
皆様、こんにちは。アジ原ゲバ子でございます。
めっきり寒くなりました今日この頃、皆様はいかがおすごしであられますか。
ゲバ子は腹巻必帯でゲバ看板を描いております。腹巻必帯でオナニーに励んでおります。
とはいえ、ここ一ヶ月、つまり前回の原稿の後からは、ゲバ子、ゲバ活動の拠点を変えるべく引越しの準備に追われおわれておりました故、ゲバ子をゲバ子たらしめる「ゲバ看板作り」や「オナニー勝手に普及活動」あるいはアンチ「チンコ・ブッシュ」どころですらなかったというのが、正直なところでございます。
嗚呼、瑣末なゲバ子!されど、愛しいゲバ子。こうして自分の魂のゲバ看板をつくるための巣づくりに励んでいたわけでございます。
さて、「オムツとマンコのあいだ」第3弾である。しつこいんである。
しかししつこくならざるをえないんである。なぜなら、腐っているからである。「オムツとマンコのあいだ」から見えるものが、あまりにもひどいからである。
そしてそんなひどいものは、今、ゲバ子や皆様が生きているこの社会をあまりにも鮮明にあぶりだしているからある。
それを目にすることになったのは、前回にお伝えした「訪問介護員2級講座」の一貫で訪問した、特別養護老人ホームでである。
果たしてゲバ子のこの細い目に飛び込んできたものとは一体、一体なんであったのか?!
その、都内のとある特別養護老人ホームは、高額な料金を払って行くようなところではないとはいえ、ある意味「一般的」な特別養護老人ホームであると考えられる。特に山奥に隔離されていることもなく、閑静な住宅街にムムっと存在している、そんな特別養護老人ホームである。ただ、そこを建てたのが、とある仏教の僧侶であることが特色であることと、今じゃ「介護保険」の下、「ご利用者さんに選ばれる事業所を」ってことでヒノキのお風呂を用意したり、レクリエーション(!!)を強要せず、様々な活動を用意するところがぼちぼち出てきていることを考えると、「あまり先進的ではない」ということがいえることくらいである。
その中には、寝たきり、いや「寝かせっきり」の婆と爺(尊敬と親愛をこめて。沖縄の「おばあ」と「おじい」の呼び名のように)達から、ちょこっといわゆる「痴呆」が始まった婆と爺達、あるいはデイケアといって昼間だけ楽しみにを見つけにこちらに来られる婆と爺達までがいたわけである。―――が!!
まず婆と爺の人数比であるが、その日ステイ型でそこにおられた人、19対60で圧倒的に婆が多い!!単に平均寿命の長さを反映しているのではないと思われる。
ところで、「介護を家族に押し付けずに社会化していこう」という動きが出始めた80年代後半くらいから90年代、一体どのような事件がきっかけであったか皆様ご存知であろうか。それは寝たきりの「妻」を介護する「夫」が妻を殺した事件を契機としているのである。
オンナは、妻は、嫁は、娘は、黙々といとも「当たり前」に介護をやってきたが、それは「当たり前」のことであって、オトコが、夫が、息子が、「我慢できーん!」と婆を殺したら「ああ、オトコが気の毒だったねえ」となる世の中である。オトコが、夫が、息子が、「○○の代わりはいますが(社長でも、市長でも、はてまた一介のサラリーマンであろうがなんでもよい)夫や息子の代わりはおりまへん」といえば、たちまち世の注目を集めてしまう世の中である。だから、オトコも介護をぜーんぶやれ、と言っているのではない。
その問題のなりようと、話題のなりようが、いかにも、いかにも、チンコ中心思想だから言っているのである。
先の婆と爺の人数比の裏に、ゲバ子は、妻や嫁や娘のシャドーワークによって支えられている(ちょこっとヘルパーを使うにしても)在宅の爺の姿をみるんである。あるいは富と権力を手に入れ、怖いものなしな顔で「ババアは人類で無駄な存在」と言い放つ、チンコ・石原のようなチンコな爺の存在をみるんである。
さて、話は戻るが、入り口の自動ドアを通って入ると、ドドーンとまず目にとまるのが、この施設を建てた坊主の像である。しかももう仏になっていて、仏の像である。
そんでもって、ちらっと横を向くと、な、なんと、ババーンと目に入ってくるのが、意味のない、女の裸の像である。
かたや仏、かたや剥き出し、一体いかがなものか??(ムネオ風)
仏と裸像に圧倒されて、早く到着しすぎたこともあり、もう一度外に出ようとすると、ん??自動ドアが開かない?!開かない?…・・開かない!!!!
