあるわけだから、わたし達大人が教育していく必要があると思います。
アニー:アメリカも日本も、残念ながらセックスに対して自然体で接する文化ではない、ということよね。
ベス:キリスト教右派は相変わらずアンチ・ポルノだし。
アニー:そうね。まだまだ、やるべき仕事はたくさんある。
Q:今後のご予定を教えていただけますか? オーガズムについてのビデオ作品のほかに、とりかかっていらっしゃるプロジェクトがあれば教えてください。
アニー:今年後半から来年にかけては、本を執筆します。タイトルは今のところ、『Annie Sprinkle’s Sex Makeover(アニー・スプリンクルのセックス・メイクオーバー)』にしようと思っています。わたしにとってははじめての、大手出版社からの本になります。
Q:それは楽しみです。ついにメジャー進出ですね。
インタビュー:溝口彰子
「地上が快楽で満たされますように。そして、それがわたしからはじまりますように(Let there be pleasure on earth and let it begin with me.)」がアニーのモットー。今年予定されているメジャー進出で、どう展開していくのか。そして、すでに50代にさしかかっているアニーが、中年、老年期のセックスをどのように作品にしていくのか。興味はつきません。日本で、とうことになると、1996年の本もすでに入手不可能で、アニーの作品はまったく流通していなくて、残念! これからでも、アニーのビデオ作品や今度の書籍が、日本でもどこかから出ればいいのになー。(溝口)
アニー・スプリンクル。私の憧れの女優。フェミとエロの重なる地点を探して自分の仕事を探していた時、セックスをポジティブに楽しむことをフェミの視線で堂々とやりとげたアニーには本当に強く深く影響を受けました。いつか実物と話をしたいなぁ、と野望を抱いていたところ、「アニー・スプリンクルに会うんだ」と、ものすごーいことをサラリとおっしゃった溝口さんに食らいついたのは言うまでもありません。
溝口さんは「あれほど、チンコとセックスしていた人がレズビアンになるっていうのが面白いじゃん!」ハハハ! と笑いながら、「その点を聞きたいよね〜!」とおっしゃっていました。確かに。彼女の作品の多くは、というかほとんどが「ヘテロセックス」にとてもフレンドリーな作品。チンコをとてもおいしく食べるアニーの姿が、私にはとても印象に残っています。
「レズビアンになるって、どんなことでしょうね」と、私は私自身の最近のことも重ねてアニーに話しを聞きたいと思いました。女がセックスに関わる仕事をすることが、今よりももっともっと難しかった70年代アメリカ。その時代からずっとセックスに関わる仕事をしてきたアニーの著作やインタビューは少なくありません。それでも「レズビアン後」の「彼女のセクシュアリティ」を問うようなインタビューは目にしたことがありませんでした。だからこそ! 知りたい! 聞きたい!!
溝口さんのインタビューは、アニーの家でとてもリラックスして行われたことが伝わります。アニーのとてもオープンで、女への愛に満ちた言葉をLPCのHPで掲載できるなんて、夢のよう! いつかアニーと本当に会える日がくればいいな。溝口さん、お疲れさまでした。
北原みのり
このインタビューの感想はコチラまでlove@lovepiececlub.com
|
|