そう一旦入ったらこちらから外に出られないようになっているのだ。さらに、利用者がむやみにフロア-を行ったり来たりできないよう、階段には3重ロックが!!!
「これでもこの前3番目のロックが外されましてね。今度4個目を考えなくては。ハッハッハ」とはそこの職員。
もちろん窓も開かない。その日は「なーんて素敵な空〜、人生ラララ、ヘヘイヘーイ!」な日であったのに、空気の入れ替え一つ行われない。まさに開かずのドア、開かずの窓。行きはよいよい、帰りは怖い。
徘徊してしまう人がいると言う。失踪したら困るという。
でもきっと全員ではない。それにもっとやりようがあるんでは??とゲバ子が刷毛を取り出そうとすると、朝礼が始まる。
老人体操というラジオ体操の老人版を3回繰り返した後、職員間の申し送りと、職員がこの施設のモットーを読み上げる時間がやってくる。
その施設の「心」とは…・
「人間大好き」だそうである。
「おもてなしの心と尊敬心をもってお客様と職員に接します」だそうである。
「笑顔をいつも忘れず」にいるそうである。
「ステージの上にいることを常に意識して心を支えるサービス」に徹するそうである。
「右手にロマン、左手にそろばん、お客様の満足こそがロイヤルティを高める」そうである。
他にも、「多様性」やら「尊重」やら、「信頼」やら「誠実」やら「ホスピタリティ」やら、この世で考えられるすべての徳の高そうな言葉のオンパレードである(「そろばん」はそうでもないが)。そして、この施設では、婆と爺を「大切なお客様」として「○○様」と呼ぶそうである。
ここに閉じ込めておいてこの言いっぷりである。
ホームは、学校のように「規律正しく」運営されている。3度の食事とおやつの時間が決まっており、総勢80人近くいる婆と爺を、車椅子に乗ってもらったりする時間があるため、1時間前から、食堂に集められる。まさに、「集められる」。
11時半からの昼食の場合、10時半から食堂に集められる。窓ひとつ開かず、始終ぼ〜んやりしたテレビが垂れ流され、ついでに「お年よりがお好きでしょう」な考えからかけられている童謡が絶えず流れている(「とんぼのめがねは水色めがねー」とか氷川きよしもあったが)この食堂に、集合させられる。
「ベッドでぼんやりしているより、歓談してて」ってことなんだろうが、婆たちの会話はあっても、「歓談」はない。
ある婆は目の前でこっくりこっくりしている婆に、「あーあー、ほんとにこの人はぼけてんのかね、みーんな起きてんのに一人だけ寝てるよ、年取っちゃってんのかね、このくそババア」と罵倒している。
ある婆は、しきりにゲバ子を手招きする。行ってみると、「あたしは何をすればいいの?」と聞く。「どうすればいいの?」と聞く。
「あと・・1時間くらいしたら、昼食がでます・・(最後消え入りそう)」とゲバ子が答える。「そうですか」とその婆は答える。でも、また聞く。何度も聞く。ゲバ子は答える。それしかできないんである。
机の上には風船ボールが置かれる。「いつもステージ上にいる」職員が、「これで遊んでらして」と風船ボールを転がす。すると他の婆がそれをキャッチして次の婆へ。また次の婆へ。…・ちょっとボールを落とすまい、とかもっと強く投げようとかなってこられるのか、ちょっと盛り上がると、ふとボールが下へコロコロと落ちていく。トン、トントントン・・。
すると、ふーっと冷めた様子で婆がゲバ子に「お姉さん、それしまっちゃってよ」と言った。他の婆はうなづくでも否定するでもなくたたずんでいる。
昼食がきた。自分で食べる人は自分で食べるのであるが、ゲバ子はある爺と婆の流動食を食べさせることをまかされた。
以前、福祉分野で働くある方が「日本には、飲み込みや咀嚼がうまくできない人のために、刻み食(文字通り刻んであるもの)とか、流動食があるが、スウェーデンではどうか」という話を、スウェーデンの福祉を担当する省庁の長(オンナ)に聞いたそうである。すると彼女は、「それは本人が望んでいるのか?」と聞き返したそうである。「ショックだった」とその方は言っておられた。
その流動食である。職員は「この方はこの辺を刺激すると・・ほら、飲み込んでくれますから」とスプーンで口のあたりをもぞもぞと乱暴にさわる。そうすると、その爺はパクーンと食べるのである。まさに、双方とも機械作業。欲望の伴わないパブロフの犬。
おそるおそるゲバ子やるんであるが、口に運ぶ前に、「これは鮭のマリネです」と紹介しながらやったんだが、一個だけわけのわからん緑の物体があった。しかしながら、その日のメニューを見る限り、ミキサーにかけて緑になりそうなものはない。
困ったゲバ子が何人もの職員(この食事を運んできた人も含めて)に聞いても、誰もわからないという。らちがあかず、とうとう、嗚呼、とうとう、ゲバ子はわけのわからん緑の物体を口に運んでしまったよおおお!「すみません、これ、なにかわからないんですが・・」と言いながら!!
ああああああ、なんだったんだろう??あの物体??
昼食が終わると、また部屋に戻される。個室ではない。4〜6人部屋である。
職員は息つく暇なく、時間計画どおりに、オムツ替えやトイレ誘導に走る。まさに走る。
80人の利用者に対してきっと職員は5人くらいだった。ホスピタリティどころか、まさに機械作業にならざるを得ない状況である。
奇妙に明るい笑顔で、「○○様―、トイレに行きましょう」と言われて、トイレに向かって車椅子を押された婆が、「アタシのカラダなんだからあんたに関係ない」と言い放った。もっともである。
また、前日まで熱がでていた婆の額を、男の職員も女の職員も、一言も言わずに無造作に触っていく。そして、しきりに、何度も食事とおやつをすすめる。すすめるどころか、唇にぴたっとおやつなどを持っていく。眠たかったその婆は、最後に「いいから静かにしてください!もうたくさんです!!」と言い放った。95歳の婆であった。
昼食の後、おやつの時間がめぐってくる。味気ないプラスチックのコップに大量のお茶の葉でガッサガサ出したお茶が、つがれる。牛乳もつがれる。そして、おいしくなさそーな、へんちくりんな市販の煎餅が並べられる。
そんなおやつでも、ある婆はもっと牛乳が欲しい、という。でも牛乳の残りはなく、その婆は牛乳のおかわりをもらえなかった…・・。
そしてまた、垂れ流される童謡と、テレビと、気まずい風船バレーがはじまる…
結局、結局、その日は、人生ってステキ、ラララーな日であったのにかかわらず、一回も窓を開けることも、散歩すらすることもなく終わった……
あああああああ!!この状況を、この状況を、どう考えればいいのであろうか??
年をとったら、いろんなカラダとココロの変化を抱えるであろう。目もかすみ、手足は麻痺し、食事も気管のほうにいきやすくなっちゃったり、忘れっぽくなったり、するんであろう。でも、だから??でも、だから??って思うんである。
だから?って思うそばから、この世の「健康な」「障害のない」「成人の」「チンコ」を中心とした社会の「効率性」「生産性」重視なる価値観が立ちはだかる。
病気を持っていたら、障害を持っていたら、年をとったら、こんなにも、ああ、こんなにも、一方的に語られ、扱われるだけの対象にカテゴライズされてしまう。殊に、ただでさえ、自分のカラダなのに、一方的に語られ、扱われがちなオンナの場合、つまり婆の場合、それはどんなに過酷であろう。
「あたしのカラダのことだからあんたに関係ない」ってことが通らなくなる。そんなもっともなことが通らなくなる。
廊下をビュンビュン車椅子で走る婆に職員が、「そんなに走ると車椅子に手を巻き込むから危ない」と言う(立場上言わざるを得ないんであろう)。婆はカカカと笑った後、「テメエのことはテメエがきをつけらーね」と言う。もっともである。
ある婆は、男性の研修生にトイレ介助をされていた。どこの馬の骨かもわからん男の目の前でトイレをするんである。その男性研修生が、婆のひざにタオルをかけたという。すると婆が「こんな婆の見たってあんた」と言う。その男性は「いえ、でも女性は女性ですから・・」というと、婆は「そう言ってくれると嬉しいねえ」と言った。
ゲバ子の知っている、やさしくて強い障害をもったマンコ持ち・チンコ持ちは、「障害者は性がないものとして扱われてきた」として、「同性介助」の自立生活センターを運営している。
婆の(もちろんここにいた爺)性も、カラダも、ココロも、どこか遠くに置いていかれて奪われてしまっている!!
どうしたらいいのであろう??
と思って電車に乗ると、「介護だけが目的でない、介護を目指します」という広告が目に入る。国基準の2倍以上の人員体制を有し、温泉もつき、ホテルのようなきれいな個室を自分流にアレンジできる施設の広告である。と・こ・ろ・が、体験入居、一泊15000円。
入居一時金1695万円!!
聞くところによれば、田嶋陽子さんらが作るフェミのための村「友達村」でも、介護者付きで○千万するというではないか??
お金をためることが唯一の方法なんだろうか?何か一芸があればいい。でも、そうでない人は??このチンコ中心社会で、チンコに金が回っていく社会で、オンナの平均賃金6割で、それでもなんらかし、お金を手にして生きていかなくてはならない人は??ゲバ子は?
それだけが方法なんて、なんて浅ましく、悲しい社会なんであろう。それがたとえどんなに現実的な真実であったとしても。
ゲバ子がどんな障害を持とうが、病気をもとうが、年をとろうが、安心して、正々堂々と「あたいはあたい、あたいのカラダはあたいのカラダ、あたいのオナニーはオナニー」って言える社会―――。
あああ、そんな漠然とした理想!!!でも、すくなくとも年金システムとか、雇用創出のありかた、とかどうにかなることたくさんあるだろう。それに向けてゲバやってく??
気が長いね。
少なくとも今、言えることは、というより、これしか言えない。皆様、性開放にございます!!あらゆる、性差別、あらゆるエイジズム、あらゆる階級差別を乗り越える!!
個人では乗り越えられんので、やり過ごす技術を身に付ける!!だからゲバる!!語る!!
一方的に語られないように、自分のカラダの変化を語る!!一方的に扱われないように自分を存分に十分に扱う!!オナニーする!!
最後に、ここでは、婆と爺を扱う職員のことについて書いたが、この職員だって、5人ばかりで80人の人を介護させられ、彼女らもまた、一睡もできない夜勤とノルマがたくさんでろくに休憩のない勤務を抱えるという過酷な労働条件と相対的にみた賃金の低さを抱えている。
ここに、抑圧された者同士、婆と職員達の泥沼底なしの蟻地獄が存在するのである!!
追伸 アジトの引っ越しでオナニーどころではなかったゲバ子を発見!おお、くわばら、くわばら
